感情

怒りの感情のコントロールの体験的理解

現代はストレス社会と言われて久しいようですが、比較的多くの人が自分の感情をコントロールできないという憂い、自分の感情をコントロールしたいという願望を持っているようです。しかし、自分の感情をコントロールするということは、実際にはどのようなことを言っているのでしょうか。

今回の記事は、怒りの感情にスポットを当てて、その感情のコントロールについていろいろと考えていきたいと思います。

母親との関係克服~母と他人になるカウンセリング~母親との関係克服~母と他人になるカウンセリング~ 母との関係が苦しい。 母が嫌い。 母のせいで私の人生は滅茶苦茶に...
感情の種類について感情の種類について、感情を表す言葉の意味をまとめ、感情体験・感情感覚について独自の考察をしてみました。 1、感情を表す言葉の意味一覧 ...

怒りの感情のコントロールの前に

まずはコントロールの意味について調べてみます。

コントロール(control)

支配、制御、統制。

 

支配

個人ないし集団が他の個人ないし集団を自己の意思,命令,行動に服従させることをいう。支配には少くとも暴力,利害関係,説得の3つの契機が介在している。

制御

相手を押さえて自分の思うように動かすこと。

統制

まとまりのない多くの物事を一つにまとめおさめること。

コントロールという言葉にはいくつかの意味があるようですが、支配・制御と、統制大分ニュアンスが変わってきますね

さて、私たちが感情をコントロールしたいと言うとき、または、コントロールできないと言うとき、その感情を支配、制御したがっているのでしょうか?それとも統制したがっているのでしょうか?

怒りの感情のコントロールとEQ

少し話はそれますが、感情のコントロールの話になると、わりと見かけるのがこのEQという言葉です。

EQ

心の知能指数(Emotional Intelligence Quotient)は、心の知能 (Emotional Intelligence、EI) を測定する指標である。心の知能とは、自己や他者の感情を知覚し、また自分の感情をコントロールする知能を指す。

興味深いなと思って調べてみましたが、EQは実質的には協調性を計測しているのではないか、という批判もあるそうで、実際多くの心理学者は、EQを知能の測定基準のひとつ(IQのような)とは認めていないそうです。

ところで、たとえば私はEQが高い人は感情のコントロールが上手にできるとか、もっと単純に言うなら、メンタルが強い人はこうだとか、メンタルが弱い人はこうだというような一般的な判断基準を見るたびに、痛切に感じることがあります。

それは、日々10~20の感情エネルギーをさばきながら、悠々と社交的、協調的な生活をおくっている人と、日々100~200の感情エネルギーをさばきながら、生きていくためにギリギリの社交と協調を保ちながら暮らしている人を、同じ基準で、EQが高いとか、低いとか、メンタルが強いとか弱いなどと判断してよいものでしょうか、ということです。

人間の感受性には大きな差があるにも関わらず、その部分が全く考慮されずに単純におもてに現れている行動だけを見て、心の知能指数が高いとか、低いとか、メンタルが強いとか弱いとかいうのはナンセンスなんじゃないかと思うのです。

怒りの感情をコントロール(支配、制御)したいという思惑について

話を戻しますが、コントロールという言葉を、支配・制御というニュアンスでとらえて考えるとき、たとえば、怒りの感情をコントロールしたいというときは、怒りの感情を服従させ、自分の思い通りにしたいということになりますね。

怒りは2次的な感情であるなどとよく言われていますが、私にはあまりピンときません。しかし、怒りの感情は明確な役割をもつ感情である、ということは私にもわかります。

怒りの感情には自己を防衛するという役割があります。

さて、人間社会において怒りの感情によって自己を防衛するとはどういうことでしょうか?

それは、対象を威嚇し、対象を思い通りに動かすための気迫あるエネルギーを放つ、ということです。

怒りの感情は、対象を思い通りに動かそうとするエネルギーそのものとも言えます。つまり怒りの感情とは、そもそも対象を支配・制御しようとするはたらであるように思うのです。

怒りとは、対象を支配・制御しようとするはたらきである。

だとすれば、怒りの感情を支配、制御しようとするのであれば、対象(多くの場合は身近な相手)を支配、制御することを、支配、制御すればよいわけです。

怒りの感情を支配、制御するということは、相手を支配、制御しようとするはたらきを支配、制御するということ。

具体的にはどうすればいいのでしょうか?

