光のいのり

私流「禅」

神にも出来ない人間の悟りの境地、「半分悟り」

神にもできない_半分悟り

どうも黒田明彦です。

禅を学びだしてから、陰陽や、循環にものすごく妙を感じるようになっております。

今回のテーマは「悟り」。

鈴木大拙の言葉に感銘を受けて語ってみました。

苦楽を行き来することこそ、人間の醍醐味。

超自己と自己を行き来することは、神にもできない人間だけの素晴らしい営み。

「半分悟り」こそ純粋な悟りかもしれない。

いいですよねぇ。

まずはこちらの動画をどうぞ。

神にもできない「半分悟り」こそ純粋な悟り!人間だからこそできる悟りの境地とは?

それでは補足解説をご覧ください

悟り「見性」を得たい私

こんにちは、黒田明彦です。

また、禅体験について語っていこうと思います。

今回は、悟りについてですね。

「禅」では悟りのことを「見性」(けんしょう)と言います。

集中して座禅をしたり、師匠と難しい禅問答をしながら、悟りの境地みたいなものに達する。

それが「見性」。

絶対「一」にぶつかりたい私

前回の動画でも語ったのですが、

今私が、目指しているというか、ぶつかりたい、味わってみたいという境地の一つが、

絶対「一」

です。

それは「二」が生まれる前の「一」

物が二つに分かれる前の絶対の「一」。

私という(自我)が生まれる前の世界というか、絶対平等、絶対無、そのような境地ですね。

無分別の境地

今私が「禅」に関する本として読んでいるのは、もっぱら鈴木大拙なんですが、その鈴木大拙が言うには、無分別の分別

人間は分別から離れることはできない。

しかし、無分別の境地からくる分別というものがある。

これは、浄土真宗の他力ともつながっていそうな感じがしますね。

自我は分け隔てる機能

人間の自我は、物事を分け隔てて、いろんなものを「私ではない、他」として理解していきます。

これはA、

これはB、

これはC、

というように、物事をどんどんどんどん分けていく。

私(自我)を中心に全てのものが分かれていく世界を分別の世界、相対世界といいます。

この分別・相対の世界ではなくて、無分別・絶対の世界に出会いたい、ぶつかりたい、触れてみたい・・・。

そう思いながら、今私は、座禅をする毎日なわけです。

全然悟れる気がしない…

しかしまぁ、なんというか全然、新しい境地に達する気がしない・・・。

どうしたらそういう「見性」を得るというかね、絶対の境地に達せられるんだろうか?と。

少しやったぐらいで、そこまで行けるわけがないよなぁとも思うんですけどね。

超自己と自己を行き来する

しかし、ある時、鈴木大拙の本をまたペラペラと読んでいたわけです。

大拙の本は難しいから、読めるとこだけ読んでるような感じなんですけどね。

しかし、そこですごくびっくりした言葉に出会いました。

「あぁそれでいいんだ、それでよかったんだ」

私にはそう思えるところがあったわけです。

超自己と自己を行き来できる人間

鈴木大拙曰く、

「超自己と自己を行き来するっていうところが、人間の醍醐味である」

大拙は芸術でわかりやすく説明してくれていました。

素晴らしい芸術品を作る人っていうのは、何かに取り憑かれたような、神が降りてくるじゃないけど、自分を超えた何かによって動かされるという感覚をもつものだ。

そういう状態の人間によって作られた作品こそが、人の心を打つ。

自分の力を超えた働きとしかいいようがないものに、突き動かされながら、確かに自分で作ったその作品を自分で眺めて感動することができる。

超自己と自己を行き来する。

それが人間の醍醐味であり、それは、神にもできないことだ。

こういう言い方ができるところが、大拙のすごいところだなぁと本当に感動しています。

大拙の根底には、揺るぎない人間肯定があるような感じがするんですよね。

カッコいい・・・。

私の他力(超自己)体験

私にも他力(超自己)に出会った経験ならあります。

それは、主に言葉による体験です。

語っているときもそうだし、書いているときもそう。

自分の力を超えて、言葉がやって来るという感覚ですね。

その感覚は、いつしか私にとって親しいものとなりました。

救われきれない私

しかし、それだけでは私は救われなかった。

なんというか、救われきれていないのです。

私は、悟った、「見性」した、救われたという状態というものは、その境地に達したら、もうそれで終了、OK!ってなるものだと思っていたわけです。

そういう状況をいつまでも当たり前のように維持できるようになるというか、救われたら救われっぱなしになるというか。

そういう状況になることをイメージしていたわけです。

悟りとは救われたと救われてないを行き来すること

