逆エンパス

エンパスの能力、特技、一番の強みは高いコピー能力

はい、冥王だ。

今日もエンパスについて書いていく。

最近エンパスについての文章を書き進めているから、私の中のエンパスに対する感性が徐々に深まってきている。

自分の中にあるエンパス性について開かれてきている、という感じだな。

エンパス、逆エンパスともに、エネルギーの方向性は違えども、お互いミラーニューロンが異常に活発な超共感体質であることは変わらない。

今回はエンパス系の能力、特技の中から、一番の強みについて書いてみる。

それは、コピー能力である。

「あれ、振り返ってみると私のコピー能力やばくね?」って話である。

これまでは、いかにエンパスは様々なエネルギーから受けた影響をリセットしていくかという話ばかりだったが、今回は、積極的にその特徴を活かそうぜ!って話だ。

この記事はエンパスモードで書いていくので、これまでの私の逆エンパス記事と矛盾点もあるかもしれないが、それはそれとして楽しんでくれ。

さあ、今日も言葉と一緒に遊ぼうぜ!

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エンパス系の人は子供のころからコピー能力が高い

エンパスの能力_コピー能力が高い

小さな頃の記憶やイメージって、結構自分の特性を知るためのヒントがたくさん隠されていて面白い。

エンパスについての文章を書いていて、ふと、自分にもエンパスとしての能力があったことを思い出した、というか目覚めた。

エンパス系の人の特殊能力、それは、高いコピー能力だ。

そういえば、私は小さな頃、自分で遊びを考えられる人にとても憧れていたけど、誰かの遊びの真似(コピー)をするほうが断然得意だったのだ。

たとえば、TVゲーム1つをとっても、自分で攻略法を編み出すより、攻略サイト(お手本)を完璧に真似しながら、最強プレーするほうが好きだったんだよ。

生粋のゲーマーに言わせれば、「それって何が面白いの?」って感じだろうけどな。

まぁ、今回の私の新しい発見は次の言葉に集約される。

私、コピーすることに結構な満足感があるな・・・。

この満足感に気が付くことが、エンパスのコピー能力を活かすための最初の一歩かもしれない。

もし、君が、エンパス系を自覚するところがあるのなら、自分の胸に手を当てて考えてみてほしい。

コピーに対する満足感。

どうだ?

心当たりがあるのなら、きっとワクワクしだすぞ。

エンパス系のコピー能力のブレーキ

エンパスの能力_コピー能力_ブレーキ

エンパスのコピー能力は非常に優れている。

だけど、小さい頃・・・。

あからさまに誰かの真似をすることって嫌われたような気がする。

「真似すんなよ!」

真似することはズルいことみたいな価値観が、小さな子供たちの間ではあったな。

あれはなんだったんだろうな。

コピーと、盗むは、感覚的に近いのかもな。

盗人か。

コピー能力を自分の最大能力として自覚するのには、そこそこ根性がいることなのかもしれないな。

少年エンパスのコピー能力

エンパスの能力_コピー能力_少年エンパス

そういえば私は、小学校の頃・・・。

担任の先生に好かれるのが得意だった。

あれも、ある意味エンパスの高いコピー能力のおかげなんだよな。

担任の先生が欲しがるものというか、先生の考え方をコピーすると言うか、同化することで、私に対する先生の印象がすこぶるよかったような気がする。

よく私は担任の先生に評価されていたと言うか、贔屓されていた。

たまにそれが通用しない先生もいたけどな。

だけど、別に意図的に、自分の立場を良くしようとか、計算でそうやっていたわけじゃないんだ。

夢中でガチャガチャやっているうちに、いつの間にか、考えなしにそうなっている感じだった。

良いコピー対象がいないとしんどい

エンパスの能力_コピー能力_良いコピー対象がいないとしんどい

中学校に入ると、教科によって先生が代わるから、担任の先生の影響力は弱くなる。

エネルギーバランスとして、教師(クラスの権威)の力が弱い環境は生きづらかったな。

誰に合わせていいかわからなかったから。

誰をコピーしていいかわからなかったから。

思春期の頃にはもう、親の価値観もコピーできない。

教師の価値観もコピーできない。

何を頼ればいいんだ?

