やぁ、冥王だ。
今日はお金の話だ。
私は、これまでお金に関する感性を深める機会が少なかった。
有難いことに、最近冥王は、稼ぎたいな…という気持ちが芽生えてきているのだ。
それは、私にしてみればやっとのことなんだよ。
私はビジネスという言葉はあまり好きではないが、稼ぎたいという言葉はわりと気に入っている。
なにごとも、
語れば語るほどに、
言葉が走れば、言葉が走るほどに、
感性は深まる。
私は今、ちょっくらお金に関する感性を深めたい。
そういうわけで、今回は、私がお金を使うたびに感じる罪悪感について深めていこうと思う。
君にも同じ気持ちがあるかい?
あるのなら、一緒に深めていこう。
それでは、始める。
さぁ、今日も、言葉と一緒に遊ぼうぜ。
私はお金を使うと罪悪感を感じる

昔から、私はお金を使うと罪悪感を感じてしまうところがあるんだ。
- たとえば、パソコンを買う前
- たとえば、自転車を買う前
- たとえば、洋服を買う前
- たとえば、研修費を払う前
私は、
「あー、お金払いたくない!」と思う。
「やだ、やだ、やだ、やだ!」と思う。
それは、過去、私にどんなに安定した収入があったときでも同じである。
そして、
- パソコンを買った後
- 自転車を買った後
- 洋服を買った後
- 研修費を払った後
私は、やってしまった、と思う。
私は、失ってしまった、と思う。
ドーンと重たい気持ちになるのだ。
手元には、ピカピカのパソコンや、自転車や、洋服や、研修への期待感があるにも関わらずである。
この辺りの重たい気持ちのことを、私は罪悪感と呼んでいるわけだ。
お金を使った罪悪感はわりとすぐ消える

だけど、私の場合、このお金を使ったという罪悪感は、1日経つとなくなっている。
あのお金は「最初からなかったもの」のように考えられるようになっている。
というわけで、普段はお金を使う時の罪悪感は忘れている。
生活に著しい支障はないというわけだな。
しかし、あらためて、私の、このお金を使う罪悪感ってなんなんだろうな。
興味津々だ。
君の場合はどうだい?
お金を使う罪悪感にダイブしてみる

さて、これから、私のお金を使う罪悪感にダイブしよう。
君には直接関係ないかもしれないが、一緒に私の世界に潜ってみてくれ。
君にも思いがけない発見があるかもしれない。
さて、とっかかりは・・・。
「自分の傾向やら、ブロックやらというのは、結局は親の影響で生まれている。」
またか・・・。
なんか、ガッカリなんだよ。
何年一人で生きていても、結局は、親と濃密に過ごした15年~20年で人間が、人生が決まってしまうなんて・・・。
だけど、実際、親との関係を思い出しながら記憶に潜っていくと、なんかしらの発見が多いのだから仕方がない。
はふぅ。
今回もため息まじりにやってみるか・・・。
私のお金を使う罪悪感は、母や父と関係しているだろうか?

母と、父と、お金と、私・・・。
母は小さい頃なんでも買ってくれた
私は小さい頃、お金に困ったことはない。
家も部屋もボロかったけど、貧乏を感じたことがないのだ。
小さい頃、母は私が頼めば何でも買ってくれた。
まぁ、私が欲しがったのは、新発売の超合金のロボットと、たまにぬいぐるみぐらいだったがね。
私は母に「欲しい」と言えば、買ってもらえた。
だけど、母は、母自身は、自分の欲しいものを自由に買っているようには見えなかった。
綺麗な服を買って喜んでいる姿も見たことがないし、ブランドものなんて縁もゆかりもなかった。
だけど母はいつも笑っていた。
結局、物欲が全くない人なんだよな・・・。
今、あらためてそう思う。
父は決まった日にしか買ってくれなかった

逆に父は、私が何をどう頼んでも買ってくれなかった。
小さい頃の私は母が何でも買ってくれるとわかっていても、よく父にもおねだりしていた。
しかし、徹底して父は買ってくれなかった。
ただし、父は、クリスマス、誕生日、お正月には必ず私の欲しいものを買ってくれた。
私には子供ながらに、父の私への躾感が、バシバシと伝わってきていた。
それでも私は父に年に数回、欲しいものを買ってもらうことが本当に好きだった。
そして、同時に、母に何かを買ってもらうたびに私にはいくらかの罪悪感があった。
ちなみに父も物欲がない。
宝くじや競馬は嗜んでいたようだが、おそらくとても小さな額で楽しんでいたのだろう。
私は父から浪費のオーラを感じたことがないのだ。
躾と愛と

欲すれば、何でも買ってもらえる。
だが、本当は充分な理由がある日しか、欲しいものは買ってはならない。
お金は節約しなくてはならないもの。
父と母の私のおねだりへのリアクションが、綺麗なコントラストとなって、私にそんな価値観を強烈に根付かせたのかもしれない。
父の正しいお金の使い方