単純にいうと、怒りの対象になっている相手を、自分の思い通りに動かそうとすることをあきらめればよいのです。対象を思い通りに動かすことをあきらめきれれば、怒りの感情の必要性がなくなります。

怒りの感情の支配・制御の例

ビフォー

約束の時間なのに彼が1時間遅刻すると連絡してきた。マジ許せない。別れる。もう別れる。(怒)

アフタ

忙しい彼が時間通りにくることなんてあきらめているから、別にどうでもいい。というか、私たちは、今日ちゃんと出会えるのかしら?ま、いっか~。(涼しい顔)

このように、対象を思い通りに動かすこと(例の場合は彼を約束通りに行動させること)をあきらめきれれば、怒りの感情の出番はありません。

人間は相手が思い通りにならないから腹が立つのではなく、相手を思い通りにしようとしているから腹が立つのです。

理屈上は簡単ですよね。

ただ、私のこれまでの経験からいうと、対象を思い通りに動かそうとすることをどの場面でもあきらめきること、つまり怒りの感情の根を絶やすことは不可能だと思っています。

現代社会は基本的に信用で成り立っています。この信用というもののはたらきは、対象がある程度思い通りに動くという予想のことなのです。

社会が信用で成り立っているのに、私だけがそのシステムの外に出続けているということはなかなかに難しいです。

そういう理由から、私は、怒りの感情を支配、制御しきることはほとんど不可能であると考えています。

怒りの感情をコントロール(統制)したいという思惑について

コントロールという言葉を、統制というニュアンスでとらえて考えるとき、たとえば、怒りの感情をコントロールしたいというときは、怒りの感情を自分として一つにまとめおさめたいということになりますね。

怒りの感情を自分のものとしてひとつにまとめる。それは、今自分は怒っているということを認めることから始まります。

それはつまり、今、私に相手を思い通りにしたがっているというはたらきがあることを認めることです。ここがミソですね。

自分の怒りの感情を認めるということは、今自分に相手を思い通りにしたがっているというはたらきがあるということを認めること。

相手を思い通りにしたがっているというはたらきが、自分のものとして認められたときは、そのはたらきのままの行動が自主的、自覚的にできるようになります。

そのはたらきを自分のところとしてしっかりおさめられれば、腹を据えて、相手を思い通りにさせるような行動を自らとれるというわけです。

簡単に言えば、私のためにこうなって!ということを具体的に相手に要求・提案ができるわけです。怒りの感情はそれを促進するためのエネルギーなのです。

怒りの感情の統制の例

ビフォー

約束の時間なのに彼が1時間遅刻すると連絡してきた。マジ許せない。別れる。もう別れる(怒)

アフター

また…遅刻…。頭にきた…。私は彼とのデートをどれだけ楽しみにしているか言ってやる!そして、私との時間をもっと大切にしてほしいと要求する!もう私は怒っているんだから!(怒)

怒らないこと、とにかく怒りをおさめることが大事なのではなくて、この要求が、自分にとってどれだけ大事なものであるかということを自覚し、それを彼に伝えることが大事なのです。怒りとは、彼にそれを伝えるため、そして、彼に自分の要求を通そうとするための原動力です。その要求が自分にとって大事であれば大事であるほど、そのエネルギーも強くなるのです。

怒りの感情がやってきたときは、自分がその怒りの感情の向かっている対象に対し、どのような要求を持っているかをはっきりさせ、その要求を満たすような行動をとること。これが怒りの感情の統制です。

ちなみに相手に対して自分に具体的な要求があることをいつまでも自覚できないときは、その要求のための具体的な行動をいつまでもすることができず、それを達成するためのエネルギーである怒りの感情もなかなか無くなりません。

怒りの感情はコントロール(統制)しにくく、抑圧されがち

特に感受性の強い人にとっては、怒りなどの激しい感情の統制は難しいです。

感受性の強い人は他者の感情に敏感であり、日々そこから大きな影響を受けています。

そして、自分の感情が他者に与える影響も非常に大きなものであると考えることが自然であるからです。

他者の怒りの感情から10の影響を受ける人は、自分の怒りの感情が他者に与える影響も10ぐらいだと思え、他者の怒りの感情から100の影響を受ける人は、自分の怒りの影響が他者に与える影響も100であると思えてしまう

例をあげてみます。

感受性の強い人の怒りの感情の抑圧の例

ビフォー

約束の時間なのに彼が1時間遅刻すると連絡してきた。マジ許せない。別れる。もう別れる(怒)

アフター

また…遅刻。許せない。許せないけど私が怒ると彼をとても傷つける。彼を傷つけるのは悪いことだ。私のこの感情は悪い感情だ。私は怒っていない。だけどなんだろうこのモヤモヤする感情は、私は気分が悪い。私は私がこわい。私は彼が怖い。私は自分が嫌い。私は…私は…。(不安、混乱etc…)

強い感情が統制できず、自分の一部として感じられずに抑圧されてしまうと、その感情エネルギーの分だけ自分が不安になり、緊張が高まっていきます

このように感情を抑圧し続けてしまうと、どんどん人間関係において自分にとっては理由の不明な不安、緊張が強まっていってしまうのです。

また、怒りのエネルギーを抑圧してしまいがちな人は、対人関係において、自分にとって必要な要求を相手にするエネルギーが極端に不足してしまいます。相手を傷つけまいとするために、自分を守る正当な方法が取れなくなってしまいがちなのです。

感受性が強い人の怒りの統制の仕方

感受性の強い人は、怒りの感情がわいた瞬間に抑圧するという癖がついていることがあります。怒りの感情がわくようなシチュエーションで反射的に自責の念が湧いてしまう人は、自分の怒りの感情の抑圧癖を疑ったほうが良いかもしれません。

