黒田明彦のyoutube動画、空洞の自分を受け入れる、本当の自分なんていらないんじゃないかな?【親鸞に会いに行く道vol.1】についての記事です。
動画の文字起こしと少しの加筆修正を加えています。
今回のテーマは、本当の自分なんていらなんじゃないか?というところで語っています。
なんか、「私は空洞」であるというところが、今の黒田にはピッタリしているようです。
どうぞ興味のある人は読んでみてください。
黒田の語る動画はこちらから!
以下は動画の内容の加筆修正記事になります。
本当の自分がわからない私
今日も、朝から言葉がやってきました。
これから少し語っていきますね。
なんというか、自分というものについてなんですけど。
自分は今、本当の自分を生きているのか?
本当の自分がわからない。
自分が何を考えているのか、自分がどうしたいかわからない。
こんな感覚が私にはあるんですよね。
いろいろと本を読んだり、インターネットにある文章を読んだりしていると、やはり、いろんなことを言う人がいるわけです。
また、私はカウンセリングの勉強をずっと続けてきていて、その先生の教えからも強く影響を受けています。
いろんな人、言葉を読みながら、今私は、あらためて本当の自分というものについて、思わせていただいています。
本当の自分について最近刺激を受けたブログ
まず、最近刺激を受けたブログがありましてですね。
いろいろとスピリチュアルなことについて書いてあるブログなんですが、この人の自分との出会いのエピソードが、私には非常に強く印象に残りました。
その人は過酷な環境に自分の身を置くことで本当の自分に出会うことができたみたいです。
今までは本当に偽物の自分を生きていた。
だけど、やっとのことで本当の自分になれた、自分をゆるせた。
そんな感じに読ませてもらいました。
嫉妬するぐらい鋭い感性と、すごいエネルギーを持った人です。
そして、その言葉からは、鮮烈に、本当に鮮烈にリアリティを感じて、そこからは全然嘘が感じられない。
まさにそのまま、この人の純粋な体験であることがありありと感じられました。
なんか、単純にいろいろと羨ましいなぁと思いましたね。
お世話になってるカウンセリングの先生の言葉
一方ですね、私がずっとお世話になっているカウンセリングの先生がいるんですけど。
私のやってきたカウンセリング学習というのは、とても仏教の傾向が強い学習なんですけどね。
その先生には、
本当の自分なんていませんよ。
ただ、今ここに私という反応があるだけです。
と、わりとあっさり聞かせてもらっています。
それはもう、20年以上前に先生に聞かせてもらった言葉なんですが、当時の私には、なんか大きな感動を覚えた記憶はあるものの、その言葉はどこかピンときてなかったようです。
私はどちらかというと、
- 本当の自分みたいなものを見つけたい
- それを見つけられると自信がもてるような気がする
- そしたら強くなれるような気がする。
そう考える傾向が強かったほうなので。
自分に自信がなくなっていく私
だけど最近ですね、いろいろと自分の考えやら思想やら、体験やらを発信するようになってから、特にですけどね、
全く、安定というか不動不変の自分っていうものを感じられないのです。
人生の一時期、10年、15年くらいの間ですかね、すごく自分に自信があって「今の私こそ本当の自分だ!」と疑わなかったこともあったんですけどね、今はそれが全然感じられないんです。
日に日に自分が頼りなく変わっていく、何の軸もなく、不安定に漂っているような感じ。
そんな感じがありありと感じられて、表現活動をして細々と収入を得ていること自体に申し訳なさを感じたこともありました。
確信をもって言うことが、コロコロ変わっちゃいますからね。
一人で生きてみたかった私
フワフワと漂いながら、またあるとき、カウンセリング関係の先生の本を読んだときに、やっぱ自分なんていらないよねっていうか、自分なんてないよね、みたいな文章が目に留まって…。
そこで、私自身が、ずっと昔から気になっていた言葉、一節を思い出したのです。
カウンセリングの先生、大分偉い先生の言葉なんですけどね。
その人の言葉の中に、
「たった独りのかけがえのない人間になるには、どうしても、もう1人のたった独りのかけがえのない人間が必要なんです。」
って言葉があって…。
私は当時からどうしてもその言葉がいただけなかったのです。
というのも、
私は、「自分1人でなんとかやっていけないかな?」っていう意識がすごく強いのです。
他人と一緒にいると疲れるとか、そういうのも関係しているのだとは思うのですが。
なんか、1人で確固たる自分になるみたいな。
たった1人というか、誰にも影響を受けずにというか。
とにかく、自分だけで自信をもって、楽しくやっていけたらいいなぁみたいな思考が結構強いんですね。
それが楽だなと思えるというか。
