私流「禅」

禅体験「数息観」で「気」を強めてみないか?という話

私流「禅」ということで、これまでは、座って「何もしないをする」をやってきましたが、ちょっと数息観というものを試してみたら、これがまた面白くてハマってしまいました。

今回は、座禅の1つである、「数息観」体験について語ってみようと思います。

呼吸、面白いですよ。

呼吸で「気」が変わりますよ。

まずはこちらの動画をどうぞ

「数息観」呼吸を数える座禅で、不安が去り、気が強まる

それでは、補足解説をどうぞ。

私流禅「何もしないをする」から「数息観」へ

こんにちは黒田明彦です。

引き続き「禅」体験について語っていこうと思います。

今回はちょっと「数息観」について語ってみようと思います。

私がこれまでやってきた私流禅というものは、長い時間座って「何もしないをする」ということです。

このときは、頭の中に浮かんできたものを自由に眺めてもいいし、何も考えなくてもいいと。

「座禅だ!無心だ!」とか、頑張らなくてもいいわけです。

とにかく座って「何もしないをする」時間を作ってみる。

それは、常になにかをやっていなければ、落ち着かなかった私にとっては、大事な時間となっていました。

座禅の座り方「結跏趺坐」

ただし、「何もしないをする」って言っても、座り方と姿勢だけは気を付けていました。

座禅の座り方は、「結跏趺坐」というものです。

右足を左足の腿に乗せて、左足を右足の腿に乗せる。

結跏趺坐で調べれば、座り方や写真などたくさん出て来ますので、興味のある方は是非調べてみてください。

しかし、この結跏趺坐…慣れないと、相当に足が痛いんですよね。

私はとても身体が硬いからかもしれませんが、もう痛くて痛くて5分も座っていられないというところから始まりました。

だけど、その座り方をすると、身体が真っ直ぐになりやすくて、呼吸も楽になるし、非常に身体に良い感じはするんですよね。

数息観を始めてみた

私は、とにかく座り方に慣れるようにと、自由に座るところから始めました。

ただ、ずっと何もせずに座り続けていると、やっぱり変化が欲しいなぁという気持ちが湧いてきてしまいました。

そこで、禅の本を読んでいた時に見つけた、数息観について思い出して、とにかくやってみたんですよね。

私流数息観

①結跏趺坐で座り、姿勢を正す。

②鼻で息を吸い、鼻で息を吐く。

③息を吸う時も吐く時も数を数える。

④10まで数えたら1に戻る

⑤できれば40分続ける

※ちなみに、上記のやり方は、図書館にあった本を参考にしました。

数息観のやり方

「数息観」は、やることは単純で、ただ自分の呼吸に意識を集中して、その呼吸の数を数えるという座禅です。

「数息観」をやるときは、「結跏趺坐」で座ります。

痛くなったら、半分足を崩したりしながらも、正しい姿勢を保ち、とにかく呼吸の数を数えることに集中します。

ポイントは目は瞑らないこと

座禅は目をつぶらないことが基本のようです。

目を開けて数息観をやっていると、目から入ってくる情報が、集中の邪魔になって、難易度が高いような気がしますが、眠くなりにくいというメリットもあります。

数息観をやっていると、目が開いているのに何も見ていない自分に気がついて驚くこともあります。

呼吸の数え方

呼吸の数え方は、吸って吐いてで1つではなくて、吸うで1つ数えて、吐くでも1つ数えます。

そして、1から10まで数えたら、また1に戻るという数え方です。

11や21など、10の位は数えません。

数息観は単純だけど難しい

という感じで、数息観の方法自体は、とても単純なのですが、これが結構難しいんですよ。

ちょっとでも、他の事を考えたりしちゃうと、

「あれ?今、数いくつだったっけ?」

というように、数がわからなくなる。

1秒前に頭の中で、確かに自分で数えていた数がわからなくなるのです。

これが面白いですよね。

40分間、静かに息を整えながら、その息を数えて、数えた数字を1度も飛ばさないというのは、相当の集中力がいると思います。

数息観をやっていると心が落ち着く

数息観は、①呼吸に意識を集中しながら、②呼吸の数を数える。

この2つを同時進行するわけですから、それだけで脳ミソの容量がとられます。

やっぱり、人間の脳というのは、あまりいくつも同時進行で考えられないようです。

たとえば、心に迷いがあるというか、ちょっと心配事があるとします。

そんなときに「数息観」を始める。

呼吸に意識を集中して、呼吸の数を数える。

そうすると、数息観の最中に、心配事が頭の中に浮かび上がってきます。

ですが、呼吸に意識を集中して、数を数えている最中ですので、頭に浮かんだその心配事に意識を向ける余裕がないわけです。

やってみるとわかりますが、本当にちょっとしたことで、呼吸の数がわからなくなってしまいますから、数息観中は、必死なのです。

だから、たとえ心配事が頭に浮かんでも、それを心配する暇がありません。

そして、そうこうしているうちに、その心配事がどっかいっちゃうわけです。

長く短い40分の数息観が終わるころには、その心配事のことは忘れてたりします。

数息観の工夫

数息観について私がやってみた工夫を紹介します。

これを真似したほうが良いよというよりも、それぞれに工夫しながら取り組んだ方が面白いですよっていうことですね。

40分間、自分の呼吸にとにかく集中し、息を数えていると、次第に慣れてきます。

無限の時間のように感じられた40分も、わりとスッと終わるようになってきます。

そうなってくると、今度は、よりその呼吸の充実度を高めていきたくなるんですよね。

数え方を難しくしてみた

やっぱり、数息観の時間をより効果的にしたくて、工夫をしだします。

私の場合、最初はとにかく40分間、呼吸に意識を集中して、数さえ数えていればいいや、という感じだったんですが、

123…10(イチ、ニ、サン、…ジュウ)

