カウンセリング

「言いたい!」を望んではいけない世界の隅で

「自分のところを言いたい!誰かに聞いてほしい!」

これは、人間にとって、根源的で、非常に重要な欲求であると私は思っています。

しかし、現在の日常では、その「言いたい!聞いてほしい!」という欲求は、満たされる機会が少なく、それどころか、その欲求の存在自体が、非常に自覚しにくくなっているように思います。

今回の記事はそのあたりについて書いていきたいと思います。

興味のある方は読んでみてください。

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【「言いたい!」を望んではいけない世界の隅で】言いたかった私

私「実は昨日こんなことがあってさ…。」

A「そうなんだ!実は私も昨日ね…。」

こんなとき、私は、なぜか心がツンと寂しくなりました。

私「あの時、私は本当に嫌な思いをしたんだ…。」

B「まぁ、そうな言うなよ、相手だって同じこと思っているかもしれないよ?」

こんなとき、私は、なぜかグッと心が苦しくなりました。

C「昨日なんか面白いことあった?」

私「えっと、昨日Aさんが面白かったよ。」

C「そうなんだ!実は、私昨日ね…。」

こんなとき、私は、なぜか少し嫌な気持ちになりました。

私は…、私は、きっと、まだ言いたかったんです。

今の私の言葉の、その次の言葉を。

どこまで続いていくかもわからない、私自身の言葉の相(すがた)を。

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【「言いたい!」を望んではいけない世界の隅で】重く苦しい感情にもがく

私が、重く苦しい感情の波にのまれているとき、それをどうにかして、吐き出したいと思っているとき、友達に向かってそれをやってみたことがあります。

すると、いつだって友達は苦しそうな顔になってしまいました。

そして、その話を続けることをやめて欲しがりました。

強い言葉で、咎められてしまうことだってありました。

つらく重い話は、相手の気持ちを重くさせてしまうようです。

だから言わないほうがいい…。言っちゃいけない…。

重たいエネルギーをもった奴は、面倒くさい奴だ。

そんなもんは、一人で対処しろよ。

誰だって、私だって…、そうしているんだから…。

皆、重く苦しい感情は、それぞれの方法で、一人で、なんとかしようともがくものなのです。

私はそんなことを肌で感じながら生きていました。

つらいこと、悲しいことは、笑い飛ばさなきゃならない。

そうできなきゃ、声にしてはならない。

そうできなきゃ、皆に受け入れられない。

そんな風に感じていました。

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【「言いたい!」を望んではいけない世界の隅で】私が心の奥底でほしがっていたもの

もし、私がどんなふうに感情を表現しても、相手の前で、どんな私になっても、それに影響を受けて、悲しくなったり、怒ったりせずに、たんたんと聞き続けてくれる人がいたら、どんなに救われるだろうか…。

どこまでも、どこまでも私のままに言わせてくれる人がいたら、私はどんなに楽になるだろうか。

私には、そんな思いが、うっすらとですが、ずっとありました。

【「言いたい!」を望んではいけない世界の隅で】「言いたい!」を望まないことが自然

私がカウンセリングの学習に出会う前に属していた社会は、主に、家族、学校、友人関係、そしてアルバイト先です。

このすべての場所で私のところを私のところとして、そのままに聞いてもらうということは、当たり前ではありませんでした

それは、むしろ望んではいけないことだったように思います。

個(私)というものは、抑えなくてはならないもの、控えなくてはならないもの、そのように自然に学んでいきました。

自分のことを語る人は、自意識過剰、我儘、自分勝手、そういうマイナスのイメージが強かったように思います。

自分を隠す。偽る。

この虚偽の上に他者との関係を成立させるのが常識であり、大人のたしなみなのだと感じていました。

ごくごく限られたプライベートな関係だけが本音を赦される。

しかし、そのプライベートな関係においても、強く感情的なことは相手の迷惑になるので控えなくてはならない…。

今振り返っても、この私に与えられた環境は極端なものだった、とは思っていません

実際、この辺りを読んで、「当たり前のこと」という感想を持つ人が多いのではないかと想像しています。

つまり、私にとってこの世界は、当たり前のように、「言いたい!」を望んではいけない世界なのです。

【「言いたい!」を望んではいけない世界の隅で】「言いたい!」を望まれた体験

カウンセリングの学習を始め、私は「言いたい!」を望むこと、より私になっていくことを望むことが、罪ではないことを知りました。

そして、その方向に進んでいくことを赦され、また、望まれているということを何度も体験してきました。

私は「言いたい!」私を赦してもらい、そんな私を望んでもらえたのです。

だから私は「言いたい!」「聞いてほしい!」と声を大にして叫べるようになりました。

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この世界の他の住人はどうでしょうか?

