光のいのり

私流「禅」

食うために生きるか、生きるために食うか、善い人間になりたいので、5つの善い精神について考えてみた

善い精神になりたい

食うために生きるか、生きるために食うか。

ソクラテスの有名な言葉です。

「善く生きろ!」と。

私としては、食うために生きるというシンプルな生き方も、善い生き方だと思えます。

しかし、あるところまでくると、食うためには生きられなくなる。

それは、死という概念が目の前にチラつきだしたとき。

死と向きあい、生きるために死ぬと言えるほどに「生きる」という言葉の意味がガラッと変わってしまうとき、食うためには生きたくても、生きられなくなるような気がしますね。

まずはこちらの動画をどうぞ

食うために生きるか、生きるために食うか、善い人間の5つの善い精神【禅と学び】

それでは補足説明をしていきます。

私は善い人間になりたい

こんにちは、黒田明彦です。

今回も「禅」体験について、語っていこうと思います。

今、いろいろ読んでる本の影響もあるのですが、

私はなぜ「禅」に興味を持ったのだろう?

そして、なぜ座禅を続けているのだろう?

という問いが私の関心になりましたので、その辺りを語ってみようと思います。

以前語った親鸞の思想とは相反してしまうかもしれませんが、正直申しまして、私、なぜかわからないんですが、善い人間、善い精神になりたいんですよね。

善い人間になる必要はないのにね

別に善い人間である必要なんてないんですけどね。

自分なりに楽しく生きて、自分なりに満足できる生き方ができるのであれば、別に人と違うことなんかしなくてもいいですし、皆と同じようなことを安心してやっていればいい。

だけど私は、やっぱり満足できないんですよね。

善い人間でありたい、善い精神でありたい。

そんな思いがあるのです。

真実に恋い焦がれているわけでもない

たとえば真実を知りたい、本当のものを知りたいんだ!っていう欲求があるわけでも、そこに情熱があるというわけでもないんです。

ただ、善い精神でありたい。

善い精神であるには、真実の近くにいなくてはならない。

真実に見開かれようとする精神こそが、善い精神なんだろうって、そんな感じがするので、自然と真実なるものを求めてしまうようなのです。

善く生きるとはどういうことか?

