カウンセリング

出会えました。母が大好きな、大好きな自分に。

今回の記事は、カウンセリング学習仲間とのロールプレイ学習によって、色々な気づきが得られましたので、それを書いていきたいと思います。

特に後半部分は、自分の意志だけではなかなか到達できない、ロジャーズの言う、いわゆる変性意識状態で書かれた貴重な記事です。

興味のある方は読んでみてください。

母親との関係克服~母と他人になるカウンセリング~母親との関係克服~母と他人になるカウンセリング~ 母との関係が苦しい。 母が嫌い。 母のせいで私の人生は滅茶苦茶に...

言えなかった言葉は壁になる

2人だけで行った、1対1のカウンセリングロールプレイ学習。

たまたま、他の参加者がいなかったので、1時間ずつ、カウンセラー役とクライエント役を双方がやるという会になった。

まずは、私がカウンセラー役をやった。

そのときの私のコンディションは、さほど悪くはなかったように思う。

しかし、カウンセラー役の序盤、私は、相手の言葉のすがたをごっそりと落した。

直後にクライエント役の相手が指摘する。

クライエント役「A、B、C、があって、Dになったんです。」

カウンセラー役「Dになったんですね。」

クライエント役「A、B、Cがあったって言ったんだけど…、そこは落していくんですね。」

こんなやりとりがあった。

確かにそのとき私は、上手く聞き受けられなかった部分を相手に聞き返すことも、確認することもなく、スッと通り過ぎてしまった。

その私の動きに対する相手の鋭すぎる指摘に対し、私はグッと硬くなった。

鋭すぎる相手の指摘にギョッとした。

私の身体はそんな反応をしたが、それが関係の中で私の声にならなかった。

相手との関係の中で生まれた、私の鋭い身体の反応が、私の言葉にならず、声にならないと、その声にならなかった言葉はそのまま、相手との関係の壁になる

そこからずっと私とその相手との間に壁が出来てしまった感じになった。

 

身体が刺激を受けるのは一瞬の出来事

そして、それが言葉にならず、飲み込み、そのまま相手との関係の壁になってしまうのも一瞬の出来事。

しかし、その壁は、私のカウンセラー役が終わり、クライエント役も終わったあとの振り返りの時間まで私を相手からずっと守ってしまっていた。

一瞬のやりとりで、長い時間の壁が生まれる。

そんな私の敏感な動きにやれやれという気持ちにはなったが、結局はその相手との間で私のその身体の動きを言語化でき、共有化できたので、貴重な学びになった。

相手との関係の中で言えなかった言葉は、そのまま壁になる。

誰かに教えたくなるような、非常に新鮮で、生きた学習が生まれた。

聞かせていただくエネルギー

私のカウンセラー役の序盤で、私の中で生まれた相手との関係の壁が終始影響していたからかもしれないが、私のカウンセリング役が終わった後の振り返りで、相手から、「私のことを本当に聞きたがっている?私の語りに対して聞こうとする熱、関心をあまり感じなかった。」というような感想をいただいた。

正直私は、どう答えていいかわからなかった。

頭をよぎったのは、無条件の肯定的関心と、一致性という言葉。

確かに、今日の私は冷めた心で相手の言葉のすがたをたどっていたのかもしれない。

その態度は意欲的ではなかったのかもしれない。

エネルギッシュではなかったかもしれない。

それは、ある程度自覚できる。

 

しかし、どこか腑に落ちないところもあった。

1つの観点は、語り手のエネルギーと、聞き手のエネルギーに大きな差があったか?ということ。

私の感じるところではさほど大きな差はなかったように思う。

あらためて思うに、語りが深みに向かうには、相応のエネルギーが必要なのだろう。

私がこのとき感じたのは、グループワークの時と違って、1対1の関係だと、まわりからのエネルギーの触発が極めて少ないということ。

別に特別なやりとりがなくとも、そこに何人かの人がいるだけで、エネルギーは生まれる。

その場に1対1しか人がいないと、そもそも、エネルギーの起こりが少ないのだ、ということ。

クライエント役の人もそれをうっすらと感じていたのではないだろうか。

だから、クライエント役は、カウンセラー側の熱への期待がいつも以上に高まったのではないだろうか。

カウンセラー側に熱があれば、その熱にのって深みにいけたかもしれないから。

 

