他人と一緒にいると緊張して疲れてしまう。
そんな体験をしたことがある人は多いのではないでしょうか。
慣れない人と一緒にいると多少なりとも緊張して疲れてしまうものです。
しかし、その緊張がとても強くて、あまりに疲れすぎてしまうと、他人と会うのが苦痛となり、人生が生きづらくなってしまいますよね。
今回は、「嘘がつけなくて、緊張して、疲れてしまい、他人と会うのが苦痛な人へ」ということで、嘘がつけないことで緊張し、疲れやすい私自身の体験から、1つだけ前向きな対処法を提案したいと思います。
興味のある方は読んでみてください。
私が嘘をつけなくなった理由
私は、嘘がつけなくて、緊張して、疲れてしまい、他人と会うのが苦痛な人の一人だと自覚しています。
私は嘘をつくのが苦手です。
嘘をつくことができないといっても過言ではないかもしれません。
しかし、実際の生活では、ある程度嘘がつけないと、緊張し、疲れてしまいます。
私は、これまで、もうちょっと器用に嘘がつければいいのになと考えたことが何度もありますが、嘘がつけなくなった充分な理由を自覚もしているので、いつも堂々巡りをしてしまいます。
純粋な世界との出会い

私は20代になったころから、ずっとカウンセリングの学習を続けています。
最初に学習の場に参加して、先生にお会いしたときは本当に衝撃でした。
嘘が必要のない世界。
それでいて誰もが傷つかない世界。
こんな世界があるんだ!
本当に驚きました。
嘘をつかされることが当たり前だと思っていた私。
だけど、嘘をつかなくていい世界があるんだと思えたこと、それが本当に嬉しかったのです。
嘘がつけなくて、緊張して、疲れてしまい、他人と会うのが苦痛な人になる前の私は、嘘をつかされることが嫌な私だったわけですね。
私のままでいいんだ
私は私のままでいいんだ。
それをどこまでも応援してくれる世界。
嘘をつかされるような世界の中では、自分のそのまま、ありのままがわかりにくくなっていた私。
私はどう思うか。
私はどう感じているか。
私、私、私。
カウンセリング学習で、そこを徹底的に大事にしてもらって、そこを大事にしていいんだと赦してもらえて、自分でもそこが大事になっていきました。
私は、急激に自分のそのまま、ありのままがはっきりと聞こえるようになってきました。
そして、率直であることこそ価値があり、率直な自分が良い自分だと思ってきました。
生きているうちに、どこかで身についてしまった誰かの価値観や、偏った考えかた。
そこから解放され、独自の価値観や、自分の身体にそうような考え方に自然になっていくような感覚。
そこが本当に大事で、本当に大切です。
私が私になるということはそういうことだと思っています。
他人にも同じことを望む
そして、私が私になることが大事になってくると、今度は他人についても同じことを望むようになります。
その人が、その人らしく、ありのまま、そのままであるように。
そして、苦しむような価値観や、窮屈な考え方から解放され、その人にぴったりと合うような、楽な価値観に出会ってほしい、その人が、その人自身に出会ってほしい。
そう願うことが自然になっていきました。
素直で率直な感覚の言葉
好き、嫌い、楽しい、つまらない、美味しい、不味い、ありがたい、迷惑。
自分がどう思い、どう感じたか。
その感覚に鋭くありたい。
そんな願いがあります。
そして、自分を偽ったり、嘘をつくと、そういう自分の感覚が薄くなっていくような感覚があるのです。
素直で率直な感覚の言葉、感性の言葉を誰かにとって都合の良い言葉、誰かの欲望の言葉で抑え込み、かき消していくようなことは、危ないことだと感じていました。
好きという言葉がきていないのに、好きと思い込もうとしたり、
楽しくないのに楽しいと思おうとしたり、
他人のために良い子になろうとしたり、
そういうことは、自分の感性を鈍らせると思っていました。
私にとって自分の率直な感性に嘘をつくことは自分を失うこと。
私にとって自分を偽ることは生命に関わる危ないこと。
そんな切実な感じでした。
嘘がつけないと緊張し、疲れ、他人と会うのが苦痛になる理由

それまで生きてくるために必要だった、さまざまな息苦しい、自分の身にそわないような感覚から少しずつ開放され、自分の感性に出会い、自分の身体にそった感覚に敏感になっていくこと。
それは、本当に大事なことだと今でも思います。
それが私の願いであり、私がずっと学んできたカウンセリング学習の願いであることは変わりません。
だけど、私には一方で苦しくなっていたところもあったのです。
嫌い、つまらない、不味い、迷惑・・・。
いつの間にか私は、そんな感覚に敏感になってしまっていました。
私には自然に、率直に、そんなあまり自分にも他人にも聞かせたくないような言葉が多く浮かぶようになっていました。
自然に、率直に、自分にやってくる言葉をそのまま声にしたいのに、
自然に、率直に、自分にも他人にも聞かせたくないような言葉がやってきてしまう。
だから、言いたいことが言えない。
だから、私になれない。
これが、私が嘘をつけないことで、緊張して疲れて、他人と会うのが苦痛になってしまう理由です。
嘘がつけなくて緊張し、疲れて、他人と会うのが苦痛な人のための前向きな対処法

