やぁ、冥王だ。
逆エンパスについて、また少し考え方を紹介するぞ。
今回は逆エンパスと心(精神)の病気の違いについてだ。
なかなかドキッとするテーマだろう。
今回は逆エンパスの状態と似ている心(精神)の病気として、
①双極性障害(躁うつ病)
②ADHD
③統合失調症
を検討してみる。
私は医者ではないので、心(精神)の病気の知識は、医療的というよりも、体験的、共感的な理解であるということを最初に断っておく。
それでは、はじめる。
今日も言葉と一緒に遊ぼうぜ。
逆エンパスと心(精神)の病気の違いの前に、逆エンパスをシンプルに定義すると?

さて、逆エンパスと、心(精神)の病気の違いの前に、あらためて、逆エンパスを定義づけてみる。
- 純粋なエネルギーをもっている
- エネルギーは基本的に外に向かっている
- 自他の境界線が薄い(エンパス体質)
大体この3つが逆エンパス現象を生み出している。
自他の境界線の薄さというのは、一般的には共感力が高いということである。
これを脳みそ的に言うと、ミラーニューロンが異常に活発ということなんだろうが、この辺りをもう少しつめることができれば、また逆エンパスについての理解が進みそうな気がしている。
最近の私は、逆エンパスもエンパスなんだよなぁって感覚が強い。
他人への共感・・・というよりも一歩も二歩も厄介で衝動的な、共調、同調、そして同化傾向。
そのような迫力のある動的な傾向がなければ、どれだけ外に向かってエネルギーを発している人を見ても、私はあまりシンパシーは感じない。
人は複数の傾向を兼ね備えて生きている

私が最近、逆エンパスの定義をできるだけシンプルに考えているのには理由がある。
それは、結局みんな、逆エンパス+○○という感じに、複数の状態を兼ね備えながら生きているのだ、とあらためて感じているからだ。
逆エンパスは、その人間を構成する1つのパーツにすぎないということだな。
今回のテーマで言うと、逆エンパスは既存の心(精神)の病気ではないが、逆エンパスの人が既存の心(精神)の病気にかかることはありえる、ということだ。
あとは、逆エンパスは発達障害ではないが、逆エンパスの人が発達障害を併せ持つ、ということもあるだろう。
まぁ、心(精神)の病気の原因自体が、遺伝の関係やら、気質の関係やら、はっきりしたことはわかっていない。
一部の偉いお医者さんは知っているのかもしれないが、少なくともそれらの知識は精神保健福祉の界隈では、はっきりしないこととして理解されていた。
心(精神)の病気になるにも素質が必要

医学的、遺伝子的な知識で詳しく説明することはできないが、一緒に生活を共にしていた感覚的なところで言うと、人がどの心(精神)の病気を発病するかは、素質的なものが大きいように思う。
抑うつ傾向は、ある程度大きなストレスがかかると、多くの人が共通して体験していることかもしれない。
しかし、心(精神)の病気全般に感じるところだが、重篤な心(精神)の病気にかかる人は、それぞれ素質をもっている。
たとえば、Aという刺激を受け続けると、大うつ病になり、Bという刺激を受け続けると双極性障害になり、Cという刺激を受け続けると、統合失調になる、というように、受け続けた刺激の種類によって心(精神)の病気が決まるとは思えない。
単純に、大きなストレスがかかり続けたときに、それぞれがもともと持っている素質が爆発するように発動する、という感覚だと私は思っている。
つまり、同じストレスがかかっても、発動する心(精神)の病気はそれぞれの人間で別であり、それは生まれつきの素質による、という感覚だな。
どんなにストレスを受け続けても、その素質がなければ心(精神)の病気は発動しないし、また、素質をもっていても、環境に恵まれれば、それが発動することはない、と私は理解している。
逆エンパスの人と、状態が似ている心(精神)の病気

逆エンパス体質の人と、似た状態になる心(精神)の病気を説明する。
上記で説明した通り、併せ持つということを考えるとややこしくなるので、逆エンパスと単体の心(精神)の病気で比較する。
双極性障害

