冥王の唄

冥王はアドラー心理学をインストールしました

やぁ、冥王だ。

アドラーの言葉がいっぱい書いてある「嫌われる勇気」を今さら読んだので、その感想を書いていく。

サササッと読めて、かつ切れ味の良い内容だった。

しかし、今の時代に読んでもアドラーには常識外れ感があるな。

常識よりも自分の感性を信じることができる人なんだろう。

そのあたりは、ロジャーズと共通している感がある。

きっとアドラーも革命家なんだな。

しかし、なんで日本でこんなにアドラーが流行ったのか疑問だ。

きっと「嫌われる」ということが、日本人にとってめちゃくちゃ関心のあるテーマだったんだろうな。

今回の記事は、本の文章の一部をとりあげて、いきなり考察に入っていく感じで、構成されているのでよろしく。

さて、それでは始める。

今回も、言葉と一緒に遊ぼうぜ!

 

 

 

切れ味抜群!まだ読んでない人は是非!!

アドラーの原因論と目的論

アドラーは、原因論を否定する。

その行動は原因による結果がである、という考え方ではなく、その行動に至っている今の目的が必ずある、という考え方。

アドラー曰く、たとえば引きこもっている人は、

「不安だから、外に出られない」のではありません。

順番は逆で「外に出たくないから、不安という感情をつくり出している」

これが、いきなり厳しいんだよな。

読んでて、お前が現状を変えるための行動に躊躇するのは、原因など関係なく、単純に今のお前が現状を変える行動をする勇気がないだけだって、叱られているようなんだもの。

お前の現状は、過去のせいでも、性格のせいでも、能力のせいでも、環境のせいでもない。

これは、結構グサグサくるところがある。

「甘えている。」

「だって・・・、でも・・・、と言いながら、ただ、やらないための言い訳を並べ立てているようだよ。」

去年の夏ごろに聞いた、先生の言葉も思い出した。

はふぅ。

はぁ、厳しい、厳しい言葉だよな。

で、勇気ってどうやって出せるんですかね?

アドラー流、勇気の出し方

アドラーは、その問いにも明確に答えているんだ。

人は自分に価値があると思えたときにだけ、勇気を持てる。

ふむ。自分に価値ねぇ。

アドラーはトラウマを否定する

「自分は両親に虐待を受けたから、社会に適合できないのだと考えているのだとすれば、それは彼の中にそう考えたい目的があるのです。」

「あなたは怒りに駆られて、大声を出したのではない。ひとえに大声を出すために、怒ったのです。つまり、大声を出すという目的をかなえるために、怒りの感情をつくりあげたのです。」

ここは読んでいて苦しかったな。

感情って、エネルギーって、もう少し厄介なものだと思うけどな。

もっと、どうしようもなく圧倒的で、人間の意思の力でどうにかできるようなものではない。

少なくとも本当のトラウマになるような感情エネルギーってそういう類のものだと思うけどな。

自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである。

私は、経験に自ら与えられる意味って、たかが知れているような気がするんだ。

人間は時に1人ではどうしようもないような、濁流のような感情エネルギーを抱えてしまうことがある。

それを自分1人の意味付けだけで乗り切るのは無理だよ。

1人ではどうしようもないようなエネルギーは生まれてしまう。

そして、それは、放出できなければ滞留する。

落ち着いて、自分で自分の経験に意味付けができるようになるには、少なくとも、濁流のようなエネルギーが放出できた後だと思うんだ。

誰かに手伝ってもらいながらね。

アドラーは承認欲求を否定する

アドラーは、他者の希望を満たすような生き方を否定する。

そして、「自由とは他人に嫌われることだ」と言い切る。

この言葉、すげぇ切れ味だなよなぁと思う。

他人に承認を求めることは不自由。

他人の評価で自分の心を支えようとするのは合理的じゃない、ってことだな。

ふむ。

人は自分に価値があると思えたときにだけ、勇気を持てるっていうアドラーの言葉は、上に書いた。

さらに、

人は「わたしは共同体にとって有益なのだ」と思えたときにこそ、自らの価値を実感できる。

そして、

他者から「よい」と評価されるのではなく、自らの主観によって「わたしは他者に貢献できている」と思えること。そこではじめて、われわれは自らの価値を実感することができるのです。

