直感と言う言葉をご存知でしょうか?
予感、虫の知らせ、第6感・・・。
未来に何が起こるかわかるとか、やけに勘が鋭いとか・・・。
女性は勘が鋭い、直感的だ!などというのもよく聞く話ですよね。
直感って、なんとなく超能力的なものを連想させる言葉ですよね。
私はこれまで、あまりこの直感という言葉に関心がもてませんでした。
自分自身生きづらい程に感覚が鋭いことを自覚しているのですが、その感覚を直感という言葉で表現するのに抵抗があったんですね。
しかし、直感という言葉に似た言葉に「直観」という言葉があることをあらためて知り、グッと興味をそそられました。
そして、あらためて考えていくうちに、直感という言葉も非常に身近に感じられるような私なりの理解にいたったのです。
この記事では、「直観力ってなに?直観力の意味と鍛え方、直感との違いも」
ということで書いていきます。
似た言葉が並び、ちょっとわかりづらいかもしれませんが、興味のある方は読んでみてください。
直観ってなに?直観の意味

まずは直観の意味について、辞書的な言葉の意味を参考にしながら、私なりの体験的理解をまとめてみました。
直観とは、すでにわかっていることをわかっているように見るのではなく、今ここで起こっている物事をありのままに、純粋に観るということ。
思い込み、決めつけ、社会風習、文化などの影響力から独立し、今ここの物事をありのままに観る力。

それが直観力です。
たとえば、「有名な大学の偉い先生が発表した研究だから、その研究は正しい!」ということよりも、「どうもあの先生は有名で偉い人のようだが、私は会ったことがないし、自分はその分野の素人なので、その先生の研究が正しいかどうかはわからない。」という方がより直観的であると言えます。
直観力の大事なポイント
直観における大事なポイントは、「今ここ」という感覚です。
たとえ、他の誰かの意見や、風習・慣習に縛られずに物事を観ることができても、過去に自分によってなされた、その物事に対する評価や判断に縛られながら観ているのでは、直観的ではあるとは言えません。

直観力が鍛えられている人は、今ここの情報によって、すぐさま過去の自分による評価や判断を更新していくことができます。
直観力と直感力の違い
直観力は真っ直ぐありのままに物事を捉えることができる力だと説明しました。
それは、事実を事実として真っ直ぐ観る力と言ってもいいかもしれません。
この直観力を支えているのは、「他の誰でもない自分の身体の感覚」というものです。
人は、自分の身体の感覚を頼り、「各々の物事が私にとってどうであるか?」という視点にドッカリと座ることができなければ、直観的に物事を観ることはできません。
そして、私はこの「他の誰でもない自分の身体の感覚」にリーチする力のことを直感力と言いたいのです。

直・感・力!
直感力ってなに?

なんとなく、この人の言っていることは心地が良いなとか・・・。
なんとなく、この人の言っていることは信用できないなとか・・・。
直感とはそのような「なんとなく」な感覚ですよね。
この「なんとなく」という感覚は、実は身体的な感覚なのです。
つまり、物事に対し、自分の身体がどう反応するかというところで、その物事をとらえるのが直感的とらえかたであり、物事に対する身体の反応を適切に言語化するのが直感力であります。
非直感的思考

直感的思考

直感力が鍛えられてくると、より身体の声に耳を傾けるのが上手になり、どんどん身体の反応に添うような言葉を言語化できるようになります。
そして、今まで眠っていた、身体本来の力にリーチしていくことも可能になっていくのです。
直観力と直感力の関係
実は、直観力の一番の頼りは直感力です。

繰り返しますが、直感力とは物事に対する身体の反応を適切に言語化する力です。
直感力が弱い場合、なかなか直観的に物事を見ることも難しいです。
直感力が弱ければ、自分の純粋な身体の反応を頼ることができず、物事からの違和感や不自然を感じとる(認識する)こともできないため、その場を支配している影響力を認識し、はねのけた上で物事を観ることが難しいからです。
直観力の鍛え方

