私は現在、逆エンパス体質の人は、身体に純粋エネルギーを抱えていて、そのエネルギーが外に向かってあふれ出てしまっているという状態の人であるという仮説をもっています。
逆エンパスの人の生きづらさのひとつが、この純粋エネルギーは、自分が不純であると認知したものを弾こうとしてしまうという傾向をもっているというところにあります。まぁ、シンプルにいうと、好き嫌いが激しいということですね。
そして、逆エンパスの人の生きづらさのもうひとつの特徴が、他人と自分の区別をつけることが難しいということです。
自分の放出しているエネルギーが及んでいるエリアにいる人をまるで自分かのように感じてしまうんですね。だから他者の嫌な部分が放っておけないのです。
今回の記事は現在黒田が感じ、どうしても嫌悪してしまう不純な感覚を紹介します。それはつまり、他人を見て、他人を感じて、どうしても区別がつかず、そんな黒田になるのは嫌だ!と強烈に反応をしてしまっているということです。
黒田の対人における嫌悪対象の多さ、強さを見て、少しでも逆エンパスの生きづらさを理解していただけると幸いです。

【逆エンパス的不純】黒田は自分の感情を拒絶している人を見て苦しむ
黒田は、こちらから見て、身体の動き、態度から見える感情、エネルギーの波に、本人が気づいていないときに不純を感じます。
それ自体はよくあることなので、(おそらく黒田自身も)最初は嫌悪というよりは、やれやれという気持ちになります。
しかし、基本的には黒田はそれに気がついてしまうと、自分ごとのように感じるため、放っておきたくないのです。
あなた今こんな感じじゃない?と、つい指摘してしまいます。
その指摘で「なるほど、そうだね!」と素直に認めたり、それをきっかけに自分の素直な気持ちが言えて、スッと落ちついていく人を見ると、黒田も落ち着きます。
しかし、ここで「何言っているの!そうじゃない!」と怒り出してしまう人がいます。
その反応の仕方は、全然違う気持ちを指摘されて腹が立った、というものではなく、自分の拒絶している感情エネルギーに触れてくる、その対象を拒絶するような反応です。
その反応に黒田は強い不純と嫌悪を感じます。
ちなみに黒田自身も稀に他人の鋭すぎる指摘に反射的に拒絶というか、抵抗のエネルギーで反応することがあります。
そして、あとで相手の指摘通りだったと気が付くのです。
そんなときは、自分の不純を嫌悪し、恥ずかしく思ったりします。そして、今後はそんなことがないようにしようと学習するのです。
【逆エンパス的不純】黒田は相手を攻撃することで、自分のバランスを保っている人を見て苦しむ
明らかに人が傷つくような言動をしているのにも関わらず、それに気づいていない人を見たり、聞いたりするとき黒田は不純を感じ、嫌悪を感じます。
ちなみに意図的に、余裕をもったうえで、相手を傷つけ、そこで満足感が得られる人(サイコパス的感性の人)にお目にかかることはほとんどありません。世の犯罪に至ってしまう人の多くもそうではないと私は思っています。
基本的には皆、自分の価値観、感性、自我そのものを正当化するために興奮し、他者をコントロールしようとする必要があるバランスの人ばかりです。
人を攻撃することでバランスを保とうとしている人は、人を攻撃しているという自覚は薄く、むしろ自分が攻撃されているという感覚で防衛しています。
