私はここまで逆エンパス関係の記事をたくさん書いてきていますが、最近あらためて、逆エンパス傾向を持つ人は、世の中に結構多いのだろうか?と興味を持ち始めています。
しかし、残念ながら逆エンパス体質というのは自覚するのがとても難しいようです。
また、逆エンパス体質の傾向だけが理解できても、その他の傾向も併せ持っている場合、結局自分の体質の整理ができないということもあります。
今回の記事では現時点で、逆エンパス黒田が考える、逆エンパス体質を判断する条件というものをあげて整理してみようかと思います。
興味のある方は読んでみてください。
逆エンパス体質を判断する条件の前に
逆エンパスという概念が必要な人
まず前提として、逆エンパスという概念が必要な人たちというのは、不可解なことが身の回りに起きたり、自分の身体の強い反応に悩まされ、生きづらさを感じている人たちです。
たとえば、今の私でも、もしありのままに生きることができるような環境が整っていて、他者との差を喜び、迷いなく、身体に宿った純粋エネルギーのままに生きるような暮らしができていたとしら、逆エンパスという言葉には出会えなかったと思います。
悩まざるを得ず、意識せざるを得ず、生きづらかったからこそ、自分の特徴をわかりたい、明確化したいと思えたわけです。
逆エンパスという概念が必要な人は、他者との説明しにくい不思議な差に生きづらさを感じている人
逆エンパス傾向をはっきりさせる意味
この人は逆エンパスです。この人は逆エンパスではありません。
それをどれだけ正確に区別できることができるのでしょう。また、その正確な区別にどれだけ意味があるのでしょうか。
ひとつ言えることは、私の経験から言うと、今までなんとなく自分が悩まされてきた傾向をビジョン化できることは、かなりの救いになるということです。
自分の身の回りに起きていることをエネルギーの流れをイメージすることで理解することができると、ある程度対処できる可能性が出てきます。
そして、なんとなく不可解なこと、正体不明なわずらわしさ、でしかなかったものが、ビジョン化され、明確化され、特徴としてとらえられると、グッと気持ちが楽になるのです。
たとえばこのブログで紹介している逆エンパスエピソードや、現実的な理解を読んで、単純にホッとすることができるかどうかということが大事なのです。
0か100しかないのだろうか?
実際私の相当ユニークな体験談を読んで、自分の今までの体験が腑に落ちたという感想をくれる人もいます。
しかし、紹介されているエピソードが自分の体験にちょっとだけかすっているような人はどうでしょう?
こっちは当てはまるけど、こっちは当てはまらない。そういう人もいるでしょうね。
自分の身に起こっていることをどれだけ正確にとらえることができるかということは、その人の純粋性にかかっています。
純粋性の高い人は、自分の体感、経験を偽ることが本当にできません。それをやってしまうとひどく辛い気持ちになってしまうからです。
だから、Aというエピソードは綺麗にあてはまるけど、Bというエピソードが当てはまらないから、私は逆エンパスではないという思考に陥ることもあるかもしれません。
率直に言って、もはや私は、私自身が逆エンパスであることを疑ってはいません。
しかし、私が紹介している逆エンパス体験が、私特有の体験なのか、逆エンパス特有の体験として一般化できるものなのかと区別ができないところがあります。
これから紹介する3つの十分条件は、確かなことはわからないが、この体験が共有出来たらまず、逆エンパスといっていいだろうという現在の仮説です。
どうぞそのつもりで読んでください。
逆エンパスの十分条件1 エネルギー放出体質
一般的なエネルギー放出
エネルギー放出体質を逆エンパスの十分条件と書くと、結構な人が逆エンパスに当てはまるのでは?と思う人もいるかもしれませんが、これが実は逆エンパス体験の中で一番ユニークで、説明が難しい部分です。
他者のエネルギーを感じたり、自分でエネルギー放出するような経験に関しては、どんな人にも多かれ少なかれあるように思います。
しかし、それらのほとんどは感情表出という言葉で説明できるものがほとんどです。
人は感情が高ぶっているとき、または集中力が高まっているとき、どんな人でも基本的には周りの人に影響を与えています。
しかし、それは相手の意識に直接影響を与えるものであるのです。
それらは、周りにいる人が、「あの人からエネルギーを感じる」と明確に自覚できる類のものです。
これらのやりとりは日常的に起こっていることであり、容易に一般化できる体験であります。
権威というエネルギー
また、人間は権威にも強いエネルギーを感じるものです。
偉い人、有名な人、立派な肩書を持っている人、そのような人から強いエネルギーを感じる人は多いのではないでしょうか。
逆エンパスの放出しているエネルギー
しかし、逆エンパスの放出エネルギーは、感情表出、集中状態、まとっている権威に関係なく、どんな状態でも常に放出されています。
そして、逆エンパスの放出エネルギーは相手の意識ではなく、相手の無意識下に影響を与えるものなのです。