さて、どうすれば怒りの感情を抑圧することなく、統制することができるでしょうか。

感情の抑圧は自動的、瞬間的に起こってしまうわけですから、抑圧が起こってしまったあとに、思考の力でなんとか修正を試みるしかありません。

まず一つ、常識的に考えて自分が怒るのが自然だというシチュエーションに出くわしたら、悩み、落ち込みながらでも構いませんので、自分は怒っているのかもしれないと頭で考えてみてください。

次に、たとえばその怒りの感情によって自分が相手に要求したいものはなんだろうかということを頭で考えてみてください。

さらに、相手に対して、とにかく自分のその要求を伝えることをイメージしてください。

もし、そのとき自分の態度が怒りの感情に包まれてしまったとしても、相手が自分の怒りの感情から受ける影響は、自分がそうされたときの半分以下であるというイメージを持ってください。

そして、実際にどんな声色、態度になっても構わないので、相手に対してその要求を伝えてみてください

最後に、その時の相手のリアクションを純粋にあなたの感性で感じてみてください。何か発見があるかもしれません。

この場合、自分の怒りの感情そのものにスポットを当てることよりも、自分の要求を正当に主張するということにスポットを当てたほうが楽かもしれませんね。

しかし逆に言えば、自分の要求を正当に主張することができるようになっているときは、ほとんど怒りの感情を統制できていると言っても良いのです。

怒りの感情のコントロールの一つ、怒りエネルギーの散らしかた

怒りの感情は自分の要求を相手に伝えるためのエネルギーであると考えてきました。しかし、社会のなかで、様々な人間関係があるなかで、自分の要求を必ずしも相手に通すことができるとは限りません

相手に要求することをあきらめられず、かつその行動が満足にとれないとき、その行動のための強いエネルギーである怒りの感情を私たちは持て余してしまいます

そんな持て余した感情エネルギーの散らし方をいくつか簡単に紹介しておきます。

怒りの感情エネルギーを散らす方法

・できるだけ、その怒りの対象から離れ、静かな場所に移動する。

・深呼吸をして心を整える。

・好きな音楽を聴いたり、好きな香りをかいだりして、気分を切り替える。

・散歩をして、外の空気をすう。

・喚起をして、空気、気分(エネルギー)の入れ替えをする。

・日記をつける。怒りの原因を紙に書いておく。

・身体を動かしたり、睡眠時間を多くとる。

・怒りの度合い(要求の度合い)を絵や図形で表現し、緊迫度を冷静に眺める。

・落ちける人とおしゃべりをする。(グチる)

・その他ストレス解消方法を自分なりに試みる。

これらの方法は、あくまで、一時的に怒りのエネルギーを散らしているにすぎません。

基本的には、怒りの感情が向かっている対象に自分の要求が通せなければ、(要求の度合いが小さければ別ですが)、怒りの感情はまたわいてきます怒りの感情はその要求を通すためのエネルギーであるからです

大事なのは、要求が通らないかもしれないと思えても、その要求を相手に伝えてみるということです。どんな形(できれば社会的に好ましい形)であれ、その要求を相手に伝えることができれば、もしそれが通らなかったとしても、その要求を通すことをスッパリあきらめることができる可能性がでてくるからです

あきらめることさえできてしまえば、今後はその要求は必要がなくなり、怒りの感情もわかなくなるのです。

怒りの感情のコントロール、終わりに

今回の記事は感情のコントロールの方法ということで怒りの感情について考えてみました。社交の場において怒りの感情をまき散らすことは非常に迷惑なことであるように思われるかもしれません。

しかし、迷惑なのは怒りの感情の本来の役割を見失い、自分の要求の自覚もできず、ただただ、攻撃的な態度だけが野放しにされている状態のときだけです。

健全な社会、組織においては、それぞれの人間の強いエネルギーを伴った要求が、ひとつひとつ尊重され、大事に検討されるべきだと思います。

そういう社会に少しずつなっていくためにも、まずは自分自身が自分の強いエネルギーを伴った要求をしっかりと大事にすること。そして一方では、その自分の要求の妥当性を常に検討できるようでありたいと、思うのでした。

 

 

【黒田明彦の著作一覧はこちら】日本で最初の逆エンパス本あります。
https://www.amazon.co.jp/s?i=digital-

AmazonKindleアプリにて
『読み放題』で読めます!

 

電子書籍の読み方はこちらの記事に詳しく紹介されています。
https://www.tabishirube.com/howtoread.html

 

 

【学習者になろう!】 聞かせていただく人になる道学習者とは? 新しい自分に出会っていきたい。 自分の人生の責任を他人に明け渡したくない。 純粋な他者と出会い、触発...
問い合わせ・質問フォーム不明な点、不安な点、質問がある場合は、こちらから遠慮なくお問い合わせください。 問い合わせ、質問お待ちしています。 カウンセ...

Line@では、ブログ更新のお知らせをしたり、新しい学習のお知らせをします!無料カウンセリングのお知らせも定期的に行います!興味のある方はクリック!

友だち追加