この記事は、触発系youtuber冥王(逆エンパス)黒田明彦の「貯金が人を貧しくする!?お金についての苦しみを考えてみた【見るだけで純粋性が高まる動画vol.8】」という動画の補足解説記事になります。
私、お金って生命みたいに大事なものみたいな感覚があるんですよね。
そして、お金を使うと、生命が削れてしまうような感覚さえ感じる。
なんか、それって貧しいなぁっていう感じがするんです。
というわけで、今回はお金についてのお話です。
別に儲け話とかではないので、読んでも得はしません。
ただ、あなた自身が自分のお金の感覚に問いを持てるようになればと思っています。
それでは、どうぞ。
- 見るだけで、純粋性が高まる
- カウンセリングの疑似体験ができる
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まずは、動画をご覧ください
貯金が人を貧しくする!?お金についての苦しみを考えてみた【見るだけで純粋性が高まる動画vol.8】
それでは、動画の内容の補足解説をどうぞ!
貧しさを感じたので、お金について考えてみた

私には、これまでの人生でお金について特に困った経験はないのに、お金に対する価値観がすごく貧しいなって気持ちがあります。
そこでお金のことについて、あらためて考えてみたくなりました。
私は、今の自分の暮らしを考えたときにですね、とにかく貧しさを感じているんですよ。
別にお金がないから貧しいわけじゃないようです。
私には一生遊んで暮らせるようなお金は全然ないですが、1、2年は食べていけるぐらいの貯金はあります。
それなのに、めちゃめちゃ貧しい感じがしているのです。
お金があるのに貧しい。
これ何なんだろうなって気がしていて。
お金って何なんだろうなっていう疑問が私の中でどんどん大きくなってきたんです。
お金を使うと嫌な気持ちになる
私は、ちゃんと必要なものを買ったり、自分の欲しい物を買っただけでも、お金が減ると、とにかく損したような気持ちになる、いけないことをしたような気持ちになるんです。
なんというか、自分の生命が削れていくような気持ちすらあるのです。
なかなかの迫力ですよね。
言ってみれば、私の中で、お金の価値が、何よりも高いという状況になってしまっているのです。
そして、あらためてその自分の感覚を振り返ってみたときに、これってすごく貧しいなって気がしたのです。
私の中で、お金の価値が高すぎるから、私は貧しくなっているのではないだろうか?
そんな感じがしてきたわけです。
未来を想像して苦しむ私
今の私によくある苦しみ方っていうのは、
1年後、2年後までは、別に今をどう暮らしていても大丈夫。
だけど、3年後4年後のことを考えたら、今のままでは本当に苦しい思いをするかもしれない…。
そのように、未来の自分を想像して、この今に苦しみを感じるっていう感覚で生きている感じなんですよね。
だから常に、未来の自分のために稼がなきゃ、未来の自分のために稼がなきゃ、という気持ちに追われている。
貯金が減ったら私は死んでしまう
貯金を減らしちゃだめだ、貯金を増やさなきゃと。
今生きるためのお金じゃなくて、将来のための貯金を増やさなきゃって。
貯金を減らしたら僕は死んでしまう。
死に近づくみたいな、そういうおそれ方をしている。
もうとにかく貯金の価値が私の中でめっぽう高い。
なんかもう、自分自身の生命以上に貯金の価値が高くなっちゃってる。
そんな感じがするんです。
貯金の価値が高すぎる私

