感受性が強い・繊細

感度の高さに苦しむ人へー感度の高さについての経験的理解

今回の記事は感受性の強い人、その中でも特に感度の高いことに苦しんでいる人に向けて書いています。

この記事で伝えたい大きなテーマは、苦しみから逃げず、苦しみを常とする、という価値観です。興味のあるかたはご覧になってください。

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感受性の高さと、感度の高さの違いについてはこちらの記事に詳しく書いています。

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簡単なおさらい

感受性とは、刺激に対する反応のしやすさ。

感度とは、環境の変化を刺激としてとらえるはたらき。

感度が高い苦しさ、刺激を感受するということ

感度の高い人は他者よりも多くのものを刺激として感受してしまい、苦しい思いをしてしまうことがありますが、刺激を感受することと、感受している刺激の対象を自覚できているということは別です。

多くの刺激を知らず知らずのうちに感受してしまう感度の高い人にとっては、そこに何があり、自分が何を感受し、そしてどんな影響を受けているかということを理解し、整理し続けていくことはとても大事なことです。

感度が高い人は、刺激の対象を認めてから、自分の意志で感受しているのではありません。感受してしまった後に、刺激の存在に気づくのです。必ず感受の方が先です。まずはこの順番を理解しましょう

自分が何を感受したのか、そしてそれからどんな影響を受けているか、そしてどう対応する必要があるか。それを知ることができるのは、すでに感受してしまった後です。

苦しみを感受する⇒自分に苦しみを与える刺激の存在に気づく。

また、感度が高い人にとって、多くの場合、隣にいる誰かは、自分と同程度の刺激を感受していません。

自分が感受した刺激について、誰にも教えてもらえません。その刺激に自分で対処していくためには、自分が感受している刺激に、自分自身が一番敏感にならねばならないのです。

そのせいもあって、感度の高い人は、刺激に対する身体の反応への洞察力と、情報処理能力がぐんぐんと育ちます。また、物事を率直にとらえること、大づかみにとらえることが上手になっていくと思います。

感度の高さに苦しむ人のための、良好な人間関係を作るための方法

面と向かった相手から迫るように伝わってくる刺激と、相手が態度や声に実際に表しているところ、つまり、こちらが感受している相手からの刺激と、相手が認識している相手自身というのは常にズレが生じます。

では、こちらがどちらに真実味を感じるかというと、こちらが直接感受している刺激のほうなのです。自分自身が実際に感じている刺激なのですから当然ですね。しかしこのズレは人間関係においてはとても厄介なのです。

ただでさえ、あらゆる場面で、その相手よりも自分の方が多くの刺激を感受しているという自覚があるものですから、こちらの心情としては、こちらの感受は正しい、相手の認識は間違っている、と言いたくなってしまうんですね。

相手は他でもない自分自身の認識を語っているわけですから、間違いなく正しいです。しかし、こちらも自分の実感にもとづいた認識で指摘しているわけですから正しいのです。正しいもの同士がぶつかると喧嘩になります。立場が違えば戦争にだってなるかもしれません。

相手との関係を良好に保ちたいのであれば、こちらが感受している刺激のほうではなく相手の認識の方を大事にしなくてはなりません。相手との関係は、こちらが感受している刺激にもとづいて結ぶのではなく、相手の認識にもとづいて結ぶのです。

こちらが相手から感じている刺激と、その相手の認識をしっかり分けて理解することはとても大事なことです。

間違えてはいけないのは、こちらが相手から感じている刺激も現実である、ということです。

ただ、相手との良い関係を作るためには、そのこちらの現実を相手に押し付けるのではなく、相手の認識を相手の現実として受けとめるということが必要なのです。相手は、よっぽどこちらを信頼していない限り、自分の認識していない自分を自分と認めることはできないのです

こちらが相手から感じている刺激はこちらの現実相手の認識は相手の現実。それをしっかり分けたうえでコミュニケーションをすること。それが感度の高い人が良好な人間関係を作るための方法です。

良好な人間関係を作る方法

私が相手から感じている刺激は私の現実。相手の認識は相手の現実。それをしっかり分けたうえでコミュニケーションをすること。

感度の高さに苦しむ人へのメッセージ

ある程度の感度の高さがあると、勝手に拾ってしまう刺激が多すぎて、とにかく、とにかく疲れてしまいます。

ですが、すべての刺激に反応しなくてもよいのだということを体験的に学べると、少しだけ日々の暮らしは楽になります。感受している刺激に対する反応を積極的に抑えるイメージです。

