やぁ、冥王だ。
今日は誰でもエンパスになれるカウンセリング技術を紹介する。
エンパスというのは、超共感体質をもった人間だ。
エンパスと対峙した人は、なんだかわからないけど安心感を感じたり、気分が良くなったりする。
なぜ、そんなことが起きるのか?ということを私なりに研究していった結果、エンパスが他人に与える影響と、私がこれまでの人生で、20年以上かけて学んできたカウンセリング技術が他人に与える影響に、似ているところがある、ということに気がついた。
どうやら、私がずっと学習を続けてきたカウンセリングの技術を学べば、部分的になら、誰でもエンパスになれそうだということだ。
なかなかステキだろ?
それでは始める。
さあ、今日も言葉と一緒に遊ぼうぜ!
エンパスが他人に与える影響とは?

エンパスは超共感体質である。
エンパスは、他人のエネルギーに同化してしまう体質を持っている。
エンパス側は、それによって自分のエネルギーを一時的に失うような感覚を持ったり、自分の感情を忘れてしまうような感覚を持ったり、不思議に身体が痛んだり、心が痛んだりと、わりと散々な目にあっている。
ザックリ言うと、エンパスは、非常に他人のエネルギーの影響を受けやすく、自分を失ってしまうような感覚と共に、まるで自分が他人のコピーのように変身してしまうという不思議な体質をもっている。
エンパスにコピーされている側の気持ちは?

さて、それでは、エンパスにコピーされている側の相手はどんな気分なのか?
これが、とても気分が良いのである。
落ち着く、安心する、暖かさを感じる、自由を感じる、素直になれる、などなど。
エンパスと会話していると、自分を隠している必要がなくなり、リラックスができる。
これは、どうしてなのか?
まず、エンパスと対峙しているときは、エネルギーの衝突が起きない。
人は誰しも、いくらかのエネルギーを発している。
それがぶつかり合ったり、抵抗し合ったりすることで、他人との境界線や、距離間が決まったり、印象が決まったりする。
しかし、エンパスの場合は、エネルギーがぶつかるどころか、吸い込むように同化してしまうのだ。
エネルギーがぶつからない相手というのは、心地が良いものだ。
それはまるで、もう一人の自分がいるかのような不思議な感覚である。
何を言っても、大丈夫そう。
いつも、まるで自分のことのように同意してくれる。
それは、こちらに合わせてくれるという感覚よりも、もう一歩不思議で、こちらと同じになってくれるという感覚なのだ。
「私のエンパス!」
エンパスは、いつもそうなってくれる。
だから、エンパスは人に好かれる。
そして、その裏返しで、よく人に嫌われる。
なかなか大変だ。
私が学んできたカウンセリングの技術が他人に与える影響は?

私が学んできたカウンセリングの技術は、カールロジャーズの来談者中心療法である。
同じロジャーズを学んでいる人でも、団体や先生によって、大分その解釈は違うように思う。
私がやってきたカウンセリング学習のグループは、とにかく人間哲学と、あるたった一つの技術を突き詰めている。
その1つの技術というのが、一般的には「オウム返し」と言われているアレだ。
私は、これまでの人生、20年以上もの間、人間哲学と、オウム返しと言われがちな技術を詰めてきた。
よくまぁ、ここまでやってこれたもんだと自分でも思う。
さて、そのオウム返しと言われがちな技術だが、思えば私は、最初に体験したときから感じていたのだが、実は、非常に不思議な影響力をもっている。
その不思議な影響力というものが、エンパスが他人に与える影響力にとても似ている、ということを最近発見したのだ。
エンパス(逆エンパス)体験も、カウンセリング学習も、ズーッと私と共にあったものだが、その2つが似たようなエネルギーの流れをもっていることに、やっと気が付いたというわけだ。
興味深いだろ?
クライエントそのものになる

そういえば、先生は昔、ポツポツと言っていた。
「優秀なカウンセラーは、まるでクライエントそのものになっちゃう感じなんだ。」
今思うと、それってすげーエンパスっぽいよな。
私がずっと学んできたカウンセリングの技術、オウム返しと言われがちなアレは、実は言ってみれば、クライエントそのものになっちゃうための技術だったのだ。
だから、この技術を学べば、誰もが部分的にはエンパスのようになれる。
しかも、ここからがさらに興味深い。
この技術は、エンパスとは違い、相手と同化してしまうということがないのだ。
自分は自分のままである。
自分のエネルギーを失くしたり、感情を忘れてしまうようなことはない。
それは、オウム返しと言われがちなアレが、自分の意思で自分を一時的に手放し、空洞化するための技術であるからだ。
人間関係の多くは、言葉によるエネルギーのやり取りで決まる

エンパス感覚で言えば、言葉より先にエネルギーの交流は行われている、と言いたいところであるが、たとえそうであっても、人間が何かを認識するには言葉が必要である。
つまり、人間のほとんどのエネルギーのやりとりは、言葉によって行われていると言っても過言ではない。
言葉とは、その人にとってのエネルギーそのものであり、人格そのもであり、生命そのものである、と言える。
したがって、言葉の本質を知り、そのやりとりを極めていくことで、人間関係におけるエネルギーのやりとりは、7割は片付くと考えてよろしかろう。
私がずっと詰めてきた「オウム返し」と言われがちなアレは、言葉に対する原始的(今では逆に新しいとも言えるが)な関わり方による、言葉のエネルギーのコントロール術とも言える。
この技術によって起きる現象は大きくは2つある。
それは、
- 言葉の空洞化
- 相手の世界に同化像(相手のコピー)を創ること。
これによって、施術者は、自分を全く失わずに、相手にとっての部分的なエンパスとなれるのだ。
誰でも部分的にエンパスになれる

言葉の空洞化とは、言葉から意味を剥奪し、言葉を形だけでとらえるということだ。
相手の世界に同化像(相手のコピー)を創るということは、相手の世界にもう一人の相手を創るということだ。
相手はそれにより、あたかも自分自身と対話しているような、不思議なリラックス感を得ることができる。
「オウム返し」と言われがちなアレを極めていくと、この2つの現象を起こすことができるのだ。
詳しくは、こちらの電子書籍に書いた。
カウンセリング学習者、エンパス現象に悩む人、エンパスのようになってみたい人、是非手に取ってみてほしい。
誰でもエンパスになれるカウンセリング技術 おわりに

今回は、誰でもエンパスになれるカウンセリング技術ということで書いてみた。
エンパスは、相手のエネルギーに同化してしまうことで、相手に通常あり得ないほどの被共感覚を与える存在であり、カウンセリングは、ある条件下では、相手のエネルギーに同化してしまうことなしに、相手に通常あり得ないほどの被共感覚を与えることができる技術である。
私は日常的にエンパス体験があり、エネルギーの流れに敏感だったからこそ、カウンセリングの技術の不思議さにシンパシーを感じて、ここまで学習を積み重ねてこられたのかもしれない。
まぁ、とにかく私がやってきたカウンセリング、来談者中心療法は、エンパス勢とかなり相性が良いと思っている。
この私の解釈は、大分独特なのだろうけどな。
是非、エンパス勢には興味を持って、いつかどこかで体験してほしい。
カウンセリング学習、おもしろいぞ。
冥王、黒田明彦でした。
私のエネルギー、もらってね。