こんにちは、こんばんは、どうも、冥王(逆エンパス)黒田明彦です。
この記事は黒田明彦のyoutube動画、「共感力が高すぎて苦しい人必見!事実さんに感覚の世界から救い出してもらおうよ【見るだけで純粋性が高まる動画Vol.7】」の補足解説記事です。
共感力の高い人は、相手の気持ちがわかり過ぎたり、まるで相手そのものになってしまうような感覚で苦しんでしまうことがありますよね。
今回の動画は、そんな人は、人間関係におけるたった1つの事実によって救われていきましょうというお話です。
人間関係のたった1つの事実とはなにか、それは、相手のことは絶対に理解できないということです。
エンパス、逆エンパス、HSPなど非常に敏感で繊細な感性をもっている方のみならず、人間関係に悩む、多くの人にとって大事な哲学です。
それでは、どうぞご覧ください。
- 見るだけで純粋性が高まる
- カウンセリングの疑似体験ができる
- 自分のところを語りたくなる
まずはこちらの動画をご覧ください
共感力が高すぎて苦しい人必見!事実さんに感覚の世界から救い出してもらおうよ【見るだけで純粋性が高まる動画Vol.7】
それでは、補足解説をしていきますね。
人間関係におけるたった1つの事実とは

今回の黒田はですね、先日エンカウンターグループに参加したときに黒田が語った内容をあらためて一人で語っています。
人間関係の事実というところがテーマですね。
人間関係における事実だけが、私を私の感覚の世界から救いだしてくれますよっていうお話です。
この事実は逆エンパス、エンパス、HSPなど、非常に敏感で繊細な人、それだけじゃなくて、全ての人間にとって重要なものです。
カウンセリングの学習で学んできた1つの事実
私がずっと教わってきたカウンセリングの学習の中でよく言われてきていることなのですが、人間関係の中には、不変というかね、誰にも変えることのできない、ある1つの事実って言うのがあるんですよ。
静かで厳かな事実っていうのがあるんですね。
それはですね…。
どんなに大事な人、どんなに大好きな人、どんなに身近な人であっても、
相手の事を理解することはできない。
相手になることはできない。
相手に代わってあげることはできない。
この辺りの感覚であり、哲学ですね。
逆エンパス、エンパス、HSPなどの気質から、共感力がとても高くて、相手のことがわかっちゃう…。
そういう感覚をもらってしまっているという現実があるとしても…。
絶対に相手のことはわからない、相手にはなれない、相手には代わってあげられないのは事実なんだ、という哲学。
相手には絶対に代われない。
どんなに私が繊細で敏感であっても、私は私の感覚でしか生きられないんです。
私は私の感覚しか感じたことはない。
相手がどんなふうに感じているかなんてものはわからないんです。
相手の見え方、感触を確かめることは絶対にできない
たとえば私の手元に転がっている、エアコンのリモコン。
このリモコンが、私にはこう見えている、触れると私にはこんな感触がある。
だからこの記事を読んでいるあなたにも、このリモコンは、こんなふうに見えるはずだ、こんなふうな感触を感じるはずだってなると違うんです。
あなたがこれをどう見るか、どういう感触をもつかっていうのは、私にはわかることはできない。
確かめようがないんです。
どうやっても、どうやっても確かめようがない。
相手の感覚は確かめようがないという事実
相手の見え方、感触を直接確かめるには、本当の意味で相手そのものになるしかないですよね。
そう考えると、私はこれまで、私以外の見え方、感触を確かめられたことが一度もないということに気が付きます。
一度もです。
ただの一度もないのです。
私はすべて、私の感触、私の見え方でしか生きられていないのです。
これが事実なんです。
だから、どんなに頑張っても、どんなに相手が愛しくても、どんなに身近で大事な人でも、
相手のことはわかることができたことはない。
相手のことを理解できたことはない。
こちらのわかれるわかりようでしかわかっていない。
これが事実です。
大事なことなので何度も言います
何度も言います。
絶対に相手の事は分からない
わかった気になることができるだけ。
自分を投影して、自分の感覚を重ねて、それでわかってしまったって、なっているだけ。
どうやっても相手のことは理解できない。
これが事実。
人間はたった独りなんです。
それぞれたった独りの宇宙なんです。
私は、それが事実だと教えてもらってきたわけです。
ありのままの現実を前に、事実は無意味か?