お互いの感性がもろにぶつかり合っているなら仕方がないのですが、明らかに一方的であり、しかも自分が被害者であるという認識で攻撃している人を見ると、強い不純を感じます。
【逆エンパス的不純】黒田は浅いところで満足する人を見て苦しむ
これは大きなお世話だとお叱りを受けてしまう内容だな、という自覚が強いので表現するのが苦しいのですが、正直に言うと、黒田は、人と人とのやりとりで、浅いところで満足できるんだなという人を見ると不純を感じます。
たとえば、辛い気持ちを表現する誰かがいたとして、それをちょっと聞いた誰かが、相手の辛い気持ちを受け止めきれないが故に、相手の辛い気持ちを否定し、励ますような言葉を強くかけるような場面があります。
例)「そんな後ろ向きなことばかり言っていないで頑張りなよ。こうして、こうして、こうするといいよ!」
こんなやりとりで、辛い気持ちを表現したほうが、より辛くなっていくのが見えると、そうだよね、そうだよね、よし、今度は私があなたを手伝うよ!と闘志がわきます。
しかし、このようなやりとりでお互いが大体満足していってしまうようなやり取りを見ることがあります。
そんなとき私は、非常にいたたまれない気持ちになります。実は、カウンセリング的に考えても、クライエントが満足したのならそれで成功なのです。
しかし、私は、「救われないのは私だけ?」と、世界に居場所がなくなっていくような感覚をもちます。
【逆エンパス的不純】黒田は相手を切っている刃で自分を切らない人を見て苦しむ
交流分析でいうところの「私はYSE、あなたはNO」にあたる人です。他者には非常に厳しく、他者の落ち度には鋭利なナイフで切るような指摘をしてくるのに、自分の落ち度に関しては甘々で自省の心がほとんどない。それどころか、他者から指摘されようものなら烈火のごとく倍以上のエネルギーで反撃してしまう。
他者に厳しくあるなら、自分にも厳しくないと非常にバランスが悪いです。
自分ができていないことを他者に要求できてしまう人は、人間にはとてもじゃないけどできそうもないことを、自分の思考の上だけで成立させて、強烈に相手に要求してしまうことだってありえます。
これは、立場や関係によっては相手の心身を破壊することができてしまう所業です。
【逆エンパス的不純】黒田はテンションが高い人を見て苦しむ
黒田はテンションが高いということに非常に敏感です。
明るい人、楽しい人、面白い人というのは周りの人を豊かな、幸せな気持ちにさせますが、それとテンションが高い人というのは別です。
テンションが高い人というのは、自分の素の状態とは違う、高ぶってしまった精神状態が継続してしまっている人です。
周りの人を楽しくさせるというよりも、切迫感、違和感を与え、気を遣わせます。(楽しくなって自然に笑わせてもらうというよりも、笑ってあげないと成立しない感じ。)
黒田はそういう人のそばにいると、とにかくその人のテンションを下げたくなります。とにかく落ち着かず、黒田自身が自分のままでいられない感じがするからです。
【逆エンパス的不純】黒田は身体の声を拒絶している人を見て苦しむ
お腹が減った、眠い、痛い、痒い、性的な欲求などなどの、体の感覚に極端に鈍くなっていたり、また身体の欲求を拒絶するように精神的欲求に支配されている人を感じるとき、黒田は不純を感じます。
そういう意味ではストイックなスポーツ選手や、寝る間もなく働いているビジネスマンは不純なのでしょうか?