したがって、「あの人からエネルギーを感じる」と、周りにいる人は基本的には自覚できないのです。
逆エンパス自身もエネルギーを放出しているという自覚があるわけではないのですが、相手の、自分に対する不可解な無意識の反応を何度も目撃しているうちに、自分の放出しているエネルギーの存在を推察するようになるのです。
このあたりの体験がバッチリ思い当たる人はその他の条件が当てはまらなくても、逆エンパス体質であるといってしまって十分でしょう。
逆エンパスの十分条件2 自分の強烈な純粋性に苦しんでいる
逆エンパスがその身に宿しているのは生まれつきの強烈な純粋性です。
この純粋性からエネルギーがどんどん湧きだし、そして、外に向かって溢れ出ている感じをイメージすると良いでしょう。
純粋エネルギーは拡大と融合を強く望み、かつ、不純と認知されるものを徹底的に弾く傾向があります。
この純粋エネルギーの傾向を社会の中でなかなか現実化できないことで、逆エンパスの人は苦しんでいるのです。
その身に宿る純粋性が高ければ高いほど現実化は難しく、苦しむことになります。
自分自身の純粋性にとにかく苦しんでいる、という体験がばっちり思い当たる人は、かなり逆エンパス体質の可能性が高いです。
この十分条件2がバッチリ当てはまる人は、あらためて上記の十分条件1に思い当たる体験がないか、過去をじっくりと旅してみてください。新しい発見があるかもしれません。
逆エンパスの必要条件 感受性が強い
逆エンパスは自分の放出しているエネルギーが及んでいるエリアにいる人を自分の一部かのように感じてしまいます。
常にエネルギーを周囲に放出している影響で、自分という感覚がとても広くなってしまうのです。
まるで自分のように感じてしまう他者に対し、なんとかしてあげたい、あの感じは嫌だと、放っておけません。
それは、言い換えれば、自分のエネルギーの及ぶ範囲にいる人たちを自分のように操作したいという欲求を常に抱えているということでもあります。
そのエリアにいる人たちの感情や態度をまるで自分のことのように、もしくは自分の責任かのように感じてしまうのです。
小さなころからずっとそんな感覚があるのですが、自我がまだ発達していない子供の頃はまだ良いのです。
思春期を迎え、周りの人にはっきりとした自我が芽生え始めると、そのひとつひとつの自我との必要以上の折衝から、逆エンパスの感受性はどんどん高まってしまうのです。
以上により、感受性の強い人は逆エンパスである、とは言えませんが、逆エンパスの人は感受性が強いということは言えそうです。
逆エンパスの条件ー複数の特徴を併せ持つという可能性
エンパス傾向と逆エンパス傾向は併せもてるのか?
たとえばエンパスと逆エンパスの傾向を両方持つことはありうるのでしょうか?
エネルギーの方向性が極端に違うということを考えると、エンパスと逆エンパスの傾向を両方もつということは考えにくいです。
また、エネルギーの方向性というのは生まれ持っての体質のようなものだと考えてもらうと良いと思います。
エンパスも逆エンパスも、その特質的な体験はかなりユニークなものです。
しかし、感受性が豊かであるなら、エンパスや逆エンパスの人が自覚しがちな、相手から影響を受けすぎると感じることも、相手に影響を与えすぎるということもそれなりに感じることでしょう。
はっきりとしたエンパスエピソードを持っている人、はっきりとした逆エンパスエピソードを持っている人だけをエンパス、逆エンパスというのであれば、それらのエピソードは共存しないといえます。
ただ、少しでもエンパス、逆エンパス傾向を自覚する人のことも、とりあえずエンパス、逆エンパスというのであれば、両方の傾向を自覚する人はいるでしょう。
その他の傾向は併せ持つ可能性がある
たとえばエンパス、逆エンパスの傾向以外にも、精神の状態にはいろいろな状態があり、科学的に説明されているものもたくさんあります。
エンパス、逆エンパス傾向の他にも、発達障害の傾向や、精神障害の傾向を併せ持つ人もいるだろうし、その他の一般化された症状を併せ持つことも当然あります。
エンパス、逆エンパスの傾向を明らかにするだけで、その人の特徴を全て表せるわけではないということは間違いありません。
逆エンパス体質を判断する3つの条件ーおわりに
この人もあの人も、実は逆エンパスなのかも?
私は、私自身の逆エンパス理解と自覚が深まれば深まるほど、逆エンパスじゃないか?と疑える人が少しずつ増えてきています。
しかし、単純に我の強い人、エネルギッシュな人を指して逆エンパスだと安易にいうようなことはしたくないなぁと思うわけです。
大事にしたいのはその人自身がどう自覚しているかということ、そして逆エンパスという概念を必要としているかということです。
そして、私の記事で紹介されているエピソードや考察が、読んだ人の心を整理し、ホッとさせられるかどうかであるということです。
私の愚直なまでの体験記が、あなたの人生の輪郭をほんの少しでもはっきりさせることを願っています。
多感な凡人 黒田明彦