誰かの言葉を聞いただけで、誰かの態度を見ただけで、頭で考えるよりも早く、心が傷む。
そして、心が傷むだけではすまなくて、なんだか体調も悪くなるし、肌は荒れるし、眠れなくもなる。
直接身体に攻撃を受けたわけではないのに、身体が確かに痛んでいく。
こういうことってありませんか?
言葉の暴力という言葉は既にありますが、私はより、身に迫る感じで、エネルギーの暴力というものがあると思っています。
言葉を媒介として伝わってくるエネルギーに、私たちの身体は直接傷つけられているのではないかという感覚があるのです。
今回は、エネルギー暴力という考え方と、その源について紹介してみようと思います。
興味のある方は読んでみてください。

【エネルギー暴力と、その源】エネルギーの暴力って何?
非常に語調の強い、感情的な発言
相手の心への配慮が全く感じられない一方的な指摘
相手の尊厳を配慮しない強力な介入、侵入、浸食的な言動
私は、このような場面に直面するとき、相手にエネルギーを無造作に、躊躇なく、強烈にぶつけられているような感覚を受け取り、エネルギーで殴られているような感覚を持ちます。
そして、その影響で、心だけではなく、眠れなくなったり、動悸がしたり、肌が荒れたりと、身体にもダメージを受けてしまうのです。
これらは、ときには、単純な肉体的な暴力よりも、ダメージが大きいときがあるようです。
私は、これらを相手のエネルギーから暴力を受けた、と解釈して良いのではないかと思っています。
エネルギー暴力の源
私は、現在のところ、この荒れ狂う、暴力のような影響力をもつエネルギーを生んでしまう源を2種類特定しています。
そして、これらは、誰しもが潜在的にもっている力だと思います。
エネルギー暴力は、エスカレートして物理的、肉体的な暴力に発展しない限りは、犯罪にはなりません。
しかし、様々な欲求を持ちながら、一人では生きていけない人間が、穏やかで健やかに生きていくためには、それぞれの人間が自覚し、戒めていかなくてはならないものだと思います。

【エネルギー暴力と、その源】エネルギー源1「隠れようとする力」
エネルギー暴力になりがちなエネルギー源の1つは、「隠れようとする力」です。
事実から隠れるために、真実の自分から隠れるために、強い感情エネルギーを放出し、相手を責める。
相手を感情的に攻撃することで、今ここの自己を守ろうとするようなはたらき。
自分の感情エネルギーの調和を目指して放出、浄化しようとするのではなく、相手の動きを制限したり、不自由にさせることで、自分の真実から隠れるために、感情エネルギーを放出する。
そうすることによって、事実や、真実の追跡から逃れることに成功する。
「隠れようとする力」が強い人は、自分の感情エネルギーが相手に与えてしまう影響に配慮が及んでいないことが多く、自身の感情洞察度も低い。
無責任、無統制、解離的な印象を与えるような感情表出をしてしまうのです。
「隠れようとする力」がエネルギー暴力にならないために
「隠れようとする力」によって、相手に感情エネルギーの暴力を与えてしまう人は、自分は、相手に負担を与えることでバランスをとっている、ということを自覚できていないことが問題です。
自分のそのバランスを自覚出来れば、感情エネルギーをぶつけてしまったとき、その相手に感謝や敬意の気持ちをもつことができ、やらかしてしまったあとに、自分でフォローすることができるようになるでしょう。
このフォローが自分でできるかどうかは人間関係上、とても大事なところです。
「隠れようとする力」によって、自分の感情エネルギーが暴力になってしまうことを自覚し、気を付け、反省できるようになるだけで、周りの人は本当に救われます。
相手は、たとえエネルギー暴力を受けてしまっても、心の整理がつきやすくなり、また、助けてあげたいという発想すら生まれる余裕ができるかもしれないのです。
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【エネルギー暴力と、その源】エネルギー暴力の大半は心の過剰防衛
脅しや、恐喝など明確な犯罪行為を除いて、日常生活で考えたとき、エネルギー暴力は、心の過剰防衛からきているということが多いです。
エネルギー暴力をしてしまっている人は、相手の攻撃に反撃しているだけ、防衛しているだけ。
被害者意識がある、ということが特徴的と言えるでしょう。
【エネルギー暴力と、その源】認知の差とエネルギーギャップ
Aさんの態度が気に入らなかった
不愉快になった⇒強い口調で非難する。
自分の許容範囲を超えた⇒咎める、抑え込もうとする。
この心の動きはわりと自然で、多くの人がある程度納得できるものではないでしょうか。
しかし、この反応がAさんのどんな態度によるものかで、大分印象が変わってきます。
たとえば、Aさんの態度が…
①何度も何度も確認した約束をすっかり忘れて破ってしまい、しかも全く悪びれていない!
このような態度の場合、少なくとも私は、
不愉快になった⇒強い口調で非難する。
自分の許容範囲を超えた⇒咎める、抑え込もうとする。
こういう態度になってしまう人がいるのは仕方がないな、と思えるわけです。
しかし、たとえば、Aさんの態度が…
②朝、おはようの挨拶を交わしたときに、こちらの目をチラッとしか見なかった。
もし、このような場合に、
不愉快になった⇒強い口調で非難する。
自分の許容範囲を超えた⇒咎める、抑え込もうとする。
こういう態度になってしまう人がいたら、かなり暴力的だな、と思うわけです。
つまりエネルギー暴力は、きっかけとなっている行為に対するお互いの認知の差と放出された感情エネルギーのギャップが多いに関係していると言えそうです。