とどめに、アドラーは、幸せとは貢献感だといっている。

うーん、わかりやすい。

ここもすごい切れ味だ。

他者に、共同体に、貢献できているかどうかを自らの主観で考える。

自分が貢献できているかどうかを、他者の評価で決めないってのがミソだな。

そんで、自分が貢献できていると実感できていれば、他者から嫌われることもさほどこわくなくなるってことだ。

このあたりは、何となくわかる気がするし、拠り所にできそうな考え方だなって素直に思えたな。

アドラーは「共同体感覚」が大事だと言っている

アドラーは、みんなみんな敵じゃなくて、共同体・仲間だって感じられると自分の居場所を感じられて楽だよって言ってる。

その共同体感覚は宇宙とか、無生物とか、過去とか未来まで含む感覚なんだそうだ。

まぁ、そういう大きさで物事を考えることは私も嫌いじゃない。

で、個人的に面白かったのが、アドラーがこの共同感覚を提唱したら、それまでの協力者が結構離れていったんだってさ。

ちゃんとアドラー自身も、嫌われながら生きてる。

多分、見えてたと思うんだよ。

そんなこと言っちゃったら、人が離れていくの。

それでも自分がそうだと信じたから、提唱した。

アドラーは、それが、広く共同体にとっての貢献になると、自分で信じられたから、嫌われるとわかっていても提唱できたんだ。

なんか、ここ読んだとき、ホッとしたんだよな。

アドラーは、自分が世界の中心であることを否定する

アドラーは、自分自身に、特別感を求めることを否定する。

普通である勇気。

あの・・・私、王を名乗っちゃってますけど・・・。

でもまぁ、私は人類皆、王様だと思っているからな。

王様は普通だ。

うん。

問題ない。

アドラーは、過去と未来を否定している

これも、すげぇと思うんだよ。

過去も未来もない。

今を生きよ。

仏教とかにもある考え方だけどね。

なんか、私には、この言葉に響くものがあったんだよな。

過去の否定は別にそうでもないんだけどね。

未来を否定されたときに、グッとくるものがあった。

私は、今、未来から不安を感じているからだ。

不安は未来からやってくるし、その根っこにある「死」も未来からやってくる。

だから、未来を否定できちゃうなら、死のとらえかたが変わってきちゃうんだよね。

それって一大事なんだよ。

生死

仏教でも生死(しょうじ)って考え方があって。

人間は、生きると死ぬを切り離して考えられるものではなくて、一秒一秒、刻々と死んでいってるんですよ、ってやつね。

だけど、これって、そうそう簡単に実感できるものではなくて。

先生が昔、「私は死ぬときは、死にたくなーい!って泣き叫びながら死にたいんですよ」って言ってた。

それ聞いて私、ものすごく安心したことを覚えている。

あぁ、死にたくなくていいんだなって。

あぁ、どんなに哲学深まっても、死はこわいままでいいんだなって。

今にスポットライトを当てて生きよ

アドラーは、今に光をビカーッってあてれば、過去も未来も見えなくなる。

刹那に生きよって言う。

ふむ。

未来って切れるのかな・・・。

こえーよ。

未来もこえーし、未来を切るのもこえーよ。

なんだろう。

少し違和感あるんだよな。

別の方法を探したい感じ。

明るい未来を想像して引き寄せるとか、そっちを求めているとかでもないんだ。

今ここ。

刹那。

過去も未来もない。

うーん。

連続性の否定がきついんだな。

連続性の実感

人生を、自分を、点でとらえるのって、無理ない?

過去やっていたことが今を創っていて、今やっていることが、未来を創る。

私はこの感覚から離れられない。

この連続性こそ私じゃないか?

実感としてはそうだよ。

たとえそれが苦しみの種になっているとしても。

この連続性こそ私である、と実感してるんだよ。

私は、人生は、点ではなく、線であるということを実感しちゃってるんだよ。

 

常識外れ

うん、多分、アドラーや、仏教が言っていることは常識外れなんだな。

常識の真逆なんだよ。

人生を線でとらえるのが常識的思考、つまり科学的思考。

人生を点でとらえるのがアドラーとか仏教の思考、多分事実をありのままに求める思考。

科学的思考で事実から人生を離して考えちゃうと、すげー苦しいですよってことだ。

でも、今の世の中の偉い人は、めちゃくちゃ科学的思考で生きているような気がするんだよなぁ。

だから、少なくとも、現代でも、嫌われる勇気がなきゃ、常識外れの事実にはたどりつけなさそうだってことだ。

1日ごとに死ぬ

うーん。

1秒ごとに死ぬっていうのは、なかなか難しいだろうから、まずは、1日ごとに死ぬという感性から育ててみようか。

今日の私とは一生のお別れである。

その事実にリーチする感性を育ててみようか。

冥王はアドラーをインストールしました おわりに

私的に刺さったところ

  • 自分の価値は共同体への貢献で決まる
  • 貢献したかどうかは自分の主観で決める
  • 幸せは貢献感
  • 過去も未来もない

自分なりの貢献ってやつを意識できると、生きやすくなるんだなぁって、なんとなくわかった。

しかも、貢献の対象は、結構幅広くて大丈夫っていうのもいいよね。

他人の評価を気にせず、自分軸で貢献することこそ、幸せへの道。

これは、わりとホッとできる考え方だと思った。

あとは、未来だよなぁ。

未来を切る。

線ではなく、点で生きる。

いや、点で生きているという事実に感性を届かせる

ふむ。

とりあえず、今日の私は、今日死にます。

明日、また初めての私でお会いしましょう!って感じだな。

しかし、あれだな、こんなに常識を外れたことを言っていたアドラーが、本当に自分の事を普通だと思っていたんだろうかね?

疑問だわ。

 

冥王 黒田明彦でした。

私のエネルギー、もらってね。