学習者

今日の苦しみを少しでも和らげるために【純粋な諸法無我】

昨日また、苦しみの中、救いを求めて言葉を探していたら、仏教の諸法無我という言葉に出会いました。

いろいろ検討していくうちに、

「苦しみの種は、わかりようのないものをわかりきってしまっていることに気が付かないことで生まれている。」

という発見をしましたので、紹介したいと思います。

興味のある人は読んでみてください。

【純粋な諸法無我】純粋な教え

ここのところ私は、宇宙のはたらきという言葉を使うことが多いのですが、私自身、この宇宙のはたらきとは、「こうだ!」とはっきり明確化できているわけではありません。

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わかっているのは、私の身体の中には、私の意思、思考、思惑を超えた、私を超えた力がはたらいており、それは、生まれたときからずっと共にあるということだけです。

 

それは、万物が生まれ、創造されていく源みたいな力強いエネルギーです。

だから、私が知っているものの中で一番大きなもの、宇宙…、宇宙のはたらきという言葉が浮かんだ。

そんな感じです。

仏教的思想

このあたりの感覚は、私がずっとお世話になっているカウンセリングの先生の言葉の影響を強烈に受けています。

私の先生は仏教がとても好きで、それを支えに生きているような人です。

その先生の語る仏教的教示の理解は、今を生きる、生身の人間にとって、非常にリアルな響きを与えてくれます。

地に足がつき、ものすごく実用的なんですね。

 

それでも、先生に出会った頃の私は、宗教的=思い込ませる=浸食的=悪、みたいなロジックで、先生の語る仏教的思想を毛嫌いしていました。

そんな私の強固な壁を飛び越えて、響き、届いてしまうような、純粋な仏教の言葉を先生は聞かせてくれてきたのです。

これって、とても貴重なことなんだろうな、とあらためて思っています。

【純粋な諸法無我】救われたい、愚かな私

ここのところ私は、絶賛、苦しみにまみれています。

昨日も語る場があったため、大分整理がつきましたが、今の私の苦しみは、財産が徐々に減っていく苦しみであるようです。

苦しい。苦しい。

本当に苦しい。

それなのに私は、何かを証明したがっているかのように、その苦しみから具体的に逃れるような動きをしないんですね。

なんと愚かな…。

本当に自分でそう思います。

 

私は、今、苦しみそのものを求めているのでしょうか?

この苦しみの中から、人生の後半戦を生き抜くための、新しい私に出会っていきたいのでしょうか?

とにかく、今私は、この苦しみからなんとか抜け出したくて、私を救ってくれる言葉を必死に呼んでいるような感じです。

【純粋な諸法無我】諸法無我という言葉に出会う

宇宙のはたらき、先生の言葉…。

今の私には、仏教的思想が必要になってきている…。

私はそんな気持ちになって、仏教の教えについて調べてみました。

 

そこでこの言葉に目が留まったのです。

諸法無我

 

今の私のところでは、人生は、宇宙のはたらきと、自我のはたらきによって構成されているという仮説があります。

宇宙のはたらきによって生まれた人間が、自我のはたらきによって、個になり、立ち上がる。

そして、個の苦しみに、苦しみぬいたあげく、宇宙のはたらきと再びシンクロする。

なんか、そんなプロセスのイメージを持っています。

 

自我の苦しみ、これが、この1年の私のテーマになっています。

そこで諸法無我という言葉が、初めて目に留まったわけです。

無我?

さてさて、これは、どういった思想なのでしょうか。

諸法無我の一般的な解説

諸法無我とは、全てのものは因縁によって出来上がっていること。

すべてのものごと(諸法)は、互いに影響をし合い、何一つとして単体で存在する(我)ものはない。実体はない。

絶対的な存在というものはひとつもなく、すべては、あらゆる因縁によって生まれているというものを意味する。

私の理解したところでは、諸法無我とは、

この世のすべてのものには実体がなく、単独では存在できていない。

ということです。

 

さて、これは、どういうことなのでしょう?

この教えは、私の苦しみをどう和らげてくれるのでしょうか?

【純粋な諸法無我】わかってしまっているから苦しい

まず1つ、この諸法無我でいうところの「我」は、いわゆる心理学的な自我のことだけを指しているのではなく、個としての実体のことを指しているようです。

つまり、諸法無我とは、とにかく、とにかく、すべてのものには実体なんてないんだよ!

という教えのようです。

 

なんだ、すべてのものには実体がないのか。

よかった、よかった。

じゃ、この今の私の胸が痛くなるような苦しみにも実体なんてなくて、思い込みにすぎないんだから、大丈夫だね。

 

 

なんて…

 

私には、到底思えない!!

 

 

そんなところじゃ私は救われない!

 

私は実際に苦しいんだ!

 

胸が痛いんだ。

 

この苦しみ、痛みに実体があろうがなかろうが、

 

実感は確かにあるんだ!

転がる思考

私は、途中から部屋を離れ、歩きながら考え出しました。

苦しみ、苦しみ。

結局苦しみの根っこにはあるのは死への恐怖じゃないだろうか。

お金が無くなる、生活ができなくなる、侘しい、苦しい、切ない、こわい…。

そして、死ぬ。こわい、こわい…。

 

すべてのものに実体がないと言われたって、この苦しみは変わらないよ。

何の救いにもならない。

実体がない?それなら、今ここで死んでも痛くもかゆくもないよね

そんなわけない。

 

そんなに人生は甘くない。

そうじゃない。

そうじゃない!

