今回の記事は苦しい悲しみの感情の克服の仕方について考えてみました。悲しみの感情をあらためて振り返ってみるとき、非常に大きく関係している出来事は別れだと思います。
親しい人との別れ、愛した人との別れ、愛情を注ぎ・注がれたペットとの別れ。その対象と二度と会えなくなってしまうような別れ方もあれば、お互い顔を合わせることはできるのに別れなくてはならない、つまり、関係の変化という別れ方もあります。
そして、それまで信じていた自分自身との別れという体験も存在します。
今回は苦しい悲しみの正体を明らかにし、その克服の方法にせまってみたいと思います。
【悲しみの感情の克服1】悲しみの感情は負の感情だろうか?
悲しみの感情は負の感情であるという表現をよくみかけますが、私にはあまりピンときません。怒りの感情を負の感情だと言いたくなるのは私にもわかるのですが…。
私にとって悲しみとは自分から切り離して考える必要のない純粋なもの、ということです。悲しみの感情を負の感情というのであれば、私もそのまま負の人間になってしまうという感じです。
悲しみは私にとって馴染み深く、おそれる必要のない自分の一部であるという実感があります。
【悲しみの感情の克服2】苦しい悲しみの正体
人間には自分の一部としてなんらおそれる必要のない純粋な悲しみの感情もありますが、本当に、頭がどうにかなってしまうほどの苦しい悲しみの体験というものも存在します。
その苦しい悲しみの体験エネルギーは、尋常ならざる別れがたさからきています。
【悲しみの感情の克服3】強烈な苦しい悲しみは抑圧される
感情体験の抑圧
人間には一人では到底抱えきれないような、嵐のような台風のような、強烈で自分ではどうにもならないような感情体験をともなう別れというものが存在します。
不意にそんな別れに遭遇してしまった場合、瞬間的にその強烈な感情体験を意識の外に追いやってしまうのは、人間の心を守るための大事な防衛機制です。
その強烈な感情体験は、誰かに手伝ってもらって、よっぽどの安心感に包まれながら、心を柔らかくしながらではないと受け止めようがありません。
意識の外に追いやることで、なんとかバランスを保てるほどの激しい感情体験は、その人の一部にはならないままに、保持され続けます。その感情体験は意識の上では、よくわからない大きなプレッシャー、ストレスとしか感じられません。
私は悲しいのかもしれないという非常に微妙な表現は、頭では理解、想像できるが、体験として自分の一部になっていないという感情体験があるときの顕著な表現です。
絶望感、無気力感を生む
感情の抑圧は絶望感や無気力感を生みます。どうせ自分なんて…という気持ちにおそわれ、自己肯定感も下がります。
統合できていない感情からのプレッシャーがその他の活動への気力を奪います。
【悲しみの感情の克服4】ある強烈な悲しみの抑圧が解放されるまで
ここで私自身の、抑圧していた悲しみとの遭遇プロセスを書いてみます。これはエンカウンターグループに参加したことで体験できた私の実体験です。
私はとにかく、種々の生きづらさを実感していた。
あるときから、自分の心の不適応を不本意ながら自覚するようになった。
そして、ある大きな環境の変化もきっかけに、このままでは嫌だ、変わりたいという意思が強く芽生えた。
藁をもつかむ思いでエンカウンターグループに参加する。(以降はエンカウンターグループのセッション内での出来事)
自分の抱えている感情を想定、想像し、あたりをつける。(実感はない)
自分の抱えている感情にまつわるエピソードを誰にも邪魔されずに、たっぷりと話す。(淡々と、実感なく、機械的に。)
誰かのなんらかの言葉に触発され、心がバラバラになってしまうかのような鋭いストレスを感じる。
そして次の瞬間…
涙がとめどなくあふれ、嗚咽を漏らし、慟哭した。
そして、私は悲しみの感情を身体全体で実感することができた。
涙の役割
