光のいのり

安心と霊性

安心を生きるための第三の目の話

安心のための第三の目

こんにちは黒田明彦です。

これから何回かに渡って、これまでの禅やら、仏教やらの学びを踏まえた上で、安心についてというところで語っていこうと思います。

なかなか難しいですけどね。

動画でも語っております。

安心の世界を見るための第三の目の話 – YouTube

三種類の目

今回は目の話をしようかと思います。

私は今のところ、目、目線、視点というようなものには3種類あると思っています。

まず一つは、普通の目です。

これは一般的な意味でいうところの目ですね。

ものを見て、そこから刺激を感じ取って情報として捉えてみたいな、感覚器としての目。

自分で自分を見る目

次に、二つめの目というのが、他者目線と言いますか、自分を客観的に見る目。

実際には鏡を見ないと自分の姿って見えませんよね。

だけど小さな頃から、成長してくるにつれて、自分を客観的に見ることができるようになる。

それは他者に、こんなふうに見られているんじゃないか?というような目線とも言えます。

道徳とか、社会常識とか、そういうものもそうです。

こうあっちゃいけないとか、こういうふうにしなきゃいけないとか・・・。

人生は、生活は、社会ではこんなふうに生きなきゃいけないという価値観。

そういうものも、この目線をつくります。

他者から自分がどう見られているかっていうような目線でもあり、自分が自分を見るみたいなそんな目線。

これが第二の目です。

第三の目

そして三つめの目。

これは、なかなか説明が難しいです。

それは、全てを一つに見る目です。

絶対平等の目。

自分を超えた視座の高い目線。

自分を超えた高い視座という意味では、神の目線に近いものです。

それは全てを一緒くたに見る目。

ちょっと前の動画では、絶対「二」の認識っていうふうな表現をしていたものとつながるところです。

全ては完璧に働いている

全てを「一」として見る目。

その第三の目から見れば、全ては完璧に働いている。

なんの過不足もなく、なんの価値もなく、なんの差別もない。

全てが一つとして働いている。

宇宙を宇宙としてみる目。

これが第三の目です。

第三の目は超越的

第三の目は超越的です。

道徳も、

法律も、

倫理も、

論理も、

超越しています。

全てを一つとして見る、完全平等の目です。

物事の分別をしない目。

だから、この目で見るとき(見られるとき)は安心なわけですよ。

危なっかしくて、自由な目

それは、道徳や社会的ルールを全部無視している目ですから、ある意味危なっかしい目でもあります。

しかし自由です。

完全な自由の目。

全てを分けて見ない目。

全てはそのままで、最高に整っている。

なんの判断もいらない。

なんの計らいもいらない。

そういう視座に立った目。

それが第三の目です。

第二の目の働きから自由になるということ

さて、今回注目したいのは、この第三の目の方ではなく、第二の目の方なのです。

それは自分を他者として見る目。

それは他者の目で自分を見る目。

それは自分をものとして見る目。

全部同じです。

こういう目線が、いわゆる不安を作っていくんですね。

自分を客観視する目

社会の中で、組織の中で、団体の中でうまくやっていくには、自分を客観的に捉えて、自分がその組織、その集団の中でどんなふうに機能しているかっていうことを理解して、より機能していくようにっていうふうに学んでいくことがすごく大事です。

