はい、冥王です。
今日は、図解・エンパスと逆エンパスのための他人との境界線の引き方(逆エンパス的バウンダリー術)ということで書いていく。
とにかく人間は、人間関係に苦しむ。
直接やり取りのある昼はともかく、目の前にその人がいないのに、その人に苦しめられる夜がある。
そんな夜は、バウンダリー(他人との境界線を引く)が必要だ。
その苦しい混迷の世界をとにかくぶった切る!
これから、そのための1つのアイデアを紹介する。
これで、きっと、君にも静かな夜がおとずれるだろう。
バウンダリー(他人と境界線を引く)なんて、そうそうできるもんじゃない

まず前提として、エンパス、逆エンパス、HSP、HSPHSSなど、鋭い感覚を持っていて、バウンダリー(他人と境界線を引く)がとにかく難しい。
それぞれ、直観力、エネルギーに対する敏感さ、洞察力、共感力などが、とにかく高いからだ。
それによって、他人からの情報量が多く、自分の感情は動かされ、自分の身体にまで影響が出てしまう、とても厄介だ。
これに加え、感受性の強さからくる動揺のしやすさが加わると、もはや鬼に金棒状態だ。
横にも縦にもブルブル震える身体と心を抱えては、自分と他人の区別、バウンダリー(他人と境界線を引く)など簡単にできるわけがない。
自他がぐちゃぐちゃになってしまう夜は、もはや、声になる言葉にいつもの深みや味わいもなく、ただ子犬のように震えてしまう。
訳の分からない言い訳を天に向かって吐き、明日に怯えながら毛布にくるまって寝るしかない。
丁度、昨夜の私がそんな感じだった。
相手の事ばかり考えて、疲れ果ててしまう夜

バウンダリー(他人と境界線を引く)それは、相手のことばかり考えて、疲れ果ててしまう夜にこそ必要だ。
自分のやったこと、相手のリアクション、これまでの相手との関係を振り返り、自分を責めたり、相手を責めたり、自分の中でグルグルとエネルギーが動き続ける。
相手と直接やり取りをしているのなら、まだ破壊や再生が起こる可能性もあるが、それが不可能な夜は(やろうと思えば電話でもなんでもできるが)自分の中だけでやり取りをする。
何度も心の中で相手に蔑まれ、冷たい目で見られ、軽蔑の言葉をかけられる。
頭の中の相手に向かって、反論してみたり、涙目で崇高な言い訳を述べて見たり、なんとか自己正当化しようと必死だ。
結果、消耗する。
私は神の炎に焼かれる。
今はどこか遠くにいる実際の相手とは全く接触せずに、心の中の相手からの攻撃だけで充分に私は痛めつけられる。
自由にバウンダリー(他人と境界線を引く)できる事柄

それは、思えば、なんとも器用で、エネルギッシュで、アクロバティックな精神活動だ。
全ては自分の頭の中だけで起こっているだけの、自由にバウンダリー(他人と境界線を引く)できる事柄であるはずなのに。
どうしようもなく苦しんでいる。
一体何が起こっているというのだ。
私にとって他人というものを考えてみよう
ここで、私にとっての他人というものを考えてみよう。
ここで言う他人とは、自分ではない人、ということである。
つまり、親兄弟や恋人、友達もここでは他人に含まれる。
私にとって他人とは何でできているだろうか?
私にとって他人とは何でできているか、それを分析してみよう。
まず、一番わかりやすいところで、私にとって他人とは・・・。
①私に見える人、つまり私が目で捉えた人である。

これは1つの他人という像を確実に私の頭の中に創っている。

私は誰かの事を考えているとき、私の頭の中にはその人の顔や姿がフワフワと浮かんでいる。
次に、わかりやすいところで言うと、私にとって他人とは・・・。
②言葉である

これは、耳で感じ取れる相手の言葉でもあるし、文字として目で感じ取れる相手の言葉でもある。
相手の言葉から相手はこんな人だ、みたいな像が頭の中にできあがる。

しかし、実は、意外と耳や目から、言葉をとらえて、他人を正確に自分の中に創ることができる人、というのは少ない。
単純に、相手の声にした言葉や、文字にした言葉をそのままの相(すがた)で聞き、そのままの相(すがた)で読むことができる人がほとんどいないからだ。
みんな適当に言葉を聞いたり、読んだりした上で、バッチリ適当な相手の像を創っている。
ちなみに、私も大分訓練したが、いまだに上手にできるようにはなっていない。
さぁ、最後は一番わかりにくく、そして、私が一番他人を像として形創ってしまうもの・・・。
③それがエネルギーである

他人とのエネルギー交流における快、不快。
これが、私にとって他人の外見の姿や、他人の言葉の相(すがた)以上に印象強く、頭の中に像を結ぶ。

だから、他人の顔を思い出せなくても、他人とのエネルギー交流の感触は思い出せるし、他人の言葉はすぐに忘れてしまっても、そのときの他人のエネルギーの感触は忘れられない。
その感触がいつまでも私の中に残り、他人として強固な像になる。
ちなみに、エネルギー交流は、身振り手振り、肌感、空気間などの視覚、触覚的な交流に加え、聴覚による、単純な言葉の交流でも行われる。
しかし、何が見えたか、どんな言葉の相(すがた)だったかよりも、相手のエネルギーが自分に与えた印象の方がとてつもなく強く残るのだ。
だから私にとって、他人とは、外見でも、言葉の相(すがた)でもなく、エネルギーが像を結んだ姿といっても過言ではない。
そんな私には、バウンダリー(他人と境界線を引く)は、とてもとても難しい。
バウンダリー(他人と境界線を引く)のやり方

さて、そんな私だが、これからズバッと自分と他人の間に境界線を引いて見せよう。
人間の精神交流は、先程提示した、もろもろの感覚から、自分の頭の中に他人という像を結ぶことによって行われる。
大体人間関係における苦しみは、自分の頭の中の相手がワイワイ言っていることに苦しむことが多い。
しかし、今回、バウンダリー(他人と境界線を引く)するのは、もう一歩深いイマジネーションだ。
今回、紹介するバウンダリー(他人と境界線を引く)は、相手の頭の中の私をぶった切る!だ。
これから具体的に説明する。
バウンダリー(他人と境界線を引く)相手の頭の中の私をぶった切る!