あのときは、全身からエネルギーが噴き出すように泣けました。やっと悲しみに出会えた。やっと悲しいという感情を実感できた。
強烈なカタルシスの体験でした。今でもエンカウンターグループの最中に涙になることは度々ありますが、あれほどの激しいカタルシスが起きることはそれ以降はありませんでした。おそらくこれからもないでしょう。
憑き物が落ちるというのはああいうことをいうのでしょう。まさに、浄化された感じです。それからいろいろと具体的な変化が起きました。
私の心は軽くなり、悲しみの対象に対する固執、執着がほとんどなくなってしまいました。全身から涙を吹き出すように泣けたとき、尋常ならざる別れがたさを克服し、純粋な悲しみに出会えたのです。
1つの別れが決着し、1つの感情が流れてしまえば、他のすべての感情もうまく流れてくれるというわけでもありません。
人生の上で再び、全く別の、強烈でどうにもならないような別れがたさ、悲しみの感情に遭遇してしまうことはありえます。心が危なくなれば、感情の抑圧は自然に起こります。
そしてまた相応のプロセスを経て、その抑圧感情と純粋に出会っていくことになるのです。
ただし、抑圧感情の克服経験があると、次の抑圧感情の克服のとき、そのプロセスを簡略化してくれる可能性は高いです。
【悲しみの感情の克服5】喪失感
純粋な悲しみが実感できるとき、悲しみの感情が向かう対象とのお別れはできています。
逆に言えば、お別れしたくないから純粋に悲しめないのです。
つまり、苦しい悲しみが克服できないときというのは、その対象とまだ別れなくないときとも言えるのです。
しかし、必ずしも純粋な悲しみに出会わなきゃいけないということはないのです。
純粋な自分の感情と出会うことよりも、大事なことだってあるかもしれません。
純粋な悲しみに出会い、快活に生きるエネルギーを取り戻すためには、もう会えなくなってしまった、大好きな人と完全にお別れしなきゃいけない。
対象と顔を合わせられる状況でも喪失感は起こる
人間、生きていれば事故的に、誰かとのそれまでの関係性を急に失うこともあります。
ときに関係は、理不尽に、死ぬことがあるのです。
それまでの自分がバラバラになってしまうような感覚。相手とのその関係が今の自分の情緒的生活を支えていたのでしょうから当然です。
ここからどうやって立て直す?
頭の中で感情を受容しようとしても無駄です。そんなもんでどうにかなるエネルギーじゃないです。
心はどんどん硬くなり、今にも壊れてしまいそう。
心が大変なこんな時は…身体に助けてもらう必要があります。
涙になること
叫ぶこと
興奮し、訴えること
涙の温かさを頬に感じながら、とにかく何かを声にすることです。
感情の言葉で声帯を震わせ、振動を身体に響かせることです。
繰り返し、繰り返し、声にした言葉を響かせて身体に訴えかけるのです。
そうすれば、身体が勝手になんとかしてくれます。
そうすれば、知的理解ではどうしようもないままに、身体の力でちゃんとお別れに運ばれていくことができるのです。
【悲しみの感情の克服】まとめ
いかがだったでしょうか。苦しい悲しみの感情の克服には、いくつかのプロセスが必要なようです。
悲しいという実感がはっきりもらえたとき、それはどうにもならない別れがたさを克服したときであり、その感情が向かう対象との別れを受け入れられたという証明でもあるのです。
大事なのは、今、自分がその苦しい悲しみを本当に克服したがっているかということ、つまり、その感情の向かう対象とお別れをする覚悟ができているかということです。
苦しい悲しみの正体は尋常ならざる別れがたさです。
理不尽で一方的な別れに応じ、こちらからも、能動的に別れていく。それが苦しい悲しみを克服し、純粋な悲しみに出会っていく方法です。
もしあなたが今、本当に苦しい悲しみを克服し、前に進みたがっているのであれば、きっと涙と言葉があなたの身体にはたらきかけ、あなたを助けてくれます。
あなたの涙と言葉、大事にしてね。
月の逆エンパス 黒田明彦