光のいのり

安心と霊性

【他力門、妙好人】あの日、私もなければ宇宙もなかった。そしてただ安心だけがあった。

他力_妙好人

仏教の他力門。

浄土真宗、阿弥陀様。

その阿弥陀様を親様と呼ぶ人たちがいました。

彼らは文字も満足に読めない、学のない人たちでした。

仏様を親様と呼ぶ。

それはなんだか私には、とても懐かしい感じがしたわけなのです。

まずはこちらの動画をどうぞ

安心の他力門【妙好人】あの日、私も宇宙もなく、ただ安心だけがあった – YouTube

こちらは文字で語っていきます。

安心のための二つの門

こんにちは、黒田明彦です。

今日も安心について語っていこうと思います。

私は、これまで安心するために、いくらか仏教を学んできましたが、安心への仏教道には大きく分けて、二つの入り口があるように思います。

入口は別で、言葉も違うのですが、それぞれ安心を目指すということは一緒です。

自力門

一つの入り口が、仏教で自力門と呼ばれているもの。

自力っていうと、自分の力というふうに読むことが普通かもしれませんが、「自」の字は、(おのずから)とも読めるし、自然の「自」でもあるし、多くの意味を持った字ですね。

仏教で言うと、浄土宗系以外の仏教を自力門と呼んでいるようです。

ただ、私の場合の自力門は、浄土宗系以外の仏教全般のことではなく、「禅」のことを指します。

他力門

そして、もう一つの門が「他力門」。

主に浄土真宗、阿弥陀様の教えです。

自力門=禅

他力門=阿弥陀様の教え

この二つが私にとっての安心への道の二つの入り口となっています。

今回は他力門についてお話したいと思います。

他力門、自分の計らいを捨てていく道

他力門は、自分の力で安心していくっていうことを徹底して諦めていく道です。

他力というのは、阿弥陀様の不思議な力のことですが、とにかくそれに全てを任せていく。

そうすることで安心していく。

他力門では、自分の計らいをいかに捨てていくかということが大事になってきます。

しかし、まぁそうそう自分の計らい、自力なんて捨てられるもんじゃないわけです。

自力を捨てることって、自分を捨てることと同じ。

生きながらにそれができるとしたら、それは自力門的にいえば、悟りを開くことと同じといっても過言ではありません。

そうそうできることではない。

ただ、他力門の場合は、自分を捨てることについても、阿弥陀様の力を借りることができる、そんな感じはありますね。

自力は他力に包まれている

以前、私のカウンセリングの先生に聞かせてもらった言葉に、

「自力は他力に包まれている」というものがあります。

自分が自力だと思っているもの。

「ここまで私は、自分の力で、努力して頑張ってきたんだ!」っていうその自分の力は、すでに、すでに、他力に包まれている。

他力があっての自力である。

そういう考え方です。

仏教は物語で真理を説く

ところで、私には、これまで体験してきた、環境的、文化的なところで言うと、神やら仏やらを頼るということは、良くないこと、なければないほうが良いことみたいな感覚があります。