上述の通り、直観力の一番の頼りは直感力(物事に対する身体の反応を適切に言語化する力)です。
ですから直観力を鍛えるということは、直感力を鍛えるということにもつながっています。
これからそれを踏まえた上で、直観力の鍛え方についていくつか紹介してみようと思います。
直観力が鍛えられると、社会の在り方や、一般常識、権力者・支配者の影響力から、一歩も二歩も距離をとることができ、それらを独自に検討することができるようになります。
直観力を鍛えるには、まずは直観的であろうとすること
直観力を鍛えるには、まずは直観的であろうとすることが大事です。
直観的であろうとするには、自分はどう思うか、自分はどう感じているかというところに常に関心を払っていく必要があります。
直観的であろうとすることは、深い自己表明をしていこうとすることと同じです。
直観的であろうとすることは、他の誰でもない自分であろうとすることと同じです。
目の純粋化
直観力を鍛えるには、余計な思考を差しはさまず、ありのままに物事を見据えていく目を鍛えていく必要があります。
それはつまり、他人の意見や影響力、そして過去の自分の体験・経験や、未来の不安によって曇ることのない、この今の現実を射抜く目、純粋な目を持つということです。
直観力は独立的な精神が鍛える
大事なのは、常に自分で物事の分別を決めていく意思。
そして、自分自身で物事の判断をしていくという意思。
物事の価値観、判断を他の誰かに任せてしまっているうちは、そして、そんな自分に気が付かないうちは、直観力は鍛えられていきません。
自らの直感に従い、事実を事実として観ていこうとする試行錯誤の中で、直観力は鍛えられていきます。
世の中のひとつひとつのことを純粋に疑える感性。
科学だって、神や仏ですら、純粋に疑える感性。
それが直観力を鍛えていきます。

私はこう思う。
私はこう感じている。
私は、私は、私は・・・。
私はという言葉を常に前に出し表明していくことで、独自の価値観を育てていくことが、直観力を鍛えていきます。
体験・経験が直観力を鍛える
読書によって直観力を鍛えるには、コツがいります。
読書って基本的には知識を得るためのものですよね。
しかし、直観力・直感力を鍛えるのは、知識ではなく、体験・経験の純粋な表明です。
知識とは他の誰かからの借り物の体験であり、まだ、「他の誰でもない自分の身体の感覚」になっていない、なにものか、です。
そんなものを頼りにしても直観力は鍛えられません。
したがって、ただ本を読んでいるだけでは直観力を鍛えるのは難しいです。
読んだ本に対し、そこに書いてある情報を鵜呑みにするのではなく、「私はこうだ!」とぶつかり、検討できるようでなければ、いくら本を読んでも直観力は鍛えられません。
もし読書によって直観力を鍛えたいのであれば、そこには事実が書いてあると思い込むのではなく、それを書いた人と向かい合うつもりで読むのが良いでしょう。
直観力とは?まとめ

「直観ってなに?直観の意味と直観力の鍛え方、直感との違いも」ということで書き進めてきました。
直観は、物事を決めつけず、思い込まずに、真っ直ぐに観るということ。
それには何にも縛られない純粋な目が必要であり、同時に直感力も必要であるということでしたね。
直観的であることは、何にも惑わされない「たった独りの視点に立つこと」とも言えそうです。
ちょっと寂しい感じもするでしょうか。
しかし、もしあなたの直観力が高ければ、皆が一斉に何かに惑わされているときでも、あなただけは静かに事実を見つめていられる。
それって素敵なことじゃないでしょうか
それに、事実はちゃんと見つめていると、しっかり微笑み返してくれます。
事実は、他のどんな幻想よりも美しく、優しい。
誰よりも直観的な人は、誰よりもそんな事実と仲良くできる人なんです。
あなたもそんな人になりたくありませんか?
月の逆エンパス、黒田明彦でした。
私のエネルギー、もらってね。
直観力が強すぎて、生きづらいという人は、もしかしたら逆エンパスなのかもしれません。