しかし、小さな子供時代が終わり、苦しい思春期が終わると、私は父から多くのお金をもらうことになる。
大学の学費、一人暮らしの費用、専門学校の学費、計算するのもおっかない。
私は、父から、私のために払ったお金について、愚痴やら嫌味やら、プレッシャーをかける類の言葉を一度も言われたことがない。
父にとって、私の人生への投資は当たり前のことのようだった。
父にとってそれは浪費ではなく、正しいお金の使い方だったのだろう。
ふむ・・・。
なかなかお金を使う罪悪感の話にたどりつかないな。
君もやきもきしてきたところかい?
私のお金を使う罪悪感の正体

なんで、私にはお金を使うことに罪悪感があるのだろう。
とにかくお金を使うと、減る感覚があるんだ。
お金を使うと、お金が減る。
当たり前だ。
だけど、私はお金を自分で作れないからな。
減ったら、誰かにもらわなきゃならない。
それが嫌なの・・・かな・・・?
私は、お金を使うのに罪悪感があるのではなく、お金をもらうのに罪悪感あるのかな。
親からも、会社からも、クライエントからも・・・。
お金をもらうことへの罪悪感

- お金がないと生きられない
- お金は使うと減る
- お金は自分では作れない
- お金は減ったら、また誰かにもらわないといけない
- だからお金を使いたくない
私はお金をもらうことに罪悪感がある?
なんで?
今までもずっと当たり前のようにもらってきたのに・・・?
・・・。
親が自分の為にほとんどお金を使わない人だったからか?
それなのに自分だけがもらっている。
親が親自身のためにお金をたくさん使う人だったら、私は親からはあまりお金をもらえなかっただろう。
もっと自分でなんとかしなくてはならないはずだった。
しかし、その場合なら、私は自分のためにお金を使うことに罪悪感を感じなかったかも・・・?
ふむ・・・。
ピコーン!
私はお金がとても好きだった

そうか・・・。
私は親からお金をもらうのが嬉しかった。
頑張らずにお金をもらえることも嬉しかった。
私はお金がとても好きだし、私はお金が欲しかったんだ。
しかし同時に、私は親からお金をもらうのが嫌だった。
欲しい。
だけど欲しがればもらえてしまう。
だから欲しがってはいけない。
欲しいと、もらいたくないが両方ある。
なんでだ?
・・・。
私がお金を欲しがったら、父も母も、自分のための物が買えないから?
・・・。
そうなのかもしれない・・・。
・・・。
でも・・・待てよ?
・・・。
あの人たち、お金あっても、自分の物買わないんだよ。
お金は誰の為に使うものか

父も母も、お金があっても結局自分の物は買わない。
というか、私のことを良い意味でも、悪い意味でも、自分の物のように感じているんだろうな。
だから彼らが私に使うお金は、彼ら自身のために使っているのと一緒なんだ。
ふむ。
どうも私は、親からお金をもらうのに、罪悪感を感じる必要はなかったようだな。
わかったよ。
私はお金がとても好きで、私はとてもお金が欲しい。
そして、私にお金をくれる人たちは、自分自身のためにお金を使っている人たちなんだ。
なんだ、winwinじゃねーか。
結局私は・・・

結局私は、お金を使うのに罪悪感があるのではなくて、
好きなお金が減ってしまうのが単純に悲しいだけなんじゃね?
なんか、結果的に「お金好きな私こそ私!」って感じになったぞ。
お金好きなんで、もらえると嬉しいです。
お金好きなんで、減ると悲しいです。
うん、実にシンプルだ!
お金を使う罪悪感を破壊せよ、おわりに

今回の私のダイブのポイントは、
- お金ないと生きていけない
- お金は使うと減る
- お金は自分では作れず、誰かにもらわないとならない
- お金をもらうことは良くないことだ☚ココだった。
結果的に「お金が好きな私」に出会うことができたので、実りあるダイブだったな。
さて、君は「お金が好き」ってちゃんと言えるかい?
お金があるとわりと安心で、
お金があるとわりとなんでもできて、
お金があるとわりと我儘になれる。
今の時代、それは、1つの事実だよね。
私がそうだったからだけど、「お金が好き」とシンプルに言えないと、お金が高尚なものになりすぎてしまったり、お金が重たい思考の海に沈んでいってしまったりするみたいだぞ。
意外と「お金を好きだ」と認めてしまったほうが、お金に縛られない暮らしができるかもしれないぜ。
恋愛と一緒かな。
まぁ、私はお金持ちではないから、感覚的に言っているだけだけどね。
以上!
君の私は、私には無意味だ。
それよりも君自身のエネルギーを見せてよ。
きっと綺麗だよ。
冥王、黒田明彦でした。
私のエネルギー、もらってね。