やぁ、冥王だ。
今日は、逆エンパス的結婚観ということで書いていく。
最初に聞いてみよう。
君は結婚したいかい?
その答えはまずは私が決めよう。
「YES」だ。
おそらく、この「YES」は身体の奥底から響いてくるもので、そうそう簡単に否定できるものではないはずだ。
今回の記事は、身体の奥底から響いてくる「私は結婚したい」という強烈な感覚にいかに抗うか、という内容になっている。
そうなんだ・・・。
「どうしたら結婚できるのか?」ではないのだ。
「どうしたら結婚しないですむか?」なのだ。
いつもニッチですまんね。
ただ、この記事には、どうしても結婚しなくてはならないと思っている君の心を少しでも軽くする要素が含まれているかもしれない。
まぁ、そこそこの期待感で読んでみてくれ。
それでは始める。
今回も、言葉と一緒に遊ぼうぜ。
https://kanjoutantei.com/gyaku_empath_counselor
結婚したいという気持ちは自然な気持ちだ

さて、今回は冒頭で「君は結婚したいと思っている。」と言い切ってみた。
正確に言えば、君は、結婚しなくてはならないという感覚をもっているということだ。
私は、この「結婚しなくてはならない」という感覚が、非常に根深く、人間の心の奥底から強迫的に迫ってくるものであるだろうと予測している。
つまり、私や君だけでなく、みんな、当たり前のように結婚しなくてはならないと思っている。
- 結婚できてあたりまえ
- 結婚できなきゃ劣っている
- 結婚できない人はマイノリティ
- 結婚しない人は変人
ともかく、結婚できるかどうかが、人生の中盤戦の大きなテーマであることは間違いない。
マイノリティでも結婚はしたい

繊細で敏感な人(エンパス、逆エンパス、HSP、HSS型HSP)は、人生をずっとマイノリティ感を抱えながら生きている。
人と同じように生きられない。
人とは別の世界を生きている。
体験的にずっとそんな感覚が強いことだろう。
繊細で敏感な人(エンパス、逆エンパス、HSP、HSS型HSP)は、自分を特別な存在であると自覚できなければ釣り合わないような生きづらさを抱えている。
難儀なものさ。
だから、繊細で敏感な人は、人生の途中で、
「人と違っていいんだ!」
「私は私でいいんだ!」
「私は、私らしく人生を生きるぞ!」
と、自分のユニークな感性を受け入れる覚悟が決まるかどうかが本当に重要になる。
それでも結婚だけは引っかかる

人と違っていい。
私は私の人生を生きる。
そういう大きな気づきに出会った人にとっても、「だけど結婚は普通にしたほうが良いのでは?」と頭にずっと引っかかっていることだろう。
なんだかよくわからんが、とにかく結婚したい、結婚しなくてはならないような気がする。
この強迫的な欲求は大きく、実は、敏感で繊細であろうがなかろうが、多くの人間にとって前提にあるものだ。
結婚するのが当たり前、この感覚を打破できるか?

非常に、シンプルに言い切ってしまえば、この世の中、結婚するのが当たり前である。
少し、強く言えば、基本的には、結婚しなくてはならないようになっている。
それは、社会的、文化的理由からもそうであり、人間の本能的な理由からもそうである。
やれやれ、非常に厄介だ。
結婚をしないですむようになるために、まずは、今の世の中は、結婚するのが当たり前であり、結婚しないという選択肢が、非常に厄介なものであるということを自覚しよう。
結婚を分解してみよう

結婚を分解してみよう。
結婚とは何か。
それは、1つは生計を一にする、生涯の伴侶をえること。
そして、もう一つは、家族をつくる、つまり、子孫を残していくということだ。
結婚には、相手方の父母、家族、親戚とつながるとか、そういう要素もあるだろうが、それを求めて結婚する人なんておそらく一人もいないだろう。
結婚したいをさらに分解していくと・・・

「結婚したい」の中身は生涯の伴侶がほしい、そして子供をつくりたい。
おそらくここにつきる。
ところで、別に生涯の伴侶選びに適齢期なんてないと思わないかい?
50、60、70、80代、いつに生涯の伴侶と出会ってもかまわないのだから。
むしろ、遅ければ遅い程、運命的じゃないか?
それではなぜ、結婚適齢期の男女が強迫的に結婚からプレッシャーを感じるか。
結局、結婚適齢期というのは、子作り適齢期なのだ。
結婚したいの一番根っこにあるのは、子孫を残したいという欲求であると言えないだろうか。
現代社会で人間が結婚をしたくなる原因

私や君が、「結婚したい!」という欲求が強迫的に強い原因には、社会的なもの、世間的なもの、そして、本能的なものがある。
これらは、とても厄介だ。
結婚は、社会的な理由でしたくなる
結婚は、社会的な理由でしたくなる。
もう一歩深く言うと、結婚は社会的理由でしなくてはならないものとなっている。
国民が子孫を残していかないと、国の人口が増えない。
人口が増えないと、税金やらなにやらを払う人がいなくなってしまうので、国が立ち行かなくなってしまう。
基本的にこの国の常識では、結婚しないと子孫を残せない、もしくは相当不利だ。
私たちは、国の一員として暮らしていくわけだから、国の為に、人口を増やすためにも結婚はしなくてはならないのだ。
今はまだ穏やかかもしれないが、時勢によっては、国からの結婚圧力は相当強力なものにもなるだろう。
結婚は文化的な理由でしたくなる

