やぁ!冥王だ。

こんにちは。

逆エンパスについての記事をたくさん書いている、逆エンパス博士と呼び声高い(二人くらいに言われたのが嬉しかっただけ)冥王、黒田明彦です。

これから、逆エンパスとしての感性に目覚めた私が、冥王という大それた名を名乗るに至った経緯を簡単にお知らせいたします。

優しいということに憧れていた

私だけではなく、深く鋭い感性を生まれながらにして持ち合わせてしまった人は、自分自身のエネルギーを抑えながら生きていこうとするのが、わりと自然な形であると思います。

深く、重く、鋭く、大きいものは、それだけでこわいものです。

人間の持っている衝動に、いちいち深く、重く、鋭く、大きくふれてしまう身体をもっていれば、そうそう、それをそのまま受け入れるなんてことはできない。

それは当たり前のことです。

私はずっと優しいということに憧れていました。

そのままの人間でいるよりも優しい人間でありたい。

この「優しい人間になりたいという願望」こそが自分のエネルギーから自分の身を守るためのブレーキだった、のかもしれません。

2つの覚醒

2019年の秋ごろ、思春期の頃からずっと抱えていた葛藤が一歩前進しました。

一心同体だった、母からちぎれてしまった私。

その痛みと向き合い、そして、今もなお強い融合欲求を抱えている私に出会った。

これが1つ目の覚醒。

私は、母への思い、母と一心同体だったころのエネルギッシュな私を思い出し、母との関わりにエネルギーの源泉をみた。

私は自分の中にあるエネルギーの源泉と離れてしまっているという感覚をもつにいたったのです。

母と融合しているときは、エネルギーの源泉は母との関係だった。

しかし、私の自我の成長により、母と一心同体ではいられなくなってしまった。

そして私は、母からちぎれてしまい、エネルギーの源泉を失った。

次に2つ目の覚醒。

母からちぎれ、エネルギーの源泉を失いながらも、私はなんとかバランスを保っていました。

実に20年もの間、エネルギーの源泉から離れて暮らしていた。

なんとも省エネの毎日。

時間稼ぎのような毎日。

私には何かをずっと待っている感覚があった。

いろんなものがこわかった。

とにかく人とぶつからないように過ごした。

人とぶつからないことがとても上手になった。

何もぶつからず、何も壊さずに、ただ人の心を揺らすこと。

そんな練習をずっとしている気がしていた。

自分自身のエネルギーの抑圧を糧に。

つめたく、静かに

何をやっても楽しくないような気がした。

いや、楽しいということすら危ないと思っていた。

真っ直ぐ、冷たく、静かに。

それだけが安全だった。

ときどきはあった。

どうしても怒りになってしまうようなこと。

私は本当にそれがつらくて仕方がなかった。

私は人の怒りに触発されるたびに、身体が壊れるほどの強いストレスにみまわれた。

怒ることは危ないこと。

やってはいけないこと。

怒ることは暴力そのものであり、あってはならないもの。

そして、怒っているときの私は、自分が消えてなくなってしまうような感覚だった。

覚醒前夜

あの日も私は、他人の怒り、正確には(私を責めるようなエネルギー)を敏感に感じ取り、それに触発され、自分の中に怒りのエネルギーを感じた。

その瞬間、私は強い痛みとともに、自分を失ったと感じたのである。

いつものことである。

すさまじいストレスを感じた。

「俺を怒らすということは、俺を殺すと言うことだぞ。」

そんなマグマのようなエネルギーに私の身体は焼かれた。

いつもの事だ。

が、今回はちょっと違った。

なんでだろう?

消えていく私

身体がうけているダメージが冷めやらないままに、ずっとお世話になっているカウンセリングの先生に会いに行った。

そこで、ダーッと話している中で、生まれて初めて、「怒りが生まれた瞬間に私は私を失うような感覚に陥る」ということを言語化できた。

私の感性が、やっと私の身体のはたらきにリーチしたんだ。

ずっと当たり前の感覚だったけど、そういえば、一度も言語化できたことがなかった。

そしたら、私の言葉を聞いていた先生が言ったんだ。

「私は怒っているときこそ私。正真正銘の私!って感じがするけどね。」

はっ?
マジ?
嘘でしょ?

びっくりした。

そして、凄まじく希望を感じた。

すげーワクワクしたんだ。

あ、私、変われる。

予感だ。

怒っていいのか?
本当に?
怒りって危ないもんじゃないの?
でも、先生が言うんだしな・・・。

おそる、おそる、

「怒りこそ自分自身」

この言葉が私の言葉になった瞬間、私の身体にエネルギーが溢れたんだ。

怒りとは私。
怒りこそ私。

あー、離れ離れになっていたんだ。

私のエネルギーの源泉。

ずっと一緒にいたのに。

ただこわいものでしかなかったもの。

その名は冥王

私は怒りになる。

怒りこそ私。

それはつまり、私は私のエネルギーを受け入れるということ。

私は怒りそのものとなること。

それがどれほどの迫力のあることか。

破壊。

それはつまり、破壊を受け入れるという迫力であり、王になるという迫力。

私が私になることで、破壊が生まれないわけがない。

その破壊までも受け入れるという迫力。

そして、その破壊の先にはエネルギッシュな再生が待っていることを真っ直ぐ信じる。

遠く遠く、深く深く、誰の目にも映らないようなところに確かに存在する、冥王星。

メイ、オウ

冥王。

私がずっと抱えていたエネルギーのスケール。

当たり前のように破壊を生むほどの深く強烈なエネルギーの源泉。

その名が冥王だ。

私がこわかったもの

私がこわかったのは、私のエネルギーそのものだ。

私のエネルギーがこわくなくなったら、怒るのがこわくなくなったら、世の中のこわいものはほとんどなくなる。

それこそ、なりたい自分だ。

私は覚醒した。

私は怒るのがこわかった。

怒ることは、私にとっては「死」を意味した。

だから、人に会いたくなかった。

人に会って、怒らないためには、細心の注意が必要だ。

しかし、今、私にとって怒ることは「生」を意味している。

だから、今私は、人に会いたい。

おわりに

冥王として覚醒し、月の逆エンパスと称していた時とは、また別人になってしまった感覚があります。

月の逆エンパスだったころは、皆様に暗に抑制を示唆していましたが、冥王となった今、あからさまに開放を促します。

逆エンパスよ、エネルギーの源泉を開放せよ!

あんたの生命の声をただ、思い出せ!

冥王 黒田明彦でした。

私のエネルギー、もらってね。