しかし、大拙が言うには、そうではなくて、

  • 救われたと救われてない
  • 悟れたと悟れてない
  • 「見性」と「見性」じゃない

この二つの世界を行き来するっていうところが大事なんだというわけです。

私としては、

「あぁ、そうか・・・、それでいいんですね・・・。」

煮え切らないような、だけどホッとしたような、不思議な気持ちになりました。

人間にしかできない「半分悟り」という境地

あらためて、私が他力(超自己)に出会った経験を振り返ってみます。

それは、カウンセリングの学習との出会いであり、言葉の語る言葉との出会いであると言えます。

下手な修行をするよりも、多分、これが一番他力(超自己)に出会いやすい道なのではないかと私は思っています。

他力(超自己)と出会う簡単な方法

やることは単純。

私の言葉の相(すがた)を聞いてくれる人に向かって、ただ言葉を語ること。

そして、その自分の言葉の相(すがた)を他の人の声でもう一度聞かせてもらうことです。

それをやっていると、言葉が私の意思を超えて、勝手に語りだします

自分の力を超えてやってくる言葉に出会えます。

普段思ってもいないようなことが言えることがあるので「これ本当に自分で話している言葉なのかな?」と不思議に思えるときさえあります。

そんな体験が、私の他力(超自己)との出会いです。

体験から学ぶということ

そしてそれは「こういうものですよ」って、誰かに教え込まれたり、信じさせられたりしたものではなく、あくまで体験が先にあって、その体験から「あっ、こういうことなのか」と、自分で学んでいるわけです。

そうなると、疑う必要がない。

体験が先にあり、そこから学んでいるわけですから。

「だって、そういうふうになってるんだから、不思議だけど仕方ないよね。」

って感じです。

これが実感というものです。

より自分が救われていく道を目指して

このように、いわゆる自分を超えた力にぶつかる、出会いの体験というのは本当に大事だと思います。

しかし、しかし、

それでは、それ以降、私は救われたのか?っていうとそうではないのです。

日々は、全然苦しかったり、全然辛かったり、全然悲しかったりするわけですよ。

他力(超自己)に出会えても、救われてないじゃないかと。

だから私はより救われていくためにまた「禅」というものにハマっていったわけです。

半分しか救われなかった私

カウンセリングの先生に出会って、他力(超自己)、言葉の力と出会った。

言葉が私に向かってやってくる。

私の力を超えて、言葉が私にやってくる。

そんな体験ができて、語ることで、言葉に私を教えてもらい、その都度私が救われていくって体験を何度もしました。

私の言葉が私を広げてくれる。

私の言葉が私を落ち着かせてくれる。

しかし、しかし、救われきれない

日々はしんどいままです。

他力(超自己)に出会っても、半分ぐらいしか救われてない・・・。

私はそんな気がずっとしていました。

その半分しか・・・というところがミソなんだ

もちろん、その半分の救いのお陰で、私は、もしかしたら心の病気にもならなくて済んだのかもしれない。

そして、今はそうでもないのですが、一時期、自分というものにしっかりとした軸とか芯を感じ、自信を持って生きることもできた。

でも、救われきってない。

行ききってないっ感じというか。

まだ苦しい、まだ苦しい。

なんかそんな感じがあるわけです。

しかし、どうやら実は、その半分しか救われてないってところがミソのようなのです。

私が救われるには、救われていない私が必要

逆説的ですが、私が救われるには、救われていない私っていうのが、どうしても必要なんだっていうことなんですよね。

救われていない私がいるからこそ、救われる私がいる。

だから、救われてない私をなくそうとするのではなくて、救われていると、救われていないを行き来する私が大事なんだと。

辛い、苦しい、救われないがあるからこそ、嬉しい、楽しい、救われたがある。

そこを行き来するんだ。

そこを行き来ができるのが、人間の素晴らしいところであり、神にもできないことなんだよ。

重ね重ね、この鈴木大拙の言葉は、すごいなぁと思うんですよね。

悟って、悟りっぱなしにはならない

仏になって、なりっぱなしにはならない。

悟って、悟りっぱなしにはならない。

必ず行き来する。

行き来するからこそ、人間。

悟り「見性」救い、救われ・・・。

そういうのは、半分でいいんだ、と。

いや半分が、むしろ、なんていうか…、

純粋、なんだよ。

空淡、黒田明彦

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