黒田がここまで表明している、不純であるということは、不自然であるということと、かなり感覚が近いです。
たとえば自分に強烈な目的があり、それに向かって努力することの一つとして、身体の欲求を制御しようとすることは自然です。むしろ尊敬に値します。
また身体の欲求をある程度うまく制御することは、社会で生活していく上においてとても重要なことです。
しかし、制御できているということと、拒絶するということは別です。
自分の身体がボロボロな状態、休むほうが自然で、それが必要な状態なのに、止まることを拒絶し、それら身体の感覚を感じられず、頑張り続けられてしまうことは黒田にとって不純です。
頑張りには、純粋な(自然な)頑張りと、不純な(不自然な)頑張りがあるということです。
そして不純な(不自然な)頑張りを、不自然なほど拒絶したくなるのが、黒田の自然なのです。
【逆エンパス的不純】黒田は捏造された正当性を拒絶する
様々な価値観、文化、人生が交錯し、七転八倒するこの世界で、人々は、様々な欲求を抱えながら、正当性という感覚を頼りに、なんとか、かんとかバランスを保ちながら生きています。
そんな世界の中で、ただその人の精神状態を保つために捏造されている、不自然な正当性を感じるとき、黒田は不純を感じ、拒絶したくなります。
人間には様々な欲求があります。
あるものは、ただある。
それは純粋なことです。
その純粋な欲求に、歪んだ正当性を主張したときに、不純感は生まれるのだと思います。
歪んだ正当性に従った行動は、社会で必要な相互的な正当性を飛び越え、他者の権利を容易に奪うことができてしまいます。
それが安易で、自己都合的な正当化であるほど私の心はかき乱されます。
それは、社会のなかで生きていくために、頭を捻りながら、エネルギーを絞りながら、いかに正当性を得られる方法で自分の欲求を満たそうかと、血眼になってもがいている私の神経を逆なでするのです。
自覚がなければ、不純は不可侵
一方、見方を変えれば、この歪んだ自己正当化すら純粋なものであるとも言えます。
その人は、その歪んだ自己正当化のおかげで、これまで生きてくることができているからです。
この機能は、これまでその人が生きてくるのにどうしても必要な機能であったし、今ここでその人が立っているために、どうしても必要な機能なのです。
「だから、黒田にはその機能を排除することなどできない!」
ここで苦しむのです。ここで黒田は、その人と別れていくしかなくなるのです。
私は相手に不純を感じ、その不純をどうしても排除したい。しかし、それは今の相手にとってどうしても必要なものだから排除できない。この苦しみです。
その苦しみから私を救ってくれるのが、その人の問題意識、自覚なのです。
その人が、「自分にはこういう傾向があって他人に迷惑をかけているようだ。だからその傾向をなんとかしたい。」と自省的になったときに、私の心はグッと軽くなります。
この問題意識が相手に生まれると、ググっと近寄ることができるのです。
私もあなたも、それを不純だと思い、それを排除したいのであれば、一緒に考えよう、一緒に頑張ろうということになります。
根本問題がまだ解決していなくても、それだけで私はその相手との関係がググっと楽になり、改善のための力強いエネルギーが生まれます。
人間に自省的な流れを生むもの
人間が、自省的な流れになるために必要なのが、環境が与える純粋性なのだと私は思っています。私が私のために世界の純度を上げたいというのはこういうことなのです。
人間は、不純度が高い環境にいると、自然に自覚なき動き、身体の欲求と一致しない心の動きが増えます。
人間は、純粋度が高い環境にいると、自然に自覚的な動き、身体の欲求と一致する心の動きが増えます。
自覚なき動き、身体の欲求と一致しない心の動きは、より不純な動きを生むという悪循環を生みます。
そして不純な動きは正当性の捏造を加速させ、世界は正しい暴力を繰り返していくのです。
個人レベルでも、国レベルでも、地球レベルでも。
どうしたら、世界の純粋度をあげることができるのでしょうか。
今の私にはわかりません。
しかし、それにはひとりひとりの人間がいかに覚醒していくかということが、無関係ではないように思うのです。
【逆エンパス的不純】黒田は不純に苦しむ、終わりに
今回は黒田が常日頃から弾きたがっている不純について書いてみました。非常に個人的な感覚ですが、一部の人にはわかる、わかると感じていただけるのではないでしょうか。
他の記事にも書きましたが、人間は心が成長すると何をどう感じるかということがどんどんと変わっていきます。
昨日までは嫌悪・拒絶していたものも、明日は嫌悪・拒絶しなくてすむようになる。そんなことは自然に起こりうることです。
というわけで、黒田の表明したこの感覚も明日にはどうなっているかわからないということをご理解ください。
目下、黒田の関心ごとは、人間は純粋になっていくことを望んでいるか?ということです。
今の私には、まだそれが信じられない。
それに確信が持てるような、疑いようがなくなるような、そんな経験をもっともっと積んでいきたい。
そう思えてやまない、というところまではなんとか歩いてこれました。
思えば遠くにきたものです。
多感な凡人 黒田明彦