種の繁栄、人口増加。
それは、子供を作る人が増えないと実現できない。
そして、基本的にこの国では、結婚しなければ子供を作ることができないという文化ができあがっている。
伴侶を見つけて結婚し、その人と子供を作り、協力して育てていく。
これが、この国の当たり前の文化的な人間の姿だ。
いろいろあって離婚した、などで、一人で子供を育てていかなくてはならないケースはあるが、それを前提にした国の仕組み、文化的な風潮があるわけではない。
離婚しても、子供さえ作れば、国がなんとかしてくれるという感覚は当たり前ではない。
結婚しなくていいから、とにかく子供は作ってください、って文化ではない。
子供を作ってほしいので、皆さんちゃんと結婚してください、という文化だ。
女性一人、男性一人で子供を育てていくのが当たり前の文化ではない。
つまり、今の文化では、安全に子孫を残すプロセスに結婚が必須になっているんだ。
結婚は「世間の目」的な理由でしたくなる

「そろそろ結婚しなさい。」
「あなた、いい人いないの?」
結婚することはステータスである。
さすがに、30年、40年前に比べれば、多様性が認められるようになってきているが、結婚していないと低評価を受けるという社会的な流れは長かった。
社会的には、そのあたりは大分変わってきているのだろうが、「世間の目」的にはまだまだ独身者への冷たい目線はあるのではないだろうか。
自分の親からもそうだが、親戚のおじいちゃん、おばあちゃんから、「あんた、まだ結婚してないの?」と強烈なプレッシャーをかけられる。
近所のおばちゃんが、縁談の話を何度も何度ももってくるなんて、心温まる迷惑話を聞いたこともある。
地域的な結びつきが強いところほど、結婚に対する圧力は強い。
私たちは世間的な理由でも結婚したい、いや、結婚しなくてはならない。
結婚は、本能的な理由でしたくなる

繊細で敏感な人(エンパス、逆エンパス、HSP、HSS型HSP)にとって、一番大きなというか、一番強烈な結婚したい理由は、これなんじゃないかと思っている。
マイノリティであることを受け入れ、自分軸で生きる覚悟が決まり、他人の意見や価値観に左右されずに、楽に生きることを決めることができた。
そんな敏感で、繊細な人でも、結婚は普通にしたいものである。
それは、結婚に付随している、子孫を残すという行為に対する欲求が、本能的なものであるからである。
結婚適齢期というのは、すなわち、子供をつくるのに適齢な時期である。
そして、この国で、充分な条件で子供をつくるには、結婚の必要がある。
将来の伴侶は「別に急いで、無理して欲しがる必要ないかな?」と思えていても、子供を作る、作らないに関しては、時間制限があるため、本能的に訴えがくる。
男性も女性も、身体は、思春期に突入したころから、ずっと、子供を作るための準備をし続けている。
自分の意思とは関係なく、自分の種を受け継いでいく、紡いでいく、準備をずっとしてきている。
それに抗うことは不自然である。
私たちの身体は、遺伝子は、本能は、子供を作りたがっている。
それは、ひとつの事実だろう。
私たちは、子供をどうしても作りたいという本能的な欲求を抱えているという理由で、結婚したい。
いや、結婚しなくてはならない。
「結婚をしたい」という強迫的な欲求に抗うことができるのか?

人間には、基本的には結婚をしたいという強迫的な欲求があることをまずは受け入れよう。
社会的、文化的、世間的な要求として迫られるもののほかに、本能的な欲求がある。
正直、社会的、文化的、世間的要求をはねのけるのは、繊細で敏感な人にとってさほど難しいことではない。
そもそもずっとマイノリティ感を抱えて生きてきているのである。
結婚の価値観だけ、マジョリティにどうしても合わせなければならないということもなかろう。
自分の個性を生きる。
自分の感性を生きる。
自分軸で生きることができるようになれば、その他の問題と同時に、結婚に対する人目の問題は解決可能だ。
しかし、それだけでは、本能的な欲求は解決できない。
子孫を残したいという本能的欲求に抗えるか?