しかし、カウンセラー側には期待した熱がなかった。

実は、私としては、クライエントに熱があったら、それにのっていけるのにな、という感じがしていたのだ。

 

確かに私は冷めていた。

しかし、少なくとも、お互いが、お互いをのせていけるような熱をもっていなかったというのが現実だったように思う。

 

私としては、今後も1対1のカウンセリングをやる機会は増やしていきたいと思っている。

グループワークの時と、1対1のカウンセリング時では私のエネルギーのノリが違うなということは、そういえば感じていたことだ。

それはたとえば、電話カウンセリングのときも感じていた。

 

エネルギーのノリが違えば、カウンセリングの影響力も違う。

これは、少し考えなくてはいけないかもしれないなとあらためて思った。

 

語りが深みに向かうには相応のエネルギーが必要。

しかし、1対1の関係では、グループワークに比べて、エネルギーの起こりがそもそも少ない。

 

さてどうする?

非常に興味深い課題が浮かび上がった。

壁にふれなければ、壁は守り続ける

なかなかない貴重な機会だが、私も1時間クライエント役として語らせてもらった。

序盤に相手との関係の間に生まれた壁の影響もあって、私は特に語り始めは、カウンセラー役の相手のレスポンスを終始頼ろうとせず、どちらかというと拒否的だった。

しかし、1時間のカウンセリングの間は、お互いにその壁をうっすらと感じながらも、それに直接触れることができなかった。

関係に壁があるときは、どれだけカウンセラー役の相手が強い意志をもってレスポンスをしてくれていても、それが邪魔になるというぐらいの感覚が私にはあった。

非常に難しく、繊細なやりとりになるが、相手との関係に違和感を感じるときは、その違和感を積極的に取り扱うことなしに、関係が深まることはなさそうだ。

 

今回でいうと、私の壁に、どちらからでもふれることができなければ、カウンセリング関係に進歩は生まれにくかったということだ。

今回、私がその壁について言語化することができたのは、私の一時間の語りが終わった後の、相手との雑談めいた振り返りのときだった。

ちなみに私の壁は、相手がしっかり受け止めてくれたということもあって、言語化できた瞬間に、キレイに消失した。

すべては母につながっているということをおおめにみる

壁が守るままの1時間の私の語りだったが、その語りの後半に、チラッと母の話が出た。

そして、お互いのロールプレイが終わった後の振り返りを交えた雑談の中、話の流れで、

 

「黒田さんの生身が見えない…。」

 

相手とのそのような言葉のやり取りがあった。

 

私にしてみれば、私はいつだって生身なんだけどなぁと思う反面、なんか、ちょっと、思い当たるふしがないこともなかった。

 

たとえば、母の話をするとね、僕はいつも泣いてしまうんだ。

だけど、僕は泣きたくないんだ。

泣くということに抵抗がある。

泣くと変わってしまうから。

それは、僕を楽にしてくれる変化だと頭ではわかっている。

だけど、変わる瞬間はいつだってこわいし、

身体は変わらないように変わらないようにと頑なになる。

だから、母の話は避けてしまうんだよ。

たとえ、それが僕の生身にふれるところであってもね。

 

相手は、その私の言葉を聞いて、

「黒田さんの母に対する思いに、”とても”という副詞では到底言い表せないような、強い思いを感じました。」

と、応じてくれた。

 

何かね…。

 

私が抱えているエネルギー。

 

私に滞っている強烈なエネルギーを。

 

私以上に感じてくれた気がした。

 

その相手の反応に、

 

分かってもらえたとか、

 