私は冥王である。

そして、冥王的感性によって、これまで、とにかくバウンダリー(他人と境界線を引く)に苦戦してきた。
嘘かと思われるかもしれないが、私はこれまで、知り合った相手の頭の中にいる、全ての冥王に責任を持たなくてはならないような感覚で生きてきた。

自分を良く見せたいとか、嫌われたくないとかいう感覚はその辺りからやってきている。
だって、相手は、相手の頭の中にいる冥王との関係によって、実際の冥王への行動や態度を決めてくるわけだろう?

相手の頭の中にいる冥王が悪者だったり、取るに足らない者だったり、加害者だったりしたら、相手はそれに基づいて実際にアクションしてくるってことだ。
そんなのおっかないではないか!
実際、冥王がどんな思いで、どんな感性で、どんな体感で生きているか、とは関係なく、相手の頭の中にいる冥王によって、実際の冥王への対応は決まってくるわけだ。
- 相手の頭の中の冥王が悪者になったら、相手は実際の冥王を攻撃してくる。
- 相手の頭の中の冥王が取るにたらない者になったら、実際の冥王を侮蔑してくる。
- 相手の頭の中の冥王が加害者になったら、実際の冥王に反撃してくる。
だから、私は、相手の頭の中にいる冥王が今、どうであるかと、気が気でなかった。
その辺一帯の他人の頭の中の冥王がどうなっているかをいつも勘繰り、おびえていた。
できるだけ相手の頭の中の私が悪者にならないように、取るに足らない者にならないように、加害者にならないようにと気を付けていたんだ。
単純な例をあげてみよう

たとえば、私は、一人で仕事をしているときでも・・・。
ダルいなぁ。休みたいなぁ。でも、今私がサボっていたら、○○さん(ここにはいない)の頭の中の私は「あいつはだらしのない、意欲のない奴だ」となってしまうよなぁ。
そうなってはまずいから、サボらないように頑張ろう。
こんな感じである。

これだと、ここにはいない○○さんに常に見張られているような感じになってしまう。
このように、自己嫌悪や自己否定は、ここにはいない、誰かの頭の中の私のせい(イメージ)で不安になったりすることで起こっていることが多い。
私は、実際頭の中にいくつもの他人の目線をもっている。
それが苦しみの種になっていたのだ。
バウンダリー(他人と境界線を引く)だからここに一本の線が引ける

だから、ここに一本ぶっとい線が引けるのだ。
さぁ唱えよ!
「バウンダリー。他人の頭の中にいる私のことは、放っておこう。」

他人は、他人の頭の中の私を基準に、私に対して行動してくることは間違いないが、それはもう仕方がない。
実際に具現化した行動や言葉に対処していけば十分だ。
大丈夫。
きっと対処できる。
それが起きる前に、他人の頭の中の私をコントロールしようとするのは不毛だ、そこはあきらめよう。
考えてもしょうがない。
今すぐ、他人の頭の中の自分を切り捨てよ。
それで、少なくとも自分一人でいるときの頭の中は、少しは静かになるだろう。
他人の頭の中の私がどれだけ暴れていても知ったことか!
他人の頭の中の出来事は、他人の神に任せろ!
自分のエネルギーを相手の頭の中の私というイマジネーションを描くことに使うな!

ただ、自分の世界の神の言葉とだけ向き合え。
そうすれば、大分省エネできるから、いつもよりも自己探索がはかどるかもしれんぞ。
いいな、自分の頭の中にいる他人の頭の中の自分を懸念するな。
わかりにくいだろうが、図の通りだ。
人間は、図らずともこんな苦労を沢山してしまっている。
私は、他人の頭の中の私をなんとかしなくちゃ、自分の身を守れないと思っていたんだ。
もしかしたら、そういう時期も本当にあったのかもしれない。
でも、今はきっと大丈夫。
私は、静かな夜を過ごせる。
私の頭の中の私や他人は私の神の言葉。
他人の頭の中の他人や私は他人の神の言葉。
それぞれ神が違うんだよ。
バウンダリー、そこに線を引くんだ!
必ず、できる、やるんだ!!
バウンダリー(他人と境界線を引く)おわりに

我ながら頭の中がスッキリした。
これまで私は、いろんな方法で、バウンダリー(他人と境界線を引く)の努力をしてきた。
言葉の相(すがた)による区別、自分と相手は世界が別という思想、たった独りの人間という哲学。
どれも素晴らしかったが、最近はそれでは足りなくなってきていた。
世界に向かって自分を開示していくには、それなりのバウンダリー(他人と境界線を引く)が必要になる、ということだ。
最後にもう一度だけ言う、麗しき、繊細で、敏感なる、深世界の住人よ、唱えよ!
「バウンダリー(他人と境界線を引く)!」
今すぐ、他人の頭の中の自分を切り捨てよ。
そこに線を引くんだ!!
君の私は、私の前では無意味だ。
それよりも、君自身のエネルギーを見せてくれ。
冥王、黒田明彦でした。