そこにある雰囲気とか、空気とか、そういうのをつかんで、そこから大きく外れないように、気を付けながら生きていく。

周りのための自分、周りからはみ出さないための自分になるために、自分を自分から切り離して自分を客観的に見るようになる。

これが二つめの目の働きです。

自分の客観化(もの化)は苦しみの元

この目の働きは、人間社会でうまくやっていくために必要であると同時に、苦しみの元となっています。

二つめの目は、要は差別の目ですからね。

物事を徹底的に差別していく目。

これが人間社会を生きていくためには、ある程度必要であるわけです。

差別っていうと、人種差別や性差別など、強烈なイメージが浮かびますが、ここで言う差別は、もっと広くとらえています。

仏教でいうところの差別(しゃべつ)というやつですね。

要は、分別の目です。

自分と自分じゃないものを徹底的に分けていく目。

これによって人間は、とにかく苦しい思いをする。

自己否定も第二の目の働き

自己否定も、この二つめの目の働きによって起こります。

今の自分が社会の規範、風潮、ルールから大きく外れないように、自分を整えてくれる目。

自分が社会から大きく外れないために、抑える働きをしてくれる目。

そんな社会的視点やら、道徳的視点のある目です。

だから、なにか自分が社会的、道徳的によろしくないことをしてしまったときに、ワーッと責めてくれる。

そんなふうに働く。

そのおかげで、私は世間における「まとも」っていうラインを意識しながら生活していくことができるわけです。

まともは苦しい

しかし、これが苦しい。

「まとも」も差別・分別ですからね。

とはいえ、やっぱりある程度大人になるまでは、(人間は20歳になったら大人になるというわけではなさそうですが)そういう差別・分別の世界で暮らしていくことは大事なことだろうなと思うわけです。

そう言う世界を無視して、いきなり自由自在にっていうわけにはいかないようです。

やっぱり差別・分別の第二の目線の世界を苦しみながら生きて生きて生きて、生きたところで限界が来て、そこでやっと三つめの目が開く。

そうしてやっと二つめの目に支配されなくてもやっていけるようになるという感じですかね。

第二の目に苦しみ、第二の目を超える

差別・分別。

そういうものに支配されずに生きていけるようになる。

そうなることができて、やっと安心になってくるという感じでしょうか。

社会的に見て優れているとか、

道徳的に見て優れているとか、

そういう状態を維持しないと安心できないような状態になってしまっていると、結局はどこで何をやっていてもしんどい。

二つめの目に支配されているときは、心がなかなか安らぎません。

どこで何をやっていても安心になれるようになりたいじゃないですか。

そのためには、この二つめの差別・分別の目から自分を解放させられるかということが大事になってきます。

第二の目というのは、自分の社会生活を無難なものにしてくれるためのもの。

そしてそこから不自由を感じて、不安を感じる。

そういう働きを持った目。

第三の目が開くと安心になる

第三の目はその逆です。

差別・分別を徹底的にやめていく目。

全てを一つに見てしまう目。

宇宙と自分。

宇宙と他人。

宇宙と生き物。

宇宙と宇宙じゃないものが、全て一つになってしまう目。

ここには、その目と宇宙しかない。

絶対の「一」である宇宙と、絶対の「二」であるその第三の目しかない。

第三の目が開くと自分がなくなる

だから第三の目が開いているときは、自分っていうのがいない。

自分というものを見つけることができない。

ただ一つの認識だけがあって、あとは宇宙の働きしかない

その宇宙の働きの中に、今まで自分と言っていたものも、含まれてしまっている。

第三の目が開いているときっていうのは、自分というものはいない。

逆に言えば、自分というものがあるときっていうのは、第三の目が閉じているときということですね。

安心もなければ不安もない

第三の目になっているときは安心である。

というか、実は安心もない。

安心もないし、不安もない。

なにせ自分がないわけですからね。

ただ宇宙の働きがあり、その宇宙の働きを認識している目があるだけ。

安心も不安もないのが、本当の安心である・・・ということなのかもしれません。

宇宙の働き

宇宙の働きというのは、空の彼方のお星様の世界の話ではなくて、この世界に満ちているすべての働きが、そのまま宇宙の働きである。

第三の目は、それを一つとして見る目。

全てを一つとして見る目は、全てが完全に機能している、完全に過不足なく働いているというふうに見ることができる目。

その目に立っているときは、この身がいつ朽ち果てるだろうか?ということが、あまり不安じゃない。

なんかそういう視座というか、そういう目線があるわけです。

安心にまつわる第三の目、まとめ

一つめの目が、一般的な普通の目。

視覚的情報を入手するための目。

二つめの目が、差別・分別の目。

全てを分け隔てていく、自分というものが中心となっている世界。

そして第三の目が、絶対平等な目。

全てを一つとしてみる目。

絶対の認識と宇宙の働きしかないっていう、そういう視線の目。

安心を得るためには、紆余曲折あったあとに、第二の目から自由になるということが大事だと思うんですよね。

ある意味では自由になれないんだけど、ある意味では自由になれる。

第二の目の世界が、最後の世界ではないってことだけは間違いない。

善悪

勝ち負け

幸不幸

なんでも二つに分かれる世界。

それが差別・分別の世界。

さて、そこをいかに突破したいか、ということです。

今日はここまで。

安心は安心にあらず、故に安心である。

不安は不安にあらず、故に不安である

黒田明彦でした。

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