そしてね、ここからが大事なんですけどね。
とはいえ、なんですよ。
とはいえ、とはいえ。
なるほどわかりました。
私とあなたは別なんですね。
それじゃあ、あなたがどんなに悲しくて辛い思いしても、私はへっちゃらですね。
私は全然痛みませんね、ってなるかと言ったら、そうはならないんですよ。
辛い、悲しみ、苦しみの現実はやってくる
たとえば辛そうな人を見て、悲しい思いをしてそうな人を見て聞いて、実際私は、辛くなったり悲しくなったりしますからね。
私と相手が全く別で、相手が理解できない存在であろうと、悲しい、辛そうが、見えてしまって、聞こえてしまって、感じてしまったら、こっちが悲しくなるんですよ。
それは変わらないんですよ。
たとえ事実がどうであろうと、私にそんな現実はすでにやってきている。
見て聞こえたところに反応している私の現実は確かにある。
だから、私と相手は全く違う存在であり、全く違う宇宙であり、私は、その人の感覚を一度も感じたことはないのだから、その人の感覚をわかることはできないというふうに、頭で理解はできていたとしても…。
辛そうに見える、悲しそうに見える。
そう見えたら、見えてしまったら、こっちも悲しくなるんだよ。
すごくもう本当に辛い思いになったりするわけですよ。
それが現実なんですよ。
事実は要らないのか?
それじゃあ、事実なんて要らないのか?って話になってくるわけですよ。
事実がたとえ厳かに静かにそこにあったとしても、
私の身体が事実を無視して反応してしまうという現実があるのであれば、事実なんてあっても意味ないじゃない。
要らないじゃない?と。
そういうふうに拗ねるというかね、私は長い間そのように感じていたんですね。
人間は、認知・感覚の世界を生きている
だけど、ここ最近あらためて思うのはですね。
人間っていうのは必ずしも事実に添って反応しているわけじゃない。
というかほとんどの時、事実を置き去りにして生きている生き物だ。
人間はそれぞれの認知・感覚の世界を生きている。
それぞれがどう見て、どう聞いて、どう認識したかによって反応する。
じゃあ、その認知の世界・独自の感覚の世界で本当に苦しい思いをしたときに・・・、
人間関係の中で、もうどうにもならないほどに辛い気持ちがやってきたときに・・・、
何が私を救ってくれるの?
って言う話なんですよ。
それが、この認知と感覚の世界の外にある、変わらない、厳かな事実なんですよ。
どうやっても相手のことは理解できないんだ、わからないんだっていう事実。
それが、感覚の世界に溺れる私を救い上げてくれるんです。
あたかも相手になってしまったかのような苦しみ
たとえば、HSPとかエンパス系の人もそうかもしれないですけど、ドラマを見て、テレビを見て、ニュースを見て、それでもう本当に胸がつぶれるほど、悲しい思いをするときもあるでしょう。
それは現実です。
そういうときに、その現実から救ってくれるのは何かといったら、それこそが事実なんですよ。
私は相手のことはわかってあげられないんだ。
絶対に代わってあげられないんだって。
この私の感覚は、ただ私だけの感覚なんだ。
その事実を思い出すことによって、誰かの気持ちになってしまうような、あたかも自分がその人になってしまうような苦しみを少しでも和らげてもらえるんです。
事実に救ってもらおうよ
事実に救ってもらおうよ。
私たちは、事実に添って、いつもいつも暮らしていけるわけじゃない。
どうしても相手の気持ちをわかったつもりになってしまうんだ。
わかりきってしまうんだよ。
それがもう当たり前なんです。
だけどね、だからこそね、
相手の気持ちを感じて、相手の気持ちになってしまったかのような苦しみを感じているときは、
相手のことは絶対に理解できない、わからないんだっていう事実に救ってもらおうよ。
身体も心も、本当に、いろんないろんないろんな反応をします。
それぞれの認知・感覚の世界。
言ってしまえば思い込みの世界を私たちは生かされている。
その感覚の思い込みの世界を生かされているからこそ、静かに横たわっている事実にこそ救ってもらえるんです。
感受性が強く、いろんな人の気持ちをあたかも自分のことのように感じてしまう人ほど、静かで厳かな事実、それに救われていけるんだよ。
事実さんに救ってもらおうよ、まとめ

私たちは、それぞれの認知・感覚の世界を生きているんです。
ここから抜け出すことはできません。
だけどそれとは別に、事実というのはある。
人間関係の事実で言えば、私は絶対に私以外の人を理解できない。
これがたった1つの人間関係の厳かな事実。
でもその事実ではないところ、いろんないろんないろんなもう、ぐっちゃぐちゃになりながらいろんな反応を身体も心もしている。
だからこそ、私の認知・感覚の世界で起こったぐっちゃぐちゃのいろんな反応からくる苦しみ・悲しみから救い出してくれるのが、その私の認知・感覚世界の外に静かに横たわっている、事実というものなんだよってことなんだ。
というわけでした。
私は事実に救われるような人間でありたい。
そんな純粋な人生をおくりたいんだ。
あなたの心には何が湧いたでしょうか。
あなたの心には何が残ったでしょうか。
冥王、黒田明彦でした。
私のエネルギー、もらってね。