嬉しかったとか、

 

そんなものを超えた感覚。

 

照れずに、隠さず言うのなら、

 

不思議な愛しさを感じた。

 

 

結果的に、私は、その後、1時間以上にわたって、母との関係について聞いてもらった。

 

相手は、自分の話をしたがろうともせず、私の語りを聞いてくれた。

 

大事にしながら、かつ、形式にこだわることなく。

 

僕は…、

 

僕は…、

 

今の僕の生きづらさが、

 

今の僕の苦しみが、

 

すべて母につながっていくような感じがあるのが嫌なんだ。

 

僕は母のせいで苦しんでいる。

母との関係のせいで、生きづらくなっている。

母のせいで今の僕になっている。

なにか感情が高ぶると、いつもそれが母との関係を想起させる。

 

そんなふうに感じてしまうことを拒絶しているんだ。

 

もういいんだ。

もう大丈夫だよ。

 

僕は僕だから。

もう、大丈夫なんだよ。

 

母さんのせいじゃないから。

僕はもう大丈夫なんだ。

 

そう言ってあげたいんだ。

 

このあたりが声になって、少しはっきりしたところがある。

母さんのせいじゃない、という言葉が、覆い隠してしまっている思いがある。

母さんのせいじゃないという言葉では、留まったままになってしまうエネルギーがある。

 

「諦めた。」

 

私にはそんな感覚がずっとあった。

 

何を諦めたのだろう?

 

それがここで、はっきりした。

 

 

私は、母を好きであることを諦めていたんだ。

 

私は、母を好きになることを絶望していたんだ。

 

私が小さな頃は、本当に母が大好きだった。

 

だけど、母との関係は、

 

一心同体だった母と私は、

 

2つにちぎれてしまった

 

その強い痛みが、そのどうしようもない喪失感が、

 

私が母を好きになることを諦めさせた

 

 

私は、母が好きな私が好きだった。

 

私は、母を好きになれない私を決して好きになることができなかった。

 

私を好きになれない私は、他の誰をも好きになることができなかった。

 

すべては、母を好きであるというところにつながっていた。

 

私のエネルギーの源は、母を好きであるというところであった。

 

にわかには受け入れがたいが、腑に落ちてしまう。

 

 

もう大丈夫なんだ。

 

私は、もう、母を好きになっても大丈夫なんだ。

 

2つにちぎれてもなお、

 

いや、2つにちぎれたからこそ、今、母を愛することができる。

 

すべては、母への思いにつながっている。

 

母を好きになることを諦めるということは、私にとっては、宇宙全体を好きになることを諦めるということと同じ意味だった。

 

そんな迫力なんだ。

 

 

 

私のエネルギーの源を知った。

 

明日になったら、どうなるかはわからないけど、

 

すべては母につながっているという感覚を

 

おおめにみることぐらいはできそうだ。

 

 

終わりに

自分のことがわからない。

もし、あなたにそんな感覚があるのなら、それは、自分の中の見たくない何かの存在を教えてくれている感覚かもしれません。

 

思いがけない何か。

当の昔に諦めて、すっかり忘れてしまっているものの何かに、その答えは隠れている。

だけど、その答えには自分一人で出会うのはとても難しい。

 

本人には出会いたいという意識すらないのだから。

いつだって意識はその周辺をキレイに迂回していく。

 

もし、それでも、

あなたが、その答えに出会っていけるときがあるのだとしたら、

それは、そこにあなた以上にあなたに出会いたがっている他人の存在があるときなのかもしれません。

 

 

安田さんありがとうございました。

 

お陰様で久しぶりに出会えました。

 

母が大好きな、大好きな自分に。

 

多感な凡人 黒田明彦

 

 

 

 

逆エンパスに関する小さな電子書籍を日本で初めて書きました。

母との強烈な結びつきを生んだのも、私の逆エンパス性が関係しているかもなぁと思ったりもします。

因果なもんです。

 

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