やぁ、冥王だ。
今日は無視する人、される人の心理について書いていく。
今の私にとって無視は怒りと破壊の対象だ。
私は、空気の読みあい、読ませあいを破壊したい。
しかし、私自身過去に、特に親しい人に対し、無視という態度を堅持してしまうときがあった。
この記事は私が、特に大事な人に向けてとってしまっていた「無視」の態度についての心理を書いた。
加えて、SNSのやりとりについての無視感についても書いてみた。
ここに書いたことが他の人に当てはまるかどうかはわからん。
そのつもりで読んでくれ。
怒れないから無視をする

大事な人。
大事な関係。
私には過去に、そんな人を無視することでバランスを取らねばならない状況があった。
無視はしんどい。
無視は妄想を生む種だ。
しかし、私にとって無視よりも許せないことがあった。
それが自分の怒りだ。
私は自分の怒りが許せなかった。
無視をすることと、怒りの解離

私は自分の怒りが解放できなかったとき、相手に対して無視するという態度をとらざるを得なかった。
友人や恋人など特に近しい人が、私の意に添わないことをしたとき、私の許せない言動をしたときなど、私に急激に怒りの感情がわくときがある。
しかし、
- 別に怒るほどのことではないでしょ?
- そんなことで怒ったらみっともないでしょ?
- そんなことで怒ったら理不尽でしょ?
- それは私の我儘でしょ?
瞬間的にそんな思考がブレーキとしてはたらき、自分の怒りを認められず、当然表出もできず、その怒りをスパッと切り離してしまっていた。
今だからわかるが、怒るのが適切な案件などない。
また、怒るのが不適切な案件などもない。
私は、単純に私が怒ることを拒否していただけだった。
怒る私など私ではない、消えてしまえ

- 怒る私など私ではない。
- 怒ると私が私ではなくなってしまう。
- 怒ると私は無くなってしまう。
私にはいつからか、いつもそんな感覚がうっすらとあった。
そして結果、怒りが生まれてしまうようなときは、その相手を冷たく無視してしまうのである。
怒れないから、無視という方法で攻撃するのである。
ちなみに相手を無視しているときは、ある種の満足感がある。
それは、相手との関係をコントロールできているような感覚であり、マウントを取れているような気分である。
相手が戸惑い、悲しそうにしているのが見えると、「それはあなたが私の怒りに触れるような行為をしたことに気が付かなかったからだよ」みたいな感じで、しめしめなのである。
しかし、私は同時に罪悪感や寂しさも感じている。
本当は、すぐにでもリラックスして、いつものようにその人と楽しくおしゃべりしたいのだ。
私に鋭い怒りを感じさせてくれる人の多くは、通常は私に最大限のリラックスを与えてくれる人なのだから。
無視をやめるときができるとき、できないとき

ここで、相手が「私なんかおかしなことした?」
などと、ちょっと下手にでて、聞いてきてくれると、本当に助かる。
結局、私が怒ったポイントをどんな形であれ言語化できると、スッと膠着したエネルギーが流れていってくれるからだ。
頑なに崩せなかった私の冷たい氷のような態度が、一瞬の痛みと共に流れていく。
不思議なものだ。
しかし、相手も居直って、お互い無視の状態になると冷たい関係がしばらく続く。
その場で私が、もしくはお互いに怒ることができれば、数秒、数分で終わるやり取りが、3日、1週間、1ヵ月と続いてしまうのだ。
なんとも冷たい戦い、不毛な戦いだ。
怒りの解放とバウンダリーで無視は起こらない

これが私の無視をするときの心理である。
ただ、私はやっとここにきて、怒りの解放とバウンダリーの方法の発見によって、そのような無視の態度を必要としなくなったように思う。
怒ったときは怒ればいい。
何も考えずに出せばいい。
その方が嫌な気持ちは長引かない。
「あれ?怒っても、結構大丈夫なのね。」
今私は、そんな体験をやっと少しずつ積み重ねているところだ。
少しずつ、怒ることに勇気が必要なくなっていく。
少しずつ、怒ることが当たり前になっていく。
貴重な経験である。
SNSの無視と私の心理

今度は逆に、無視されるほうの心理の話をしよう。
普段、私は直接人に無視されるということはほとんどない。
周りはみんな立派な大人だし、皆ちゃんと人を無視することはいけないことだと知っているからだ。
ただ、この無視されたという感覚はSNSなど通信機器を通すと非常にわかりにくくなる。
とりあえず、この記事ではSNSのやりとりを基本的にメールやLINEのやりとりとして書いていく。
まぁ、感覚的には似たようなものだろう。
SNSの無視感はわかりにくい