嘘がつけなくて、緊張し、疲れてしまい、他人と会うのが苦痛になってしまう人のために、私自身が、最近実践している対処法をお伝えします。
まず前提としては、自然に、率直に、心地よい言葉が届いてくるような環境に身を置くのは大事なことのように思います。
皆がどんどん元気になっていけるような心地よい言葉がポンポン浮かぶ環境も世の中にはあるかもしれません。
意識しなくても、どんどん前向きで、元気の出るような言葉がわいてくるような、そんなステキな環境を探して、探して、探していこうとする意志はとても大事ですね。
しかし、自分の好きなように環境を移動していける人ばかりではありません。
ときには、心地よい言葉がまったく届いてこないような厳しい環境で暮らしていく覚悟を決めなくてはならないときだってあります。
そんなときに有効な方法をお伝えします。
今いる、その場所を心地よい言葉が自然に、率直にやってくるような場所に変える
それは、私が素直に、率直に、相手に向かって、相手に与えたい言葉、そして自分自身に聞かせたいと思う言葉、を声にしていくということです。
その言葉が、素直で率直な自分の感覚とは違ってもいいから、
ただ純粋に、相手と自分に聞かせてあげたい言葉を声にするのです。
好き、楽しい、美味しい、ありがたい、このようなポジティブな言葉ですね。
好きかどうか曖昧でも、好きと言います。
少々退屈でも、楽しかったと言います。
口に合わなくても、美味しかったと言います。
迷惑に感じても、ありがとうと言います。
嘘をついているように思えるでしょうが、ある心構えに到達していると、これは嘘ではなくなります。
その心構えとは何か?
自分の感覚に自然で、率直でありたいという気持ちと同等以上に、素直に、率直に、相手を元気にしたいと思えるかどうかです。
素直に、率直に、その人を、その場を元気にしたいと思える心構え。
自分の感覚とは違うと明確に分かっている上で、相手に伝えたい言葉を言う。
その方が相手も私も元気になれると信じられるからです。
どんな言葉をかけたら、この人は元気になれるだろうか。
この人のどこにならありがとうを言えるだろうか、好きと言えるだろうか、楽しいと言えるだろうか。
そうやって頭を巡らせていた方が人生は楽しいのです。
嘘をつけないままに、緊張がなくならないままに、疲れやすいままに、楽になる
とにかく相手を元気にする言葉を探して、声にして、伝える。
もし、それが私の役割だと思えたのなら、他人と会うのが楽になります。
嘘をつけないし、緊張もするし、疲れやすいままかもしれませんが、他人と一緒にいるのが苦痛ではなくなります。
相手が元気になるような言葉を声にすること。
私にはそんなステキな役割があるからです。
その役割は、私がどこにいても私の立ち位置を安定させてくれる役割になります。
そして、そんなことをやっているうちに、いつの間にか・・・。
外側からも、内側からも、自然に、率直に、好き、楽しい、美味しい、ありがたいという言葉が私に届いてくるようになります。
私はそんな気がしてならないのです。
嘘がつけなくて、緊張し、疲れて、他人と会うのが苦痛な人へーおわりに

嘘がつけなくて、緊張し、疲れてしまうままでも、他人と会うのが楽になる方法を紹介しましたが、
- 自分の感覚に嘘をつかなくてすむようになること。
- 自分の感覚とは違っても、相手に言葉をプレゼントしたいという気持ちが嘘にならないこと。
この順番は大事だと思います。
私の先生がよく言う言葉ですが、自利(自分のために)利他(相手のために)円満。
自分のためのことが、相手のためになってこそ円満なのです。
ここは本当に重要ですね。
私自身、嘘がつけなくて、緊張し、疲れてしまうままでも、他人と会うのが楽になる方法を実践してみて、初めて感じたことは、私のポジティブな言葉の語彙力って低いんだなぁということです。
今の私の言葉のプレゼントは、まるで片言のようです。
しかし今後、私のエネルギーで、洞察力で、純粋性で、相手の良いところを探し、ポジティブな言葉を編んで声にしていったら、人生はもっともっとステキになるかもしれないなというイメージが浮かんでいます。
あなたもちょっとだけ、ワクワクしてきませんか。
学習者 黒田明彦