その瞬間には自覚できていないが、特定のやりとりがあった日のあと、次の日の朝に自分のエネルギーが満ちているときがある。
最近やっと私も自覚できるようになったのですが、身体の疲れや、心の疲れとは関係なく、湧き上がるように自分のエネルギーが満ちる日があります。
そんな日になるときには、前日に良いエネルギー交流があったときのようなのです。
私にエネルギーが湧き、満ちるような、良いエネルギー交流ってどんなものだろう。
あらためて書き出してみます。
興味のある方は読んでみてください。
【逆エンパス黒田のエネルギーが満ちるとき】逆エンパスの人との交流

真っ先に思い浮かんだのは逆エンパスの人とのやり取りです。
話した内容はあまり関係ないと思うんですけど、とにかく翌朝の自分はエネルギーに満ちていたと感じました。
メールやSNSのやり取りよりも、電話や、直接会ってのやり取りの方が効果は高いようです。
なぜなのかはよくわかりません。
とても嬉しいと直接感じられるやり取りがあったわけじゃなく、
特別に共感しあえた感触があったわけではなくても、
翌日の私はエネルギーに満ちていた。
このエネルギーの高揚は自覚するのがなかなか難しいかもしれませんね。
【逆エンパス黒田のエネルギーが満ちるとき】エンパスの人との交流

エンパスの人との交流は気持ち良いです。
それは、抵抗なく私のエネルギーをもらってもらえる感じ。
こちらが出しているエネルギーが跳ね返ってこず、スッと入り込んでいく感じ。
あれも理屈では説明しにくい気持ち良さです。
頑張って説明しようとするなら、
私が前に出した我に対して、相手の我が一切前に出てこない感じ。
エンパスの人は、自我を守ろうとする防衛的反応が非常に小さいとでも言いましょうか。
他人から出てきたものを受け入れることに、何の抵抗もない感じです。
エンパスの人の魂は、器型の魂とはよく言ったものです。
私は、普段、他人に会いたいと思うことは少ないのですが、エンパスの人に会う時は、少しワクワクしている自分に気が付くときがあります。
エンパスの人に、エネルギーを気持ち良くもらってもらった次の日、私は新しいエネルギーに満ちていると感じるときがあるから、なのでしょうか。
【逆エンパス黒田のエネルギーが満ちるとき】今、自分の存在が必要だと確信できる交流

精神保健福祉の業界にいたとき、わりと日常的に感じていたことですが、目の前のその人の心の動き、精神の動きを理解するには、一定の感性や深さや純粋性が必要だろうな、と否応なしに感じる相手がいます。
標準とはかけ離れた敏感さ、脆弱と言われがちな身体の反応、それらを見るたびに、私はどこかホッとしていました。
そうだよな。生きづらいよな。
それでも、ボチボチやっていこう。
その感覚、支えてみせるよ、任せとけ!
”鋭く、重たい感性をもちながら、なんとかギリギリ社会に適応している私”の必要性を迫るほどに感じさせてくれる相手。
それは私に勇気とエネルギーを与えてくれる存在でした。
【逆エンパス黒田のエネルギーが満ちるとき】純粋現象を純粋に面白がれる人との交流

私の周りで巻き起こる純粋現象を感受でき、驚き、受け入れ、そして純粋に興味を持ってくれる人。
そのときの吸いつくような感じ。
ゾクゾクしますね。
「今、結構、すごいことが起きているんだけどな…。」
私は、一人寂しく、そう感じていることがあります。
このすごいことをすごいこと、と一緒に感じてくれる人がたまにいます。
正直、私自身のことを面白い、好きと言ってくれる人よりも、巻き起こった純粋現象を面白い、好きと感じてくれる人の方が、私は愛しい。
そういうとき、私は、丹田の辺りからミナギルようにエネルギーが湧くのを感じるのです。
【逆エンパス黒田のエネルギーが満ちるとき】聞かせていただく体験(カウンセリング学習)についての交流

私は、聞かせていただく体験について語ったり、仲間と検討しているときは、それだけでどんどんエネルギーが増していきます。
本当に、面白くて面白くてしょうがないんです。
もっと、わかりたい。
もっと、発見したい。
もっと、上手になりたい。
もっと、できるようになりたい。
ワクワク、ワクワクします。
このエネルギーがなんで普段は引っ込んでいるんだろうと不思議に思うくらいです。
このエネルギーをもっともっと感じたくて、頑張ってカウンセリングを仕事にしているのに、今の生活では全然このエネルギーに出会えない。
どういうことなんでしょう?
私は、「どうしたら聞かせていただける人になっていけるか」この命題への取り組みこそが、最高に面白いんです。
もしかして私にとって、カウンセリングって、その人が、「聞かせていただける人になること」につながっていくような取り組みでなければ、面白くないのかもしれません。
そこにつながっていないカウンセリングはワクワクしない。
一対一の面談だろうが、グループワークだろうが。
そういうことなんでしょう。
私が本当に手伝いたい人は、「聞かせていただける人」に、なりたがっている人なんだ。
会いたい。
もっと会いたい。
私、そこならめちゃくちゃ手伝えますよ。
ワクワク、ワクワクしながら、手伝えますよ。
【逆エンパス黒田のエネルギーが満ちるとき】おわりに

ふむ。今日は明らかにエネルギーに満ちた朝の日でした。
さて、さて、昨日のどの交流が私に、このエネルギーを生んでくれたのでしょう。
あの人との交流かな?
それともあの人との交流かな?
最後に、上記文章に説明のない言葉がありますので、補足しておきます。
1つは純粋現象という言葉。
これは、私の純粋性が巻き起こす現象です。
逆エンパス現象の進化版みたいなものです。
具体的にはエンカウンターグループなどで、私を中心にたまに起こる超共感と、場の純粋化です。
多分、ほとんどの人は、なんとなくしか感じられません。
黒田の参加するエンカウンターグループになんとなく期待感を持っている人がいるとすれば、多分これの影響です。
もう1つは、聞かせていただく体験という言葉。
これは、「聞こえた相手の言葉をそのままにこちらの声にしてみる」という取り組みから始まる、一連のカウンセリング学習です。
底のない人間理解、身体の芯に響く体験学習です。
情報を調べるだけでは学べません。
うん。高まっている。
今日は、高まっている。
母思う、ゆえに我あり 黒田明彦