結婚をしないという選択の一番の問題は、子孫を残せないということである。
この問題をどう解決するか。
子孫を残したいという欲求。
これに対してどう抗うか。
問題はそこなんだ。
ひとつは、いばらの道を行く方法

現代の常識やら、文化から解放され、結婚せずに、子孫を残すという方法は、選択肢としてはある。
この方法のミソは、結果的にそういう状況になってしまった、というのではなく、自分の意思で、選択し、計画的に実行するということである。
ただし、今の時代、この方法を選ぶのはとてもハードルが高い。
サポート体制が不十分すぎるからだ。
経済的にも、マインド的にも、親になる人が相当負担を強いられる。
そして、その親の負担は子供の心に直接、深く、長く影響していく。
本能に理性で抗い続け、時が過ぎるのを待つ

社会的、文化的、世間的な要求をはねのける自我を手にすることができれば、あとは子孫を残したいという本能的欲求だけが、結婚に君を縛り付ける。
この本能に抗うにはどうしたらよいか?
本能に抗えるのは、ただ理性だけだ。
理性的に本能を抑え、時間を稼ごう。
まずは、子孫を残したいという欲求があることを真摯に受け止める。
それができないと、理解不能の不安や、焦燥感におそわれてしまう。
子孫を残したいという欲求をないものにはできない。
まずはそれを真正面から受け止めるんだ。
その上で、結婚のメリット、デメリットを真剣に考えてみる。
自分の人生において、子供を作るということが、どういう未来を創るかをじっくり考えてみる。
その未来は、自分だけの未来じゃない。
子供にとっての未来でもあるんだ。
それを考えた上で、自分がどうするかを自分の意思で決定し続けるということが、本能に理性で抗うということだ。
そして、そうやっていろいろ考えながら、結婚しないを決定し続けているうちに、子作りの適齢期が過ぎ去っていくことを何とか待つ。
それが過ぎ去れば、諦めるよりほかなくなる。
しかし、それでも人生は続いていく。
そうなれば、今度はまた他の事で人生を潤そうと考えられるようになる。
なんか、それはそれで人生の本番が始まるような感じで、グッとエネルギーがわく。
また、よりはっきりと、自分軸で生きることができそうな感じがする。
ちょっとワクワクするだろ?
私の結婚観

最後に私自身の結婚観、つまり、子孫を残すということの考え方を少し書いておく。
こんな文章を書いているだけあって、私は結婚にとても消極的だ。
私は、結婚適齢期になってからは、恋愛そのものにも消極的になった。
社会的な責任上、文化通例上、今、恋愛するのなら、結婚を意識せざるを得ないからだ。
私がそうは思っていなくても、相手は間違いなくそう思うことを想定しなくては相手に失礼だ。
繰り返すが、人間は、強烈に子孫を残したいという欲求を抱えている。
適齢期の人とお付き合いをするのであれば、相手のその欲求を無視できない。
たとえ、相手にその自覚がなくても。
だから、私は今、恋愛そのものと距離を置いている。
私は、もし、どうしても子供を作りたいのであれば、生まれてくる子供の為に、ちゃんと結婚するべきだと思う。
子供にとって、できる限りの家庭環境を用意してあげたいではないか。
だから自分の本能的欲求に従って、機能不全家族をつくるようなことはしたくない。
もちろん、努力さえすれば、完璧に機能する家族ができるとは思わない。
少しぐらい機能不全でも仕方ないし、それでいいんだ。
それぐらいの感覚の余裕は私にもある。
ただ、自分の本能を満たすためだけに、とりあえず子供を作る、というようなことはしたくない。
生まれてくる子供に辛い思い、寂しい思いをさせるようなことはしたくないからだ。
そして私は、基本的に自分の遺伝子を残すということに、抵抗がある。
本能的には子孫を残したいという欲求はある。
それは、抗い難いものだ。
しかし、私は、自分の子供が、今のこの私と似たような感性を生きるということを想像してしまう。
この感性を生きることは基本的にとても苦しい。
私にとってそれは、誰にも渡してあげたくないものなんだ。
私はこの感性を紡がず、私の代で終わらせるべきだと思っているところがある。
だから、結婚を前提にしたお付き合いにも、子作りにも消極的なんだ。
逆エンパス的結婚観、結婚できない敏感で繊細な人たちへおわりに

逆エンパス的結婚観ということで、結婚についてのニッチな文章を書いてみた。
言うまでもないが、多くの人たちは、社会のため、世間のため、文化的に正しい形で、本能のままに、結婚、子作りをしていってほしいと思っている。
多くの人は、悩み、苦しみながらもその役割を果たすことができるだろう。
ただ、私は、社会にとってのマイノリティな皆々様にしてみれば、その役割を当然にはたすことが、免除されても良いだろうという感覚がある。
たとえば、そのように現代的、一般的、常識的な結婚観からはみ出す人が多くなってくれば、社会のほうが変わらざるを得なくなるだろう。
どんな形であれ、子供が生まれたら、その子供は、18歳まで最低限の経済的支援を国から受けられる・・・とかね。
しかし、それは、私が知る由もないほど先の未来の事のような気がする。
現代を生きる私たちにはあまり関係のないことだ。
さて、もう一度聞こう。
君は結婚したいかい?
その答えは今度は、君に任せる。
君は君の人生を生きるべきだ。
すべては、君の感性にしたがって決めて欲しい。
私から言えるのは、ひとつだけ。
「ただ君の感性に従って、自由に生きよ。」
私はそれを全力で応援している。
冥王、黒田明彦でした。
私のエネルギー、もらってね。