私は今、私の狭い視野で世界を見渡すとき、「言いたい!聞いてほしい!」という強い意志に目覚めている人は、とても少ないと思っています。

それは、多くの人が、まだ「言いたい!聞いてもらいたい!」という自分が当たり前のように、赦され、望まれた体験をもっていないからではないかと思っています。

人間は、赦され、望まれなければ、「ほしい」ということを感じられなくなるようです。

私は、言いたくない、聞いてもらいたくない人間が、存在できるはずがないと思っています。

常に人間は、生物は、有機体は、より新しく生まれたがっています。

意識しようがしまいが、そういう方向に引っ張られ、向かっているのです。

人間にとって言いたい!、聞いてほしい」は、より新しく生まれたいということです。

「言いたい!聞いてほしい!」

この欲求は、今を生きる多くの人には、ないものなのではなくて、❝自覚できていないものなのだと思います。

言いたい、聞いてほしい、が、あるのにない。

世界は大きな不一致に包まれている。

私にはそう見えるのです。

【「言いたい!」を望んではいけない世界の隅で】言わないがほうが生きやすい世界

今の世界は、言わないほうが生きやすい世界なのかもしれません。

言わないほうが収まりやすい世界なのかもしれません。

言う、ということは、少なからず変化を生み、新しいものを生みます

それ自体があまり望まれていないのでしょう。

変わらないこと、動かさないこと、留めておくこと、その方が安全で、無難で、楽。

そのような停滞のエネルギーに包まれている世界なのでしょう。

自由にものを言える人は、一部の厄介者か、一握りの天才だけ。

厄介者になりたくなく、天才でない人は、言うべきではない。

SNSが大流行した現代でも、現実的には、「本当のところは置いておいて…」の発信がほとんどなのではないでしょうか。

言っても意味がない。

言うと嫌われる。

そもそも、言いたいという感覚がわからない。

今は、「言いたい!」が自覚になることが都合の悪い時代のようなのです。

【「言いたい!」を望んではいけない世界の隅で】どうしたら、言いたい!に敏感になれるのか?

言えた体験が必要

「言いたい!」に敏感になるために、まず大きなところとしては、自分のところが「言えた!」となったとき、自分の身体がどうなるかを体験的に知る、ということです。

これは、残念ながら、現代の日常では、ほとんど味わえる体験ではありません。

知らないもの、わからないものは、望みようがありません。

まずは、どこかで、自分のところを言うということが徹底的に赦され、そこで、「言えた!」となる体験が必要なのです。

言わないことが赦されること

そして、もう一つ、言わされる、という体験は最悪です。

言わされるは、「言いたい!聞いてほしい!」の対極にある体験です。

言いたい!という感覚に敏感になるためには、言わないことが徹底的に赦される必要があります。

触発が大事

「言いたい!」に敏感になるには、触発されることも大事です。

それはつまり、率直に言いたいことを言ってくれる人がそばにいるかどうかです。

言いたいに鈍くなっている人が、言いたいに目覚めるためには、そういう人の存在が非常に重要なようです。

限定的な時間をもつこと

社会におけるすべての時間に、自分の「言いたい!」という欲求を満たそうとすることは現実的ではありません。

社会体験の中の一部の時間に、徹底的に個になることを赦される時間を持つことが大事、ということです。

 

ところで、

自由に言える時間ができて、言えない時間が明確になってしまうと、より、生きづらくならないでしょうか?

言える時間と、言えない時間が明確に区別されるということは、すでに、「言いたい!」という自分があることがはっきりしているということです。

言いたい自分が、あることがわかっていて言えない、言いたくないのと、

言いたい自分が、あること自体がわからないのでは天と地ほどの差があります。

言いたい自分が、あることがわかっているのなら、環境に適応する形、その場で言える形を探すことができます。

あること自体がわからないと、わけもわからないまま、抜け出すという発想すら生まれない苦しみの世界を生きることになってしまうでしょう。

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【「言いたい!」を望んではいけない世界の隅で】おわりに

いかがだったでしょうか。

現代社会は、個(私)になることがどこまでも赦されるという体験を、皆が当たり前のようには積み重ねることができません。

だから、「言いたい!聞いてほしい!」それを望まないことのほうが当たり前の世界である、と私は思っています。

しかし、そんな社会、現実を踏まえた上で、私は皆さんに問いかけてみたい。

 

「描いてみませんか。」

限られた時間、限られた場所、そこでなら、どこまでも個になることが、私になることが、徹底的に赦され、望まれる。

 

「想像してみませんか。」

泣いても、笑っても、ときには狂っても、誰の迷惑にもならずに、ただ赦される、そんな圧倒的な自由な時間。

 

人は、赦されれば、赦されるほど、赦されることを望むことができるようになる…。

 

言えば、言うほど、言いたい気持ちが湧いてくる。

聞いてもらえば、聞いてもらえるほど、もっと聞いてほしくなる。

そのときに生まれるエネルギーのまばゆさを、瑞々しさを、

描き、想像してみてください。

 

あなたの「言いたい!聞いてほしい!」は、赦される。

 

きっとお会いしましょう。

カウンセラー 黒田明彦

 

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