双極性障害とは、いわゆる躁うつ病と呼ばれている心(精神)の病気だ。
簡単に言えば、日常生活を破壊するほどに、異常にテンションの高い状態(躁状態)と、日常生活ができないほどに、気分が落ち込んでしまう状態(うつ状態)を繰り返す心(精神)の病気だ。
双極性障害の、躁状態のときが、逆エンパスに似ている。
躁状態のときのエネルギーの放出量は半端じゃない。
外から見ていると、一般的にはエネルギーの見分けはつきにくいらしいが、私としては、あれは双極性のほうだな、あれは逆エンパスだなと見分けがつく。
逆エンパスの人は、相手に自分が与える影響を過剰な程に意識している。
エンパス度の高い人にとって、相手=私という感覚が常につきまとうからだ。
自分のエネルギーで、相手が嫌がることをすることが、相手以上に嫌なのだ。
だから、常に逆エンパスからは、エネルギーを抑えようとする方向性の力を感じる。
それでも、出ちゃっているんだけどね。
対して、双極性障害の人は、症状がひどくなっていくと、どんどん相手に与える影響を気に留めている余裕がなくなっていき、エネルギーは散らばるように拡散していく。
逆エンパスのエネルギー放出はテンションに関係なく、デフォルトな状態のものだが、双極性状態の躁状態のエネルギー放出は、張りつめたテンションを感じ、過剰なアップの状態である。
少しはイメージできただろうか?
ADHD

ADHDは発達障害で、心(精神)の病気ではないが、今の精神医療の区分だと、発達障害は精神障害に含まれるので、ここでもふれておく。
ADHDは注意欠陥性の多動障害だな。
逆エンパスには、多動傾向があることが多い。
それは子供のうちが特に顕著なのかもしれない。
ADHDの多動も年齢を重ねるにつれて落ち着いてくる人がいるとのこと。
似ているな。
しかし、私は精神保健福祉の現場にいたときに、ADHDの診断を受けた人と共に過ごしたことがあったが、ADHDの人にシンパシーを感じなかった。
単純に多動の質が違う。
溢れるエネルギーによって行動力があり、落ち着きがないというのが逆エンパスの多動だが、ADHDの多動は、非常に衝動的で、ただ散らばっていくような多動だ。
そしてやはり、逆エンパスとADHDでは、注意欠陥性の度合いが違う。
ADHDという診断で、福祉サービスを利用する必要のある人は、それなりに重篤な注意欠陥性をもっていた。
それはやはりADHD特有のものという感覚が強く、安易に自分と重ねることができないような迫力だった。
それは、私が常日ごろから抱えている感覚とは全くの別物であると感じざるをえなかったんだ。
統合失調症

統合失調症はなかなか説明が難しい心(精神)の病気だが、脳の機能の関係で、考えや気持ちがまとまらなくなる病気だ。
妄想、幻覚、思考障害、特に幻聴が代表的な症状とされている。
この症状を見ただけでは、逆エンパス関係なくね?って思うかもしれない。
個人的な感想で申し訳ないんだが、私は統合失調症の人にとてもシンパシーを感じているんだ。
なんか、純粋なんだよな、統合失調症の人たちって。
いわゆる一般的、常識的感覚の外にいながら、やけに純粋。
なんか、そのあたりの感覚にすげーシンパシーを感じるんだよ。
マイノリティーな純粋体。
逆エンパスもそうだからな。
「わかるよー。大変だよな、お互い・・・。」みたいに。
その人に陽性症状(幻覚、妄想)がバキバキに出ているときは、逃げ出したくなるけどな。
もしかしたら、逆エンパス状態を生み出しているものと、統合失調症状態を生み出しているものは、遺伝子的には近いのかもな。
同じ遺伝子がそれぞれ違う方向にバグったみたいな。
そんな感覚があるんだ。
逆エンパスは病気なのか?逆エンパスと心(精神)の病気の違い、おわりに

逆エンパスと似ている心(精神)の病気について書いてみた。
まあ、似ていても別なものは別だと言うことだな。
しかし、違うものを併せ持っているという可能性はあるので(遺伝子的にそれが可能かどうかはわからないが)はっきりとした区別は難しい。
いろんな情報を見比べて見ながら、自分には、これが一番当てはまるかな、というものを自分で検討してみてほしい。
ただ、心(精神)の病気全般は、重篤なものほど病識を持つことが難しい。
傍目から心(精神)の病気だと明らかにわかるような酷い状況のときほど、本人はそれを強烈に否定してしまう。
逆に言えば、自分で、自分の心(精神)の病気を疑えているときは、杞憂にすぎないか、もしくは相当軽い状態であるということは言えるかもしれないな。
自分が心(精神)の病気を抱えているかどうかを自己判断するのは難しい。
とはいえ、まだまだ普通の病院に行く感覚で、精神科に行くことはできないだろう。
最後に、精神科に行くべきかどうかのもっともシンプルな基準を伝えておこう。
それは、睡眠に急性的な問題を抱えている感覚があるかどうかだ。
多くの心(精神)の病気を加速させるのは、睡眠障害だ。
人によって必要な睡眠時間はバラバラであるが、普段に比べて、あまりにも眠れない日々が続いているときは、思い切って精神科の門を叩いてみてほしい。
検討してみてくれ。
以上、冥王、黒田明彦でした。
私のエネルギー、もらってね。