今回の記事は、自他ともに我が強いと評価されがちの人の中で、特に純粋性の強い人に向けて書いてみました。
我が強く、高い純粋性を抱える人にとって、自分自身の純粋性を保つことは、自分の意志を超えてやってくる強烈な身体の求めであり、生きる枷のように感じることでしょう。
不純あふれる人間社会の中で、どうすれば身体の求めに応え、自分の純粋性を保つことができるのでしょうか。
その辺りについての私の経験を書いてみました。
今回は少し長くなったので前編と後編に分けました。お時間のあるときに読んでみてください。
我が強い人(純粋性が高い人)が純度を失わないために①我が強いと言われる人ってどんな人?
自分という感覚が鋭い。
私はこうであるという感覚が様々な刺激から鋭く感じられる。
自分という感覚がとてもはっきりしているので、他者との違いに敏感で苦しむ。
嘘や曖昧なものを許容しにくい。
いろんなものがはっきりしているから、曖昧なものが見つかったら、とにかくはっきりさせたくなってしまう。
言うことがとてもはっきりしている。
他者の意志に混ざりたくない。混ざるわけにはいかない。
自分の純度を保っていたい。
濃くありたい、薄くなりたくない。
相手を尊重したいし、理解もしたい。
しかし、嘘なく尊重しきれないこと、理解もできないことに苦しんでいる。
自分の発言や態度が相手に与えてしまう不利益に不本意を感じている。
だけどはっきりしている自分という感覚には嘘をつけない、どうしても我が前にでてしまう。
そんな葛藤を抱えている人。
自分というものを鋭く感じるという感覚、そして混ざること、他の誰かに浸食されることを拒絶している感覚は、純粋性の高さを表していると思います。
我が強いと感じるのは、純粋性の高さにより、様々な刺激から「私」という感覚がはっきりと、どんどん生まれてきてしまうからです。
我が生まれやすい人は、我をたくさん現実化することが必要な人とも言えます。
自分に沢山の言葉が届き、沢山の私が生まれるのであれば、それを現実化できないと苦しくなってしまいます。
何かを聞いて、見て、感じて、
私はこうだな。
私は違うな。
私は好きだな。
私は嫌だな。
私、私、私、と次々生まれてくる私、という感覚。
これはエネルギーそのものです。
これらのエネルギーは言葉のすがたになって、はじめて現実化し、浄化されていきます。
現実化され、浄化されないエネルギーは、滞り、多くの場合は、自分や他者への攻撃的感情に裏返ってしまいます。これが苦しいのです。
我が強い人(純粋性が高い人)が純度を失わないために②生まれた私(エネルギー)の現実化(浄化)の方法
どんどんと生まれてきてしまう私(エネルギー)の現実化(浄化)の方法。
それは言葉にすることです。
言葉がとにかく生まれ続ける「私」というエネルギーを現実化、浄化してくれるのです。
そのための一番の方法は、語るということです。
語ることで私というエネルギーを正面から放出する
しかし、「私」が生まれやすい人、つまりエネルギーが生まれやすく強い人は、語ることが苦手になっている人が多いのかもしれません。
それは、自分が遠慮なく放出したエネルギーに相手を巻き込んでしまうこと、相手に強い影響を与えることに申し訳なさを感じるからです。
それは、小さなころから繰り返し感じていることであり、少しずつ学習してきた感覚でもあるのでしょう。
私が遠慮なく、正直に言葉を出すと、相手が傷つく。
私が感じたままに話すと、相手は苦しい思いをする。
だから、私は言葉を選んで話さないといけない。
あまり話さないようにしなければならない。
私は相手に辛い思いをさせてしまうのは不本意だから。
この悲しい学習は、ある意味自然な学習であるように思います。
しかし、ありがたいことに世界は広く、人間の業は奥深いのです。
実は、自分のエネルギーを全開に放出しても、傷つかないで聞いてくれる相手がいるのです。
相手のエネルギーに決して巻き込まれず、混ざり、混乱することなく、相手のところを相手のところとして丁寧に受け止め続け、そして痛まない人間になるための訓練を日々続けてくれている人たちがいるのです。
それがカウンセラーです。
カウンセラーの身体全体をかけたその応答が、どれだけ迫力があり、どれだけ揺るぎないものであるか。
最初はなかなか信じきれないかもしれませんが、訓練を続けてきたカウンセラーであれば、我の強い(純粋性の高い人)の純粋性を現実化できる時間を提供できるだろうということが、今の私には信じられています。
文字にして、逃がす
逆エンパスメモという記事を以前に書きました。
これは、あくまで純度の低い環境で、自分の純粋性を現実化することが難しい状況にあるときの逃げ道のようなものです。
職場や、家庭、またはその他のグループによって、場所を選ばず次々と生まれてくる私。
一番良いのは、それらを率直な声にして、そのエネルギーを放出していくことです。しかし、現実的にはそれをなかなか許してくれる環境は少ないでしょう。
純度の低い環境では、放出したエネルギーの混ざりが容易に生まれ、声にした言葉は次第に純度を失い、言わなきゃよかったという後悔の念がジワリジワリと押し寄せてきます。
声に出して、現実化しよう、浄化しようという気持ちはどんどん沈んでいき、結果エネルギーは裏返ってしまいます。
そこで少しでも私というエネルギーを滞らせないための苦肉の策が、自由にノートに文字を記していくことなのです。
これはエネルギー浄化の最善の方法ではなく、私というエネルギーが裏返らないように、少しでも逃がすための方法、知恵であるとあらためて理解してください。
我が強い人(純粋性が高い人)が純度を失わないために③相手を殺さず、自分も死なない方法は存在する
相手のエネルギーを殺さず、自分のエネルギーも死なない方法は存在します。
たとえば、我の強い人の中で・・・、
あなたもこう思うよね?という誰かの同意を求める問いかけに対し、
- 「そうじゃない。」と言ってしまうと、相手のエネルギーを殺してしまうと感じられる人。
- 「そうです。」と言ってしまうと、自分のエネルギーが死んでしまうと感じられる人。
これが純粋性の高い人です。
そこから先はどうなるか?
- 相手のエネルギーを殺した結果、結局、自己嫌悪に苦しむ。
- 自分のエネルギーを殺した結果、一時的に関係を維持するが、その不自由な関係に今後苦しむ。
このままでは、どちらにしても苦しんでしまうのです。
しかし、ありがたいことに、この世界には、相手のエネルギーを殺さず、自分も死なないで済む積極的なコミュニケーションがあるのです。
それが聞かせていただくという在り方です。
これは、簡単にイメージでいうと、我(自分の世界)を手放して望む、相手の世界を中心とした、傾聴的コミュニケーションの姿勢です。
我が強い人(純粋性が高い人)が純度を失わないために④前編の終わりに
いかがだったでしょうか。
今回の記事は少し長くなってしまったので前編、後編に分けてみました。
前編は、我が強いということ、純粋性が高いということ、そして、純粋性が高い人が、その純度を現実化するには、そのエネルギーを放出しても、混ざらず、痛まず、そのエネルギーを受け流しながら聞いてくれる相手が必要であるということを書きました。
それは、つまり純粋性の高い人にはカウンセラーが必要であるということです。
是非一度、自分のエネルギーに巻き込まないですむ相手に、心置きなく自分のところを話せるという体験をもってほしい。
そこから得られる解放感はとても大きなものです。
あなたがあなたのままで、許されていく世界に、あなたの行動によって、包まれていけますように。
多感な凡人 黒田明彦