だけど私の場合、特に使う目的もないのに、ただただ、将来の安心のために貯金するために働くって感覚って、なんかわかりにくいんですよね。
今を生きているという感覚が薄くなっていくというか。
なんのために?が疑問として常にあるみたいな。
活動の実感と手応えが得にくいというか…。
例えば…、
今日の自分の食事のため、寝床のために、頑張る、生きる。
そんなふうだと、今のために、今のためにっていう感じが、とてもわかりやすい。
だけど、常に先のために今を使っていくみたいな感覚で生きていると、今を生きてる、今のためにやっているというわかりやすさをほとんど感じられないんですよ。
蓄えるという発想を再検討してみる
じゃあ、どうしたら今を分かりやすく実感して生きられるかっていうことを考えたわけです。
そして、思ったのが、蓄えるって発想を当たり前として考えていては、今を生きるのって、難しくないですかね?ってことなんですね。
先々の事を考えるから、蓄えるわけです。
蓄えって、明日、明後日、一週間後、1ヵ月後、1年後のためにあるわけですよね。
この蓄えるっていう発想がある限りは、今を生き切るなんてできなくない?って気がするんですよね。
今やりたいことをやってしまったら、未来が危ない!
常に先々のために蓄えよう、蓄えようって発想になると、今を生きるって発想は薄くなっていく。
今やりたいことをやったら、明日明後日、苦しくなっちゃうんじゃないか。
だから、今やるべきことは、明日明後日のための蓄えだと。
これが、明日明後日のために蓄えるならまだマシなんですけどね。
1年後、10年後の為に今蓄えるんだっていう事が当たり前になってくると、なんか「今って何?」って感覚になってくる。
お金を使う価値と、お金を蓄える価値の逆転
あらためて考えてみると、お金っていうシステムは、常識的には、10年後、20年後、100年後のための蓄えすらできちゃうシステムなんですよね。
食べ物は腐ったりするから、何年後までは蓄えられません。
米とかなら、結構備蓄できたりしますけど、限界はありますよね。
どんなに名残惜しくても、どこかで効率的に消費する必要があります。
むしろ消費しなければ無駄になってしまう。
だけど、お金の蓄えには限界がありません。
蓄えに限界がないから、消費しなくても、無駄にはならない。
お金があればなんでもできる、そして、いくらでも、いつまでも蓄えられる。
ここからの思考の流れで、私の中で、お金は使う価値よりも、蓄える価値の方が高くなってしまっていたようなのです。
お金を使うことよりも、お金を蓄えることに強い価値を感じており、しかもお金は、際限なく蓄えられてしまうので、私はお金を使えずに、貧しさを感じていたようなのでした。
そして、以前のような収入がなくなった今、生命よりも大事な貯金が減っていくことに怯えながら暮らす毎日になってしまっているのです。
今をエネルギッシュに生きたい

- 未来のために生きたくない?
- 今を生きたい?
- 貯金が、今を生きるのに邪魔?
- それなら、貯金をはきだせばいいだろ?
頭では、そう考えることはできても、なかなか、そんなこわいことはできないんですけどね。
だけど、今を本当にエネルギッシュに生きたいのであれば、蓄えに関する考え方は変えたほうがよいというところまでは考え至りました。
今までのお金を蓄えるって発想から、どれだけ自由になれるか。
それって多分、私にとって、とても大事なんだろうなって思っています。
お金は無限に蓄えられるものだからこそ、無限に欲望とか不安を掻き立ててしまうところがある。
どうも、どこまでも蓄えていけるものって、際限なく蓄えていきたくなるものらしいですね。
蓄えているお金に価値を持たせすぎてしまうと、いつまでたっても、いくら貯まっても、お金が使えなくなってしまって、どんどん人間は貧しくなるんじゃないかなと私は思うのです。
貯金の価値を自分の中で下げられるか
だから、できるだけ蓄えているお金の価値っていうものを私の中で下げていきたいなと思うわけです。
ゼロにはできないですけどね、生活できなくなっちゃいますから。
蓄えたお金が生命よりも、言葉よりも、エネルギーよりも、愛よりも価値が高いような人生観って、おそらくつまんないと思うんです。
今になってそれがちょっとわかった気がしました。
お金ってすごく身近なものです。
私は、人からお金をもらうことって、人から生命を奪っているような感覚すらありました。
だけど、自分の中でお金を蓄えるということの価値がもっと下がってくれば、
「別に、あげるのも、もらうのも大したことじゃなくね?」
みたいにとても気軽になって、豊かな人生になっていくんじゃないかと思ったわけです。
貯金が人を貧しくするのでは?まとめ

お金を貯えるということの価値が高くなりすぎると、人間は貧しくなるんじゃないか。
だから自分の中でいかにお金を貯えるということの価値を下げることができるか…。
それは私にとっては、とてもこわいことでもあります。
今だって、蓄えたお金のことを自分の命のように大事に感じています。
お金があればなんでもできる、お金がなくなったらなんにもできない。
そんな感じで、強烈にお金に依存している感じです。
お金に依存しなくても、生きていけるようになれば、もう少しこの世界は楽しくなるんだろうなって思ったりしますね。
難しいところですけどね。
とにかく一つのステップとして、お金を蓄えることの価値について考えて、その価値を下げていくという感覚は大事なような気がしています。
それは、世の中の一般常識とは逆かもしれませんが、私が私の人生をより豊かに生きるためには、必要な価値観のような気がします。
こわいですけどね。
私としては、余分な蓄えをつくるために生きる毎日って、なんなの?って感覚は忘れないようにしたいなと思ったわけでした。
はい、今回はここまで、
あなたの心には何が湧いたでしょうか。
あなたの心には何が残ったでしょうか。
冥王(逆エンパス)黒田明彦でした。
私のエネルギー、もらってね。