ただ、これは必要、これはいらない、と刺激の感受そのものを意識的にコントロールできるようになるわけではありません。

目に見えない刺激の認識は、感受の後。つまり感受自体は自分の意志では制御できません

ですが、感受してしまった刺激への反応を小さくすることはでき、過剰な精神生活を抑え、日常生活を楽にすることはできるように思うのです。

ここで少し、感度の高さに苦しんできた私が、カウンセリングの学習と、日々の生活の中で学んだ、いつくかのイマジネーションの言葉を書きだしてみます。

もらった刺激は、返さずに捨ててもいい

見えて、聞こえて、感じても、なにもしてあげられなくてもいい

助けてあげられなくてもいい

冷たい人間でいい

その冷たさが人を救うことすらある

感じていること、嘘つかなくてもいい

私は、私のままでいい

さびしい

孤独

だけどその孤独を一生懸命埋めようとしなくていい

その孤独そのものを事実として誰かと共有できればいい

みんなとはできなくても

誰かとは必ず共有できる

そんな瞬間はきっとくる

感度の高いことの特別性について

自分が感受している刺激を、多くの他者が全く感受していない。それはなんともヤキモキする経験です。

しかし私は、私が他者より余計に感受している刺激には、基本的には価値がないということを痛い程経験してきています。

残念な話です。希少であるのにそのままでは価値がないなんて。

私にしか見えないダイヤモンドは、他者にとっては路傍の石ですらない。

こちらが感受している刺激、その反応に、積極的に興味を示し、価値を感じてくれる人はごくごく少数の、非常に感性の豊かな人だけです。

それを多くの他者に望むことは現実的ではありません。

もし、自分が余計に感受している刺激を多くの人にとって価値あるものにしたければ、まずはその刺激を、表現豊かに具現化し、他者にもその刺激を疑似的に感じさせ、共有させる必要があります。

それはとてつもない労力と才能のいることです。

感受性が高く、感度の高い人の中で、極端な成果をだし、歴史的な評価を受けているような一握りの人たちは、感受性のみでそのような結果を出しているわけではないと思います。

感受性に加えて、抜群の表現力や、圧倒的な創作意欲や、何かに固執できる才能があってこそ、極端な成果は生まれます。

感度が高い人の苦しみについて

生きることは苦しいことである。

感度が高い人はこれを痛いほど感じながら生きているのではないでしょうか。

しかし、現代社会は、生きることは苦しいことであるということを一生懸命否定しなくてはならないようになっています。

皆が皆に合わせて、生きる苦しみに鈍くなることを目指さないとならない。

感度が高いのなら、それを長所だととらえ、ポジティブに生きていかなくてはならない。

現代社会はそんなありがたい教えであふれているように思います。

苦しみに耐えながら、ポジティブに生きなさい。

それは私にしてみれば二重の苦行です。

今の私には感度が高く、それに苦しんでいる人たちにおくってあげたい教えがあるのです。

正しい苦しみの詩

 

苦しみから解放されようともがき続けなくていい

苦しくないように振舞わなくていい

苦しいことを隠さなくていい

 

生きることは苦しいことであると、わかってしまっていい

 

もし、違う選択肢をとれていても

もし、今の自分じゃなくなっても

もし、いつも思い通りにいっても

もし、最高に楽しくなっても

 

次の瞬間、人間は苦しい

だから無理に苦しみから逃れようとしなくていい

今、間違っているから苦しいんじゃない

むしろ正しい苦しみなんだ

 

だから、その苦しみに安心だってできる

その苦しみは肯定できる

苦しいままでも大丈夫

大丈夫になれる

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感度の高さに苦しむ人へ、最後に

何かを誰かに教えるような記事を書くとき、過去の自分に教えてあげるように書くと良いというアドバイスを見かけたことがありますが、私にとっては、この記事がまさにそれになりました。

はたして過去の私がこれを読んだときに、どのように受け止められるのかはわかりませんが、今の私にできる限りのところで分かりやすく書いたつもりです。

私たちは、一度きりの人生を与えられた条件の中で、生き抜かなくてはなりません。楽しく、元気にポジティブに生きられるのなら、それに越したことはないです。私もそのような人生に憧れました。

ただ、私の経験から言うと、今の苦しみから逃れようとするという行為は、今の自分を否定する行為にとても近いようです。

逆説的ですが、いつだって苦しい私なら、どうあっても大丈夫な私なのです。

生きるということは、苦しいことをすることでよいのです。

たとえば違う生き方ができていれば、私はもっと楽に暮らせるのでしょうか?

不安になりそうな問ですが、今、苦しいことやめて、何か他のことを始めることができたとしても、そちらはそちらでまたちゃんと苦しくなるさ、と思えてホッとするのです。

ですからまぁ、自分の身体が動く通りに、今できることを、今できるようにやれていれば、それで充分なんです。

この苦しさで充分なんだ。

そう思えるのでした。

 

ここまでの長い文章、読んでいただき、本当にありがとうございました。

 

多感な凡人 黒田明彦

 

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感度の高い人は逆エンパスかもしれない!?

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