 

そこで言葉が降りてくる。

 

「わかってしまっているんだね。」

 

あれ?先生の声だ。

 

そういえば、昔から先生は、ちょくちょくそんな言葉を言っていたなぁ。

 

「わかってしまう。」

 

そう。

 

苦しみの種は、わかってしまっているところから生まれている。

苦しみの種との出会い

収入はないが、今は苦しくない。

毎日ご飯も食べられるし、おうちもあるし、やることもある。

 

それなのに、

 

今よりお金がなくなったときのこと、

財産がすっからかんになってしまったときのこと、

 

そのときの侘しさ、苦しさ、切なさ、悔しさ、みずぼらしさ、情けなさ、をわかってしまっているかのように、今、苦しんでいる

 

そうなってみなきゃ、わかりようのないものを、わかってしまっているところで苦しんでいる。

 

わかりようのないものをわかってしまっていることに気が付かない私

 

そんな私がいる。

【純粋な諸法無我】諸法無我との出会い

すべてのものに実体があるか、どうか。

その観点では私にはあまりピンときませんでした。

しかし、「わかってしまっている。」

この感覚にはピンとくるものがあります。

 

これは、パソコンである。

これは、目薬である。

これは、スマホである。

これは、靴である。

これは、私である。

これは、Aさんである。

これは、Bさんである。

 

ひとつひとつのものをわかってしまう。

わかってしまっている

 

 

実際はこれは、

パソコンと誰かが呼び始めた概念です。

実際は、プラスチックとか、鉄とか、いろんな部品で構成された何かの塊です。

プラスチックだって、鉄だって、概念です。

実際はなんだかよくわからない。

 

分解していけば、これは、何であるとはすぐに言えなくなる。

それなのに、私は、これをパソコンだと完璧にわかってしまっている

 

この、完璧にわかってしまっているパソコンを、あらためて、「これ、なんだかわかんないよね」と、純粋に言える心境のことを諸法無我というんだ!

諸法無我と否定

自己否定、他者否定もそう。

私は、「私をわかってしまっている」から私を否定できる。

私は、「相手をわかってしまっている」から相手を否定できる。

私は、「私も相手もわかってしまっている」から、比べることができ、苦しむことができる。

 

私は、私がわからない、私が何ひとつとして決まらない、どうやっても私が固定されない。

純粋にそんな心境になっているときは、

私を誰かに否定されるというような現象は起きようがない。

なんだかわからないものは否定できない

なんだかわからないものは、否定できないんだ。

諸法無我の境地とは、何一つわからない、この世にわかってしまえるものなどない、と立ち返られる心境の事だ。

苦しいのは、わかってしまっているからだ。

無我とは、この世にわかりきれるものなど存在しないということ。

きっと、実体がないということはそういうことなんだよ。

 

それなのに、私たちは、すべてのものをわかりきってしまっている。

そして苦しんでいる。

とても苦しんでいる。

わかりようのないものをわかりきっているということに気が付けないまま

 

わかりようのないものをわかりきってしまっていることに、時折、気が付ける心境。

それこそ、純粋な諸法無我なんだ。

【純粋な諸法無我】おわりに

いかがだったでしょうか。

なにひとつわからない。なにひとつ決められない。

いつもそんな心境でいたら、混乱しっぱなしで日常生活は、ままならない。

仕事なんてできやしない。

普通に考えるとそうでしょう。

 

しかし、心配しなくても、人間は、どうしてもわかってしまう生き物です。

どんなことでもわかってしまう。

ほら、気が付けば、また、わかりきってしまっている。

 

わかりきってしまっていることに、気が付けることのほうが珍しい

だから大丈夫。

そして、それで悩まず、苦しまないのであれば、諸法無我なんて必要ない。

 

しかし、もし、いつかどこかで悩み、苦しんでしまったら。

悩んで、悩んで、悩んで、苦しんで、苦しんで、苦しんでしまったら。

 

この諸法無我という真理は、苦しみから救ってくれる一筋の光になってくれるのです。

 

仏教の教えは奥深いものです。

 

私のこの諸法無我の理解は、とば口中のとば口どころか、間違った理解かもしれません。

しかし、それでも私は、昨日、この理解に至ったことで苦しみが和らぎました。

 

これは、明日には役に立たない理解かもしれません。

しかし、私のこの理解が、これを読んだあなたの苦しみを、

今日1日だけでも和らげてくれることを、

深く、深く、念じております。

 

学習者 黒田明彦

 

 

人間はわかりたい生き物です。

わかりたくて、わかりたくて、わかりたい。

だけど、そのわかりたいが、「わかった」となり、固定されると途端に苦しくなります。

この私の理解もわかりたい、が生んだプロセスです。

逆エンパスについてわかりたい私が、日本で最初の小さな本を書きました。

これは、逆エンパスについて「わかったもの」という固定的な何かではなく、今もなお、わかりたがっている私の一指標としてとらえていただけると、ありがたいです。

興味のある方は手に取ってみてください。

 

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電子書籍の読み方はこちらの記事に詳しく紹介されています。
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