自分に自信がないから、自分が頼りないから、心が弱いからそういうものを必要とする

心の支えに偶像を必要とするのは、弱き者の心理である、みたいなイメージがあります。

阿弥陀様は宇宙の働き

仏教はいろんな難しい教えを物語で語ってくれます。

真理を物語にして伝える。

いろいろと人格化することも多いです。

その方が人間には分かりやすいからですね。

いかにして真理を伝えるかという方便の一つとして、物語化、人格化がなされる。

阿弥陀様もその一つだと言えるでしょう。

阿弥陀様の根っこというか、阿弥陀様そのものは宇宙の働きです。

宇宙の働き=慈悲である。

この慈悲を人格化したものが阿弥陀様であります。

浄土真宗は庶民のための仏教

昔の仏教は、めちゃくちゃ頭の良い人のものという、非常に敷居の高いものだったようです。

しかし、字も読めない、学校にも行ったことがないような、学のない庶民のための仏教が浄土真宗です。

阿弥陀様の物語と阿弥陀様の不思議な力を信じることができれば、誰でも救われることができる。

阿弥陀様は、とにかく、すべてのものを救う。

そこがミソなんですよね。

妙好人と親様

浄土真宗の教え、浄土真宗由来の言葉ってのは、いろいろあります。

難しい教えも結構あります。

しかし、昔は文字も知らない、学校も出たことのない、身分も高くないのに、阿弥陀様と深い関係を築くことができた人たちがいました。

いわゆる妙好人と呼ばれている人たちですね。

そういう人達は、阿弥陀様のことを「親様」って呼ぶんです。

阿弥陀様と言うときもあるようですが、もっと、もっと親しみを込めて親様、親様って呼ぶ。

親様は父、母一体

この親様という言葉は、父親、母親の両方を一つにしちゃったような感じのようです。

区別しないんですね。

ただ響きとしては、やっぱり母親的な印象が強いような感じがします。

自分を超越した宇宙の働き、自分の計らいを越えて自分を救ってくれる不思議な力。

それを親様と呼ぶ。

この感覚、私には、なんか懐かしいなという感じがしたんですよね。

宗教は身近であってこそ

宗教って言うと、特に日本では敬遠されがちですけど、実際は非常に身近なものであると思うんです。

親様という言葉で思い出されるもの。

私は小さな頃、すごく安心していたんです。

すごく元気で。

なんかちょっと嫌なことがあっても、全然へこたれなかった。

なにも考えてなかったっていうのもそうですし、自分という感覚も薄かった。

その幼い頃の私はとても母親が好きだったんですよ。

好きというかもう、一心同体という感じです。

私には母親がいるから大丈夫だみたいな感覚があった。

どこで何をやっていても、私には母親がいるから大丈夫だと。

絶対の安心感みたいのあったわけです。

絶対安心が壊れる

でもその安心感は、私が思春期を迎える頃にはぶっ壊れてしまった。

当時の私の感覚を正確に言うと、

「母親から私自身の存在が、ちぎれてしまった」

そんな感じです。

本当に痛かったし、本当に寂しかったし、本当に憎らしかった。

それが自我の始まりというか、私が私になる道のプロセスだったような気がします。

宇宙は恋愛では代用できず

母なるものからちぎれてしまってから、私には不安やら迷いが強烈に始まりました。

そして、その不安やら迷いやらを一時期は、とにかく恋愛で埋めようと頑張っていたわけです。

同年代の一人間である女性に、その母なるものというか、その背後にある宇宙と一体化とも言えるような絶対の安心感みたいなものを求めてしまう。

そんなんでうまくいくわけがないんですよ。

宇宙と未分

小さな頃、母のことが好きだった。

すごく安心できていたというあの感情は、実は宇宙と一体化しているような感覚だったようです。

母を通して宇宙と一体化していた・・・というよりも、未分。

宇宙と分かれていない感じ。

宇宙と自分の関係が非常に曖昧な感じ。

だけど、自我が育って、私は私ってなったら、宇宙からスパッと切れてしまった。

そこからは、まぁ孤独。

絶縁状態。

つらく、寂しい人生になってしまったわけです。

再び未分の宇宙へ

阿弥陀様を親様と呼ぶような、そんな人達が居たということを知ったときに、あの時の母親に感じていた絶対の安心感を思い出せたのです。

母と自分が分かれてない、分けようもなかったあの日々。

それだけで十分安心だった。

あの感覚を思い出しました。

阿弥陀様、親様と、一つでも二つでもない関係になれる

私は阿弥陀様であり、阿弥陀様は私である。

だけど同時に、阿弥陀様は阿弥陀様であって、私は私である。

そんな不思議な関係になれる。

そういうイメージがあるんですよね。

肉親に絶対安心を求めるのは無理がある

実際の肉親は、状況によっては子供に対して、絶対の安心を与えてくれる存在ではないこともあります。

世の中には虐待って言葉があるのは事実です。

実際、人間と人間の関係だから何が起こってもおかしくはない。

だけど人間と仏様の関係であれば、要は人間と宇宙の関係であれば・・・。

人間と宇宙の境目がなくなって、また、安心していける

絶対の安心に還れるかもしれない。

なんかそういう憧れみたいなものがあるわけです。

生まれる前の安心感という希望

なかなか、親様、阿弥陀様って人格をイメージした上で、そこで安心していくっていうと抵抗があるかもしれません。

だけどあのときの・・・。

変な言い方をすれば、生まれる前の安心感みたいなものにもう一度抱かれことができる。

そういう可能性は全然あるよなぁと。

希望ってそういうことじゃないですかね。

自我というものが生まれる前の、宇宙と自分が分かれてしまう前の、あの時に生きながらに還れるということ。

これ実は「禅」の希望もそうなのだと思うのです。

その辺りで自力門と他力門の目指すところは一緒であると言えるんですよね。

あの日、私もなければ宇宙もなかった

他力門は

阿弥陀様っていう対象

イメージ

人格を作る

そこに助けてもらいながら

一つに還っていく

記憶もないぐらいに小さな時の

何だかよくわからない

絶対的な安心感

それは母が与えてくれたものだと

信じ込んでいたけど

実はそうではなくて

母を通して

母を通って

宇宙と繋がっていた

宇宙と分かれてなかったんだ

あの日、私もなければ宇宙もなかった

そして安心だけがあった

安心と働きだけがあった

思春期の頃になって、そこからちぎれた

大変だよな

それは孤独で

それは、それは、悲しいよな

だけど今度は母を通さなくても

宇宙と分かれないですむようになる

懐かしく子供に還っていく

子供以前に還っていく

私のままで私以前に還っていく

そんな感じ

安心は安心に非ず、故に安心である

不安は不安に非ず、故に不安である

黒田明彦でした

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