という数え方から、

一つ二つ三つ・・・十(ヒトツ、フタツ、ミッツ…トオ)

という数え方に変えてみました。

1、2、3よりも、一つ、二つ、三つの方が、文字が多い分、深い呼吸にもなりやすく、数えた方難しくなります

1、2、3はあまり意識が集中できていなくても、なんとなくで数えられてしまうこともあり、数が飛んでることにも、気が付きにくいです。

一つ、二つ、三つっという数え方にすると、数が飛んでしまっていることに気が付きやすいのです。

たとえば、いつの間にか、4、5とかっていうふうな数え方に戻ってしまっていることもあって、集中できていないことに気が付かされます。

腹式呼吸を意識してみた

何度もやっていると、より呼吸を充実させるには、どうしたらいいだろうか?という考えが浮かんできます。

やっぱり、変化を求めてしまうんですね。

今度は私は、呼吸は、吸う息よりも、吐く息の方が大事であるということを思い出して、吐く息に集中してみようと考えました。

しかし意識してみると、なかなかうまく息が吐けてないような気がしてきたわけです。

そこで私は、息を丁寧に吐くには、腹式呼吸である必要があるのかも?というように考えました。

そこからお腹を意識して、とにかく吐く息を長くするっていうことを意識しながら数息観を行っています。

呼吸の充実度が上がったような気がしています。

今後も、変えては戻し、戻しては変えというように、数息観の40分の時間を、楽しみ、苦しみながら、工夫してやっていこうと思います。

数息観、座禅の効果

座って「何もしないをする」という私流の座禅を始めてから、そして、数息観を始めてからは、さらにそうなっているような気がするんですが、

ちょっと私の「気」が強くなってるような感じがあります。

気分の高揚を感じる時間が増え、落ち込むことが減っているような感じですし、ネガティブな言葉がやってくる回数が、減ってるような気がするのです。

呼吸と「気」は関係してそうだなとあらためて思っています。

それに数息観で、40分間集中して息を数えていると、完璧にはできなくても、達成感があります。

「数息観」はお勧めだなと思いますね。

段階的にやってみるのがお勧め

ただ、いきなりやろうとしても、全然うまくいかないかもしれません。

最初はただ「何もしないをする」っていう時間を設けて、結跏趺坐の練習を少しずつしてみる。

そして、少し慣れたら、40分通しじゃなくてもいいから、ちょっと数息観を試してみるなど、段階的に始めてみるのが良いと思います。

何事もやり始め、新鮮なときってのは、効果を実感しやすいんです。

だから、数息観を始めたばかりのときは、気分が良くなったとか、不安を感じにくくなったとかというのは実感しやすいでしょう。

だけど、しばらくの期間続けてやっていると、それが当たり前になってきて、効果が感じられにくくなるかもしれません。

まぁ、それはしょうがないですね。

何事も、飽きてからが勝負というのは、私の持論です。

座禅は心の筋トレ

数息観みたいに、時間と目標を決めて取り組む座禅は、心を鍛えているような感覚があります。

心の筋トレみたいなことができているような気がしますね。

今、ここの呼吸にとにかく集中する。

より深い呼吸に入っていくために、自分でどんどん工夫をする。

そういうプロセスは大事なような気がします。

自分の工夫によって、やればやるほど、数息観という体験が深くなっていく。

そうでなくてはな、と思いますね。

「禅」わかってからやるのではなく、やり続けてわかるもの

座禅の情報に関しては、インターネットで調べればいくらでも出てきます。

ただ、大事なのは、実際自分でやってみて、体験して、学ぶってことだと思うのです。

わかってからやるのではなく、とにかく自分でやってみる。

「飛び込んでみる」というのが「禅」の基本だと思うんですよね。

試して、やって、繰り返して、感じて、知って、わかっていくっていう。

とにかくやり続けて、やり続けて、なんとなくわかっていくみたいな感じ。

それは基本かなと思うのです。

だけど、結局は、自分にとって「禅」が必要だ、というところに行かないとなかなか続けられないだろうなとも思うわけです。

より「真」なるものを求め求めていく道

呼吸を自分で意識して整えるという、数息観は単純に健康面、身体に良さそうです。

心を落ち着かせる効果もあるだろうと思います。

だけど、私が「禅」「座禅」に求めるものはさらに先。

今の自分を超えて行くような、そういうものに繋がっていくみたいなものを求めて、私は続けていきたいと思います。

善い精神・善い人間になるためにもね。

空淡 黒田明彦