そこで自分の価値観が非常に不安定になっていた。

そんな感じもあったような気がする。

エンパスのコピー能力によって、強烈なコピー対象がいれば精神は安定する

エンパスの能力_コピー能力_コピー対象がいれば安定する

私の精神がドカッと安定したのは、カウンセリングの先生に出会ってからだ。

凄まじいエネルギー。

凄まじい人間哲学。

私はそれに身体全体、エネルギー全体でふれた。

先生の価値観が私の中にすごい勢いで、強烈にコピーされたんだ。

そこから私の精神性は大分安定したんだった。

先生の仏教ベースの人間哲学には膨大なエネルギー、重さ、深さがあったが、当時の私のそれをコピーするスピードは尋常じゃなかったのではないかと思う。

あのときは、いつも階段を3段飛ばしぐらいで駆け上がっていくような成長感覚を持っていた。

先生とは3か月に1回ぐらい、濃密なやりとり(3泊4日のエンカウンターグループに参加)があるだけだったが、会うたびに、先生に私の成長を驚かれたことを今でも覚えている。

だから、あらためて、このあたりの学習能力、コピー能力こそがエンパスの一番の能力なんじゃないかと思うんだよ。

エンパスのコピー能力、就職編

エンパスの能力_コピー能力_就職

そういえば、就職してからも、その組織、その現場の2位の位置につけるまでは本当に早かった。

これも、よく考えたら、エンパスのコピー能力が関係しているんだよな。

多分それって、現場で1位の人をコピーしているからなんだと思う。

それで、2位になったあと、毎回そこから煮詰まるんだよな。

ただ、職場にはいろんな力関係があって、権威を持っている人と、実力を持っている人が別だったりする。

職場で権威1位の人無視して、実力1位の人コピーしちゃうと結構やばい。

職場を支配しているのは権威者の方だから、権威者と折り合いが悪くなると居づらくなるからだ。

調子よく、両方をコピーすればいいんだけど、その辺の調整は意識してやらないと結構難しいんだと思う。

当時、私はそもそも他人をコピーしているという自覚がなかったから、うまく調整できなかった。

というか、そもそも自分のエンパス能力、コピー能力の高さを全く自覚してなかったからな。

自己否定感が強すぎて、生きづらい

エンパスのコピー能力は、わりと上書きが難しい

エンパスの能力_コピー能力_上書きが難しい

あとよくあったのは、カウンセリングの先生をガッツリコピーしているものだから、それと反発するような価値観にでくわすとき、私自身がそれを拒否してしまうんだ。

すでにコピーしているものは、簡単には上書きされない。

その場その場によってコピーする相手が違うことはあるけど、心の深いところにコピーしているものは、そう簡単に書き換えられない。

私の心の根っこを支えているコピーほど、書き換えが難しい感じだ。

エンパスの能力で、すでに何かを強烈にコピーしている場合、そのコピーを書き換え、更新、上書きしようとするときは、鋭い痛みのような抵抗を伴う。

自分の一部が破壊されるような感じだな。

だけど、それを乗り越えて、コピーが上書きされると、新しい感覚が急速に広がっていく。

その時のスピードは非常に心地よい。

誰かのコピーに抵抗があってうまくいかないときは、以前何処かでコピーしたものが残っていてうまく上書きできないときだろう。

誰の何が残っているのかはっきりすると、上手く整理できるかもしれないな。

エンパス系の人は、一つのコピーにこだわるよりも、どんどんコピーを更新していくほうが心地よく生きていけるような気がする。

軽く生きていける感じ、というかね。

エンパスの能力でコピーしたものを破棄する方法

エンパスの能力_コピー能力_コピーを破棄する方法

エンパスの能力でコピーしたものの破棄は、基本「私はコピー人間である」と考えると少し上手になると思う。

「この価値観こそ私」「この考え方こそ私」みたいに、いつかどこかでコピーしたものを唯一無二の自分としてしまうと、良くも悪くも、安定はするかもしれないが、エンパスの特殊能力が活かせずもったいない。