だから、もう1人の人がどうしても必要ですって聞くと、「なんか都合悪いなぁ」っていう感じがあったわけです。
不動不変の自分を疑ってみる
そしてまた、新たに思うんですけど。
すごく自分に自信があった時期、自分に不動不変というか、信じられるものがあったときですね。
そのときって、私にとって大好きな先生から強く強く影響を受けていた時期なんですよね。
その人の教えさえあれば、他は何もいらないっていうぐらい強い影響を受けてた時期は、私、すごく自分に自信があったのです。
迫力としては、自分はもう、その人になっちゃってるみたいな感じですね。
そう成れているときって、やっぱ自分にすごく自信があったなぁって思うわけです。
つまりそのときもね、
自分に自信があって、確固たる自分、本当の自分に自分は成れたと思っていた時期も、実はある特定の誰かに強烈な影響を受けていただけなのかもしれないと思ったわけです。
そんな自分を受け入れるのは、私としてはちょっとこわいんですけど、今の私の感覚で言えばそれは非常に妥当な考察だと思えるわけなんですよ。
というのも、今はその大好きな先生の影響がほとんどなくなっている。
そして私にとってその先生の影響力が下がったら、やっぱり昔の心許ない自分に戻ってしまった。
なんか、懐かしい感じすらあります。
私というのは「反応」そのもの
そこで思うんですよね。
結局、やっぱり、本当の私というのはいないのではないだろうかと。
確固たる本当の自分というのが先にあって、決まっていて、その確固たる本当の自分を探して、見つけていく。
それを探すのが人生であり、それを見つけたときに人生は楽しくなる。
丈夫にもなれるし、しっかり元気にやれるようになる。
そんな発想は、やっぱりちょっと違うんじゃないかなって気がしてるんです。
単純に、今のこの私というものは、
何かの刺激・影響に対する1つの反応にすぎないのではないかなと。
私っていうのは、刺激・影響に対する反応そのもののことであって、受動的な何かなのではないだろうかって。
だから、今、何の影響を受けているかが全てなのではないかと思うのです。
純粋性
純粋性という言葉でいくと、いつもいつも、私私私とこう、しっかりはっきり色濃く来る。
それは現実的感覚です。
しかし、そんな私が確固としてあるのではなくて、単純に刺激・影響に対する反応が強く、大きく、そして独自的に、その瞬間瞬間に現れているというだけなのかもしれません。
自己は一人で湧いてくるものではない
完全なる自己というのが先に存在して、そこからどんどん自分というものが湧いてくるのではなくて、
私とは、あくまで、何かもらったものに対して生まれてくるもの。
最初に在るのは刺激・影響であり、もらった何かなんですよ。
それに対する反応そのものこそが私であって、ゼロの状態で確固たる、本当の私があるわけではなさそうだなと、いう気がするのです。
私っていうのは、空洞ってことでよくないかな?
最近の自分の反応を振り返ってみるに、なんかそんな感じがすごくしているんですよね。
結局私ってのは空洞ってことでよいんじゃないですかね。
空洞に何かがやってきたときに、そこにワッ!って反応がくる。
この反応が私であり、私らしさである。
この最初の何かをもらうことなしにワッ!って反応(私)は来ないなっていうのが最近の実感なんですよ。
ほっといても何も生まれない。
だから楽しく気持ち良く生きたいのであれば、楽しそうな気持ちよさそうな刺激・影響を自分からもらいに行くというか取りに行く。
それだけ。
本当の自分なんていらないんじゃない?
ただただ何かしら来た刺激に対してワッ!と生まれる、その反応こそが私であり、何ももらってないときは空洞。
空洞のときは、ただ生きている、みたいな感じ。
今ある自分っていうのは、確固たる本当の自分なんかではなくて、何かしらに対する1つの反応なんだっていう、そういう理解にしていくと、実は結構気軽に、自由に、自在になっていくんですよ。
今ある自分が本当の自分、確固たる自分、動かない不動の不変の自分だって考えていくと、なんか息苦しいですよね。
今ある自分ってのは単純に何かしらに対する反応であり、もしくはその名残である。
そう考えていくと、じゃあ次はもっと、この身体と心が気持ち良く反応できるような刺激をもらいに行こうって、ただそう考えるだけでいい。
なんか、今はそういう自分に、むしろ本質を感じるんですよね。
本当の自分なんていらないんじゃないかな?まとめ
単純に自分が固定的になっているときって、何か強い影響を受けているだけであって、その影響をとっぱらっちまえば、また自分は空洞になれる。
空洞である自分に、心許なさを感じなくてすむようになるというか、それが当たり前になってくると、また生き方が変わっていけるんじゃないかなと。
ちょっと思った、そんな今日の私でした。
ありがとうございました。
空淡 黒田明彦