深世界の観光地

沖縄の太陽、翁長茉莉枝の世界・深世界の観光地①

こんにちは、冥王黒田明彦です。

今日は、深世界の住人を一人紹介します。

テーマはスポーツにおける勝利至上主義の打破と無条件の自己肯定への道。

もし、日本高校界でトップクラスの球技チームのエースが、不遜でセルフィッシュで、チームがどんなに苦しいときでも、あいつならやってくれると思わせてくれるような、スラムダンクでいうと流川君みたいな選手が、内面では非常に個人的な苦しい葛藤を抱え、壊れそうになりながらプレイしていたとしたら?

そんなとき、チームの指導者には何ができるのか?

さぁここは、深世界の観光地。

深世界の住人・翁長茉莉枝

今回紹介するのは、深世界の住人、翁長茉莉枝のブログだ。

http://xn--y9j3aokk.tokyo/

まずは、このブログのトップに固定してある記事を読んでみて欲しい。

そこに、この住人の夢が書いてある。

スポーツ界に宇宙の摂理を取り入れて、一人一人が自分の可能性をのびのびと発揮するためのヒントや答えあわせのような人になること。

宇宙の摂理ってなにかと言うと、私の言葉ですごく簡単にまとめるとすれば、好き!楽しい!のびのび!ワクワク!

で、自分らしさを見つけて私を大切に♡

この「宇宙の摂理」って言葉と、「好き!楽しい!のびのび!ワクワク!」という言葉の間にギャップを感じないだろうか?

これは、「好き!楽しい!のびのび!ワクワク!」という感覚に宇宙の摂理を感じるほどに深い感覚処理がはたらいているということなんだ。

まさに、深世界の住人の発想だ。

このポップな表現に、深く重く鋭い願いがかけられている。

それを感じ落してはならない。

勝利至上主義との対立

スポーツを本気でやっている人、これは特に指導者にとって突き当たる問題なのかもしれないが、「勝利至上主義」というものがある。

トップアスリートは勝たなければ意味がない。

どんなに厳しい練習をしてきても、どんなに深い人生ドラマがあっても、勝たなければ競技を続けていくこと自体が難しい。

私は素人ながら、スポーツ業界にそんなシビアさを感じている。

そんな競技の指導者は、アスリートたちにどんなイメージで指導していけば良いのか。

「競技」において、勝利至上主義は打破できるものだろうか?

この住人の自分の体験から来ているところ、そして恩師からの学びがこちらの記事に書かれていて興味深い。

スポーツ関係者でなくても是非、読んでみてほしい。

守破離

そして大学の進路選択から、いつの間にか他人軸で物事を考える割合が強くなっていた。31歳の今まで、恩師の教えである「守破離」の「守」で止まったままだった。

その人のようになりたい、のままではダメなんだ。

「もっと、もっと、私は、私になりたい!」

いつかどこかでそのスイッチが入るとき、守は破れる。

競技において、勝つことは免れられない条件だ。

勝てば、競技を続けることができ、負ければ競技を続けることはできない。

たとえ勝利至上主義じゃなくても、勝てば支持される。

好き!楽しい!のびのび!ワクワク!

果たして、この価値観が勝利至上主義を打破し、チームを勝利に導くことができるのか。

これは、この住人の飽くなき挑戦である。

ハンドボールが人生の中心だったからこそ

この住人の技術指導は、どちかというと感覚派のようだ。

褒めて、見せて、語って、魅せる。

「軸を中心にして下からソフトクリームで勝手に上がる!」と私は言っています。

このような感覚的な指導語録が増えてくると、教え子も楽しく学べるだろう。

自分の力を発揮したいのなら、自分をとことん愛すること

個人的にはこの記事が一番面白かった。

この辺りの住人の体験が、指導者としての方針の根っこにつながっているようだ。

自己肯定。

それがこの住人の非常に大きなテーマだ。

深い感性の世界に住んでいる人が、自己を肯定しきるということは並大抵のことではない。

深世界の住人は、その世界の深さに応じた、鋭い自己否定感を必ず体験している。

その深い自己否定をひっくり返すには、宇宙の力を借りる必要があるほどの迫力が必要なのだ。

自分を苦しめる

  • 罪悪感
  • 素直になれない
  • ありのままの自分じゃダメだ
  • 必要とされたい
  • 執着

「人は所詮無力だよ。これはネガティブな意味でもなんでもなく。」

この住人は、「自分だけが救われる」では、救われていけない人なのだろう。

だけど、まずは自分が救われないと他の誰かを救うことは難しい。

それに既に気が付いている。

私は人を依存させるような言動や行動はしたくない。

例えその方がお金になるとしても。

人は本来みんな自分の足で立てる。

そうだ。

人は本来みんな自分の足で立てる。

人を救いたいと思うのは、自分が救われたいからで

自分で自分を救ってそこを抜け出して、今度は勝手に楽しんで勝手に幸せになって輝いて、

そしたらこっちから手を貸さなくても勝手に周りに元気や癒しを振りまける

この文章から、私はオレンジのエネルギーの光を見た。

まるで太陽のような。

「救われたいのは私自身ですから。」

その在り方にどっかりと座れている人間のエネルギーは柔らかく、とても美しい。

より深く自分にふれていくための触媒

この住人は、タロットカードや、オラクルカードを嗜んでもいる。

タロット、オラクルなど、カードを使った占いは、今は見えにくい自分にふれていくための触媒として機能する。

沖縄の太陽、翁長茉莉枝の世界、おわりに

深世界の住人の一人をここに紹介した。

深い苦悩

深い絶望

深い否定

深世界の住人は、精神活動の一々が深く重い。

ときには海の底で生きているかのように。

しかし、その深い苦しみを肯定に転換することができたとき、当たり前のように奇跡とも言えるような現象を巻き起こすことができるのだろう。

この住人はこれからも深き世界を歩き続ける。

時に笑い、時に怒り、時に倒れ、時に泣き叫びながら立ち上がるだろう。

ひとつ、断言できる。

深世界の住人は、その人生を、自分を取り巻く全てを、その境遇を愛している。

その愛を少しずつ具体的な形にしていくのが我々の使命なのだろう。

再び言おう、深世界の住人よ、その深く重い感性の完成をあきらめるな!

冥王 黒田明彦

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