純粋性

本当に何を言うかではなく、誰が言うかなのか?【発信と影響力の純粋考察】

何を言うかではなく、誰が言うかが大事だ。

最近よく聞く言葉ですが、個人的にはちょっと腑に落ちないところがありましたので、腑に落ちるようにいろいろと書いてみました。

色々考えてみると、大事なのは、私にとって「その人は誰?」というところをどういう基準で判断するかということのようです。

興味のある方は読んでみてください。

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本当に何を言うかではなく、誰が言うかなのか?

何かを発信し、その影響力を考えたとき、同じことを言っても、言う人によって影響力が全然違うということがあります。

日々発信している私としましても、似たようなことを発信していても、多くの人に反応をもらっている人と、そうでない人、というのは確かにあるようだな、と思うのです。

この辺りには、わりといろんな要素が絡まっているようです。

受信者の立場としては…

受信者の立場で、私の感覚を言うと、やはり、成功した人の発言、その分野の権威、立派な肩書を持っている人の発言は、「へぇ、そうなんだ…。」と受け入れてしまうようなところは確かにあります。

しかしこの私の反応は、自分にとって専門分野ではないところだけである、と言えます。

私には自分で詳しく調べたいとも思えず、特に関心も高くなく、真実を知りたいという熱をもっていない分野では、すでに支持を受けている人の発言に当たり前のように感心したり、納得したりするような傾向があります。

しかし、次の瞬間は忘れていたりします。それは、私にとってどうでもいいことだからです。

しかし、ずっと自分自身が従事してきた分野や、特に関心が強い分野、困っていて、どうしても納得したい!という自分にとって熱のある分野の内容は、どんなに偉い人や、権威や、成功者が発信している内容だとしても、「そうじゃない、それは上辺だけだ!」などと独自の判断をします。

自分で自信をもって判断ができる分野、自分の身に迫る分野の内容は、どんなステータスの人が言ったからどうだ、ということはあまり関係がないんですね。

そこでは、その人の肩書や、実績が「その人は誰?」を決めるのではなく、

その人の発言内容自体が「その人は誰?」を決めるからです。

発言の内容次第で、私にとってその人は、その分野において、偉い立派な人ではなく、

その分野において、偉くて立派なようだが、本当に体験的に学んできてるの?と言いたくなるような薄っぺらい内容を言う人となるわけです。

全然違いますよね。

このように、何を言ったかよりも、誰が言ったかが大事かどうかは、どこを基準にして、「その人は誰?」が決まるかによって、全然変わってくると思うのです。

【本当に何を言うかではなく、誰が言うかなのか?】どこで「その人は誰?」は決まるのか?

さて、それでは、どういう観点で私にとって「その人は誰?」は決まるのでしょうか。

受信者としての私の感覚を紹介します。

直接の権力

自分に対して権力を持っている人の発言に影響力があるのは、どうしようもないですね。

小さなコミュニティで言えば、子として養われているときの、父や母の発言はどんなに理不尽でも強烈な影響力を持ってしまいます。

同じように、学校では先生、会社では上司、自分に対する権限を持っている人の発言を無下にすることはできません。

まず私にとって直接の権力をもっているかどうかで、「その人は誰?」は決まってしまいます。

この辺りは、当たり前のことですね。

私にとっての「その人は誰?」は信頼関係で決まる

自分に対して直接の権力を持っていない相手、そして、上記のように自分自身で充分な判断のできない分野においての、「その人は誰?」は、ほとんど、その相手との信頼関係で決まるといってよいでしょう。

それでは、信頼関係とはどこで生まれるのか?と、考えていくとかなり整理されてきます。

権威、実績、評価

自分で判断できない分野では、発信者の権威や、実績、そして、他の人からどんな評価を受けているかということは、信頼を生みます。

肩書、資格、実績は客観的なステータスとして、その人を信頼する1つの材料といえます。

また、アマゾンで物を買う時は、レビューを見て判断する人も多いのではないでしょうか。

それは、実際その物を買った人の評価をある程度信頼しているから、ですよね。

自分に直接の利益を与えてくれたかどうか

現在、権威も実績もなく、特に評価されていない人でも、私自身に直接の利益を与えてくれる人であれば、信頼が生まれます。

その人のおかげで実際得をした、救われた、助けられた、そういう感覚があれば、次のその人が何を発信するかということに強い関心が生まれます。

関係感情

これは、なかなかに抗い難い人間の心理でしょうが、人間は、相手が自分に対してどんな態度をしてくるかで、相手の印象は、ほぼ決まってしまいます。

自分を特別扱いしてくれる人は、自分も特別に扱ってしまうものですし、自分を評価してくる人は、こちらからも評価してしまうものです。

逆に、否定的な態度をとってくる人の発言は、ほとんど耳に入らなくなってしまいますね。

相手との関係感情次第では、相手の言っている中身など、端からどうでもよくなってしまうということは、大いにあります。

盲目的に、何を言っているかよりも、誰が言っているかが大事になってしまっている場合があるとしたら、一番の理由はこれなのではないでしょうか。

【本当に何を言うかではなく、誰が言うかなのか?】おわりに

ゴミ捨て場に真実が捨てられていても誰も読んでくれない。

発信者からしてみると、何かを発信し、その発言で相手に影響を与えようとすることはとても大変なことです。

その発信が、自分の活動を支えてもらいたい、自分のサービスを利用してもらいたいということにつながっているのであればひとしおですね。

大事なのは発信を続けること、そして、関係感情を意識するのであれば、しっかりと、ひとりひとりの人間をイメージして発信し、そして実際に純粋な交流をすることでしょうか。

お互いが「誰」であるかを理解し、信頼を深めるために。

 

一方で受信者としての私は、いつも純粋な発信の内容から「その人が誰?」を判断できるような純粋性を持っていたいなとも思うわけです。

どこの誰が発信したものかわからなくても、その内容が私に響けば、刺されば、それは良いものであると、自信を持って言えるようでありたい。

皆が良いというから、その人は良い。その人の発言は良い、というわけではない。

その人が偉かろうが、なかろうが、まばゆい実績をもっていようが、いまいが、評価されていようが、いまいが、今の私に、その人の言っている内容が響くかどうかで、その人が「私にとっての誰か?」を決めたい。

私は、ゴミ捨て場に捨てられていたとしも、その真実を見つけられる人でありたい。

そういう物事を見極める覚醒度って、すごく大事だと思うのですよね。

私はカウンセリングの学習をしてから、本当にそう思うようになりました。

 

というわけで、皆様、私は発信し続けますので、これからも私を見つけ続けてください。

よろしくお願いいたします。

 

母思う、故に我あり 黒田明彦

 

 

 

 

 

 

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