自分はカメレオンみたいなものだと理解し、むしろそういうところが自分の強みであり、能力である、と思えると、グッとひとつひとつのコピーへのこだわりが減る。

次行こう!ってな感じで、次々と新しくコピーしていける。

物は考えようだ。

破棄の方法がどうとかいうよりも、次の新しい何かをコピーしたらいいんだと思うよ。

エンパスの能力、コピーのコントロールに重要なこと

エンパスの能力_コピー能力_コピーのコントロール

大事なのは、今、誰をコピーしている状態かっていうのを自覚できるようになることだね。

それができるとすごく自分に余裕が持てるようになる。

切り替えの発想も持ちやすいし、振り回されている感じが減ってくるんだ。

「今私は、○○をコピーしている。」

みたいに自覚しようとしていけば、少しずつ、勝手に他人をコピーしてしまう自分の身体の動きに意識が追い付いていけるようになってくるぞ。

エンパスみたいなコピー人間は、意識していなくても、強烈にいつも誰かをコピーしてしまうんだから、その身体の動きを拒否するのではなく、自分の意識を近づけるほうが心は安定する。

そして、それを長所として捉えることができたら本当に強いよ。

エンパスのコピー能力は個性だぜ?

エンパスの能力_コピー能力_コピー能力は個性

私自身、自分を生きようとか、自分らしさとかそういうものがとても大事だと考えてきたが、そういう考え方って、エンパスとは相性が悪いのかもしれないな。

自分らしさって、自分の身体に添うように生きようぜ!ってことなんだよ。

だから、エンパスみたいにコピー能力が高い身体の人は、その身体に添うような生き方が自分らしい生き方なんだよな。

コピー能力を個性だと捉えようぜ。

多分その方が楽だし、今までの悩んでいたことが、むしろ活かすべきものに逆転するかもしれないよ。

相手は依存対象ではなく、コピー媒体であるとイメージせよ

エンパスの能力_コピー能力_コピーとイメージ

エンパスのコピー能力の高さは、エンパスの同化力の高さに比例する。

ただ、人と同化してしまうと、どうしても対象に依存してしまうんだよな。

エンパスは相手を依存対象としてとらえるのではなく、コピー対象としてとらえる意識が大事なように思う。

「依存じゃない、コピーだ。」

だから、コピーが終わったら、次のコピー先を探すという気持ちが大事だな。

あとは、常に複数の対象をコピーしていようという気持ちが大事だ。

大事な人と長く健やかに暮らして行くためにもな。

エンパスの一番の能力は高いコピー能力だ、おわりに

エンパスの能力_コピー能力_おわりに

オリジナルに憧れる。

自分で何かを生み出せる人に憧れる。

強い自分を持っている人に憧れる。

心に芯があって揺るぎない人に憧れる。

私はそんな感覚が強かった。

カウンセリングの学習を始めて私は、揺るぎない自分を獲得できたと思っていたが、実はただ先生を強烈にコピーしていただけなのかもしれない。

ふむ。

まぁ、どちらでもいいか。

コピー人間という自分の特性、能力をしっかり理解して活かせたら、充分ユニークだしな。

なんか、それはそれで、可能性にあふれて、ワクワクするじゃないか。

確固たる自分なんてものは、ひとつのコピーにこだわっているだけかもしれないじゃないか。

それだったら、いろんな人をコピーして変幻自在に生きるほうが楽しいし、実りがある。

そして、エンパスの身体にはそのほうがあっているし、その才能があるんだ。

君だってきっとそうなんだぜ?

コピーに良いイメージをもて。

他人に同化してしまうイメージを否定する必要はない。

上書きの痛みを超えれば、いくつもの智慧が手に入る。

コピーが終われば、君の身についたものは、誰が何と言おうと君のものだ。

君は何者にもなれるんだぜ。

自在に生きよ。

君にはその才能がある。

冥王、黒田明彦でした。

私のエネルギー、もらってね。

私の愛、もらってね。