たとえば、私は、バウンダリーができる前は、メールやLINEを誰かに送って、それがすぐに帰ってこないと無視されているという気分になっていた。
私の場合、自分がメールやLINEを受信したとき、すぐに返してあげないと相手が不安になるだろうという思考が基本的にはたらく。
だから、手の離せない用事があるとき以外は、すぐに返信しないとすごくソワソワしてしまう。
正直に言えば「メールをすぐに返さないなんて、冥王はなんて○○な奴なんだ」と、相手の頭の中の冥王がひどい奴になってしまうのがとても嫌だったのだ。
それは、なんとかして阻止しなくてはならない。
そんな私だから、メールやLINEの返信は早い方だと思う。
逆に言えば、私が意図的に相手に返信しないときというのは、相手から距離をとりたいとき、やりとりに不満を感じているときの現れであった。
私はこの思考をどうしても相手に投影してしまうのだ。
メールやLINEは手軽に返信できるはずだ

私は、相手から返信が返ってこないとき、相手は自分から距離を取りたがっている、相手はこちらとのやりとりに不満を感じているに違いないと思い、強く心配してしまうのだ。
「私は無視されている・・・。」
メールやLINEの返信なんて、ちょっとの時間でできるはずだ。
私は子犬のように、震えながら返信を待っているのだぞ?
私にも、相手が忙しいのだろうと想定することはあるが、仲良くなって、相手の日常的な動きを把握しだすと、私ならこの時間なら返せるなという想像ができてしまう。
そして、その時間に返信がこないとザワザワする。
だけど、結局はその私の欲求、ザワザワを相手に直接表明することはなく、相手にバレないようにと我慢する。
私は、相手の頭の中の冥王をめんどくさいやつにしたくないからだ。
そうやって私は、相手の無視も、私のザワザワエネルギーの動きも、なんとか無視するのだ。
そして、結局はあとで相手に冷たい態度をとったり、イライラをぶつけたりするのだ。
一度生まれたエネルギーは抑えようとしてもなくならないのだから。
SNSの無視の破壊

さて、SNS(ここではメールやLINE)でも無視の破壊は可能だろうか?
「なんで、すぐメール返してこないんだ?不安になるだろ?私を軽く見てるのか!?なんだ、君にとって私は、とるにたらない存在か?オウ!?」
1時間いや、3時間メールが返ってこない相手には、こんな送信をしてみようか。
これはなかなかの破壊行為になりそうだ。
半分は冗談だが、このように自分のエネルギーの動きをオープンにできたら大分楽になるだろうな、とは本当に思う。
「は!?知るか、私は自分の時間を大事にしたいんだ。メールの返信なんて誰が相手でも、気が向いたときにしかせん!」
たとえば、こんな返信が相手から返ってきたら、安心すると思うのだ。
「そうか、なら良し!」って感じで。
思えば大事な人との、メールやLINEでのやりとりが、思い通りにならなくてヤキモキした経験は星の数ほどあるが、返信に関する考え方を充分にシェアしたことは私にはない。
誰に対してもメール、LINEの無視の破壊をしようとするのは、現実的ではないかもしれんが、大事な人とはちゃんと腹を割って話したほうが良い。
欲しいものは、欲しいという。
もらえない理由をしっかりともらう。
空気などよんでいられるか!
それができれば、少しは落ち着いて待てるようになる。
無視の破壊、無視する人、される人の心理、おわりに

今回は無視する心理、無視される心理ということで個人的な経験を書いてみた。
無視の破壊には慣れるまでは、結構な勇気がいるだろう。
しかし、慣れてしまえば、考えるまでもなく無視を破壊できるようになる。
それには怒りや、愛着欲求を隠さずに、解放することが必要だ。
怒りも愛着欲求も隠しているときは、隠している方が相手のためにも自分のためにも良いことをしていると思いがちだ。
しかし、隠さないようになると、今度は隠さないほうが相手のためにも自分のためにも良いことだと感じられるようになる。
あるものはある。
ないものはない。
ただそれだけだ。
さあ、皆のもの、無視を破壊せよ。
何もこわがることはない。
その無視は無益だ。
その無視を破壊せよ。
いいな!破壊の先にあるエネルギッシュな再生を信じろ!
以上!
冥王、黒田明彦でした。
私のエネルギー、もらってね。