別に私は哲学に詳しいわけではありませんが、いろんな本で見かけるソクラテスの言葉はやっぱり気になります。

生きるために食うか、食うために生きるか。

ソクラテスは、生きるために食うのが善い人間だ、と言うわけです。

食うために生きるのではなくて、生きるために食う。

「善く生きろ!」と。

ふむ。善く生きたい。

食うために生きるというシンプルな生き方

ただ一方ではですね・・・。

食うために生きることのシンプルさには、憧れてしまうところがあります。

「ただ食うために生きる」

なんてシンプルなんだ!と。

そういう生き方で十分なのではないか?と思ったりもします。

むしろその方が善い生き方なのではないか?と。

ただ食うために生きる。

それは、生きるために生きるとも言えます。

ただ生きる。

そこで迷わない。

そこで立ち止まることがないのであれば、それはそれで幸せな気がするんですよね。

当たり前を疑わずに生きる

当たり前に生きる。

そこには迷いがない。

ただ生きて、ただ死を恐れ、怖がりながら死んでいく。

それも善い生き方のような気がするんです。

当たり前の世の中を当たり前に生きて、当たり前に死んでいく。

自(おの)ずからの当たり前を疑わないですむのであれば、過不足ないような気がします。

そこに「善く生きよう」なんて隙間はない。

そう、思うんですけどねぇ。

目が醒めちゃったら戻れない

それはある意味、動物的とも言えるシンプルな生き方。

寝て起きて、働いて食べて、また寝ると。

すごくシンプル。

そんな暮らしに憧れるけど、どうも私にはそれができないんですよね。

なんというか、半分目が醒めてしまった感じというか。

そして、一度目が醒めたら戻れない。

善くありたい善くありたいと、そうなってしまうんですよね。

より善くなろうとする人間

「食べるために生きる」で、過不足ないはずなのに、「食べるために生きる」暮らしでは、満足できなくなってしまった。

善く生きたい、もっと善く生きたいんだ。

まぁ、これも人間の欲望ですよね。

満足できない毎日があるから、より善くなろうとする。

この繰り返しこそが人生であると、大拙も言っていたような、そうじゃなかったような。

物質的にではなく、精神的に善くなりたい

さて、善くなりたい私は、どう善くなりたいかというと、やっぱり、精神的に善くなりたいんですよね。

というのも、私は物質的にはもう十分豊かだからです。

私は昔から今まで、お金持ちであったことは一度もありませんが、物質的な豊かさで得られる満足には、限界を感じています

だから、これ以上豊かになりたいのであれば、物質的な豊かさを求めるのではなくて、精神的に豊かになる必要があるわけです。

物質的豊かさに満足したら、次は精神的に満足する方向を目指す。

そして、その方法は実は、物質的満足を手放すということだったりする…。

面白いものですよね。

まぁ、そうそう簡単に手放せるものでもないんですけどね。

5つの善い精神を考えて見た

さて、精神的に善い人間とは、どんな人間なのでしょう。

さきほどの事実の近くにいる精神が1つめだとすると、2つめは…。

足るを知る精神

やっぱり「足るを知る」人間ですね。

欲望というのには、どうも際限がありません。

だから「もう十分だよ」って、ちゃんと言える人は善い人間だと思います。

もっと欲しい、もっと欲しいじゃなくて、これぐらいで十分、むしろ少なくて十分。

「足りるよ」って言える人。

人に優しい精神

3つめの善い人間、善い精神は、人に優しいということ。

私は昔からこの優しいという言葉に、非常に強い関心があるのですが、これはなかなか難しい問題です。

どういう人が人に優しいのか?

とても親切で、人の望みを叶えてあげることを喜びとする。

これが優しさだったら、私はつまらないんですよね。

優しい人とは、本当の意味で、人の為になれるような人であってほしい。

難しいんですけどね・・・。

  • 一人の人、そしてもう一人の人
  • 自分は自分としてあり
  • 相手は相手としてある
  • ただ在る
  • そして、一緒にただ居ることができる

そんな人間が本当に優しい人間ではないでしょうか。

我が大きくない、強すぎない精神

4つめは、これも相当難しいのですが、「我」が大きくないというか、強すぎない人間。

人間、生きていれば、どうあっても自己中心・自我中心になってしまいます。

これは自然なことであると思うわけです。

じゃあ、その自己中心、自我中心で生きていて、自分が心地良いのかっていったら、実はそうでもないんですよね。

世の中の物事は思い通りにいかない

そもそも、世の中の物事は、自分の思い通りにいかないんですから。

自分の思い通りにいかないものを、自己中心的・自我中心的にしか考えられなければ、満たされない気持ちに襲われ、苦しくなります

逆に言えば、自我・自己中心でさえなければ、思い通りにいかないことなど1つもありません。

物事は、ただ、なるようになるしかないんですから。

自我中心性・自己中心性が高まれば高まるほど、思い通りにならない苦しみがやってきます。

いかに自分の自我・自己を弱めるか…と言ったらおかしいですが、いかに自分の自我中心性・自己中心性を牽制できるか、そこに向き合えている人間は、善い精神、善い人間だろうと思いますね。

宇宙を肯定している精神

最後はやっぱり宇宙を肯定している人間ですね。

私は、宇宙を肯定する人間というのは、自分を肯定している人間とイコールだと思います。

自分とは、どこまでも広がっている宇宙そのものです。

本当に自分を肯定できたということは、宇宙を肯定できたということそのものだと思います。

そして、その宇宙と自分には、その他自分に認識できるすべての事象・存在が含まれます。

この宇宙に巻き起こる全ての事象を肯定・・・いや、せめて否定しないですむような人間になれるでしょうか?

自我中心、自己中心の精神では、まず無理です。

宇宙=私=全ての存在

嘘偽りなく、肯定できる、いや、否定しないですんでしまう人間。

そんな人間の精神は、善いと言えるでしょう。

5つの善い人間・善い精神まとめ

①真実を求める精神

真実の近くにいる精神を持っている人間。

②足るを知る精神

欲しがり過ぎない、ちょっと足りないぐらいで満足できる人間。

③人に優しい精神

真実の優しさを求めてやまない人間。

④自我が強すぎない精神

自我中心性に懲りて、それを牽制できる人間。

⑤宇宙を否定しなくてすむ精神

宇宙=自分=全ての存在。

その全てをまるっと受け止めている1つの精神を生きる人間。

全部繋がっている感じがしますね。

どうも私は、こういう人間になっていきたいようです。

ずっとずっと、昔からそういう人間に憧れてきているというか。

そういう人間になれれば、楽になるだろうなという気持ちもあります。

少なくとも、今よりも自分に満足していくには、そういう方向に進んで行くしかないなと思うのです。

私は今、そのために座禅をやってるようなのでした。

空淡、黒田明彦

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