【エネルギー暴力と、その源】エネルギー源2「支配しようとする力」
しかし、それにしても、Aさんの②の行為ぐらいで、烈火のごとく怒られてしまったら、過剰であると感じられないでしょうか。
まるで相手を自分の一部のようにコントロールしたがっているかのような迫力。
あまりにも支配的すぎると思いませんか。
これが、エネルギー暴力になりがちなエネルギー源の2つめ、「支配したがる力」の影響です。
「支配したがる力」
相手を自分の一部のように感じ、自分の思うように動かないということが許せないという心のはたらき。強いエネルギーを生む源。
逆に言えば、相手が自分の思い通りに動かない場合、一人では自分の欲求を満たせないというバランスを持っているということ。
非常に依存的だが、それを自覚、コントロールすることはとても難しい。
この力には、非常に侵襲性があり、相手の自由をどんどん奪うような方向にエネルギーを放出してしまう。
「支配したがる力」がエネルギー暴力にならないために
何事も大事なのは自覚することです。
他者を支配したがっている自分が見えるようになること。
他者を支配することでバランスをとっている、自分の依存的な傾向に気が付くこと。
一人では満足に生きられない自分の頼りなさを嘆き、助けてくれる人に感謝の気持ちをもつこと。
これが、抗い難い「支配したがる力」に対抗するセルフマインドです。
しかし、何事も自覚までが難しいのです。
「支配したがる力」に支配されてしまっている人は、なかなか自分自身のそういう傾向を自覚することはできません。
うまくいかない経験を何度も繰り返し、懲りないといけません。
そのためには、周りの人が、その人の支配に抵抗し、自立的に振舞うことができるかどうかが大事になってきます。
その人の支配的態度を助長してしまうと、その人は、その自分の態度にいつまでも困ることができないのです。

【エネルギー暴力と、その源】エネルギー暴力の加害者になり続けないために
自分のエネルギーの放出が相手への攻撃になってしまうことはどうしてもあります。
ですが、それを一生懸命正当化するのはやめましょう。
自分のバランスを整えるのに、相手の存在が必要なら、それをはっきりと自覚し、常に相手に対して感謝と敬意をもちましょう。
その感謝と敬意が、少しずつでも態度に現れ、相手に伝われば、相手にとってその人は、エネルギー暴力の加害者から、エネルギーの調整が難しい人へと変わることができます。
【エネルギー暴力と、その源】エネルギー暴力の被害者になり続けないために
自分が受けているエネルギー被害に敏感に、正直になりましょう。
そして、肝心なのは、その相手から離れること。
暴力に暴力で立ち向かわなければならないときは、自分以外の誰かを守るときだけで充分です。
反撃することを正当化するのではなく、逃走することを正当化しましょう。
一番問題なのは、あなたにエネルギー暴力をふるうその人が、あなたにとって必要な人になってしまうことなのです。
あなたに暴力をふるう人から、自由に離れられるあなたになりましょう。
【エネルギー暴力と、その源】おわりに
今回は、エネルギー暴力という言葉を使って日々の人間のやりとりを考えてみました。
誰かの言葉や態度に傷つく。
それは、受け取り方の問題、感受性の問題と簡単に片づけられてしまいがちですが、実際に身体に起こる影響は大きなものです。
本当に眠れなくなる。
本当に胃が痛くなる。
本当に肌が荒れる。
これは現実です。
しかし、人間が生きている中で、誰にも暴力的な影響を与えずに暮らして行くことは不可能かもしれません。
相手を傷つけないために自分を殺し続けるというのも、悲しいことです。
大事なことは、人は人に迷惑をかけずには生きられないということを厳しく自覚することなのかもしれません。
そして、迷惑をかけさせてくれている相手に、しっかり感謝と敬意を現わすこと。
そうやってバランスをとっていくことができれば、人と人との間で、精いっぱい私らしく、精いっぱいあなたらしく、生きていけるのかもしれません。
まずは、お互いのエネルギー暴力の存在を認めるところから始めてみましょう。
多感な凡人 黒田明彦

