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消えたい人間よ、正しく死ぬために生きよ

今回は「消えたい」という言葉、その嘆きについて書いていきたいと思う。

死にたい、消えたい・・・。

死という言葉にふれるだけで、どこにもかしこにも、非常に強いエネルギーが生まれる。

「死」も多くの人間の心の点穴にあたるところだろう。

たやすく触れれば、すごいエネルギーで払いのけられてしまうのは目に見えているが、あえて、冥王として触れていこうと思う。

消えてしまいたいと願っている人間におくる、私のアイデアを先に言っておこう。

「消えたい人間よ、正しく生きるために死ぬな、正しく死ぬために生きよ。」

どうしても、自己否定がつらい・・・

死にたい人間

消えたい人間よ生きろ_死にたい人間

「死にたい」

世の中には身体の芯から、マグマのように、この言葉が出て来る人がいる。

その言葉には、圧倒的なエネルギーを感じる。

自死は、満ちたエネルギーのひとつの具現化の形のような気もする。

自分の身体への攻撃により、自分の存在そのものへの攻撃が成功する。

そして、自分の存在への攻撃は、自ら死ぬことで完成する。

その完成を強迫的に望む。

自ら死にいたる人には圧倒的な迫力がある。

もう既に別の世界の住人であるかのように。

その境地に至っていない人にはどうすることもできないような迫力である。

消えたい人間

消えたい人間とは

「消えたい」

この言葉には非常に繊細なエネルギーを感じる。

死にたいという言葉になっている人の多くも、エネルギー的にはこちらの「消えたい」を言いたがっているのかもしれない。

「消えたい」は非常に繊細な悲鳴である。

「消えたい」という言葉がやってきているとき、その人には、どうにかして否定したい苦しみがあるのだ。

それは、存在すること、そのものへの苦しみだ。

消えたいという言葉が、なくしたがっているもの

消えたい人間_消えたい人間がなくしたがっているもの

「私」という感覚、自我。

自我が生まれたことに、充分な理由など元々ない。

それは、全ての人間に共通している事実だと思う。

自己否定は自我のメイン業務

自我は常に、自我自身が存在するためだけに、存在理由を血眼になって探している。

元々ないものを必死で探し、苦しむのが自我の仕事だ。

自己否定は、まさに自我のメイン業務とも言える。

他者と自分を比べることで自分を否定する。

そして、否定することで自我は自我の存在を維持している。

「消えたい」は自己否定より、一歩奥深い否定である

「消えたい」は自己否定より、一歩奥深い否定である。

これは自我のはたらきそのものを否定する、いわば、自我否定とも言えるものだ。

自己否定は、自分の何かの特徴を他人と比べ、否定しているにすぎないが、自我否定は、自分の存在そのものを否定している、という迫力である。

「消えたい」という言葉がさしているものは、自我の「苦しみによって存在を維持しようとするはたらき」そのものだ。

消えたいという言葉がこない人

消えたい人間_消えたいという言葉がこない人

世の中には、この「消えたい」という言葉がくる人と、こない人がいる。

消えたいという言葉がこない人の特徴をあげてみる。

それは、とてもシンプルなものだ。

①充分に愛されて育った人

「私」という感覚。

自我にはもともと存在理由がない。

存在理由がないものを理由なく認めてくれるのがだ。

無条件に、充分に愛されて育った人には消えたいという言葉はこない。

充分に愛されて育った人の自我は、自分をなくさないための理由を血眼になって探す必要もなく、存在のための苦しみを必要としないからだ。

つまり、愛されて育った人間は、存在すること自体に苦しむことがない。

逆に、愛が欠乏していると、自分の存在自体に苦しみだすのが人間だ。

消えたいという言葉は、愛が欠乏している人間にこそ、聞こえてくる言葉だ。

②今、自己機能感に包まれている人

「私」という感覚。

この自我にはもともと存在理由がない。

自我を生きるしかない全ての人間には、もともと存在理由がないということだ。

もともと存在理由がない人間が、生きる理由を見いだすのに大事なことは、自己機能感だろう。

「私は、今、誰かに、何かに、とにかく必要とされている。」

この感覚が実感できている時、人間はホッとし、元気になる。

多くの人間はこの感覚に支えられて生きていると言っても過言ではないのだろう。

「あなたにとって唯一の存在である私」

そんな幻想を味合わせてくれる恋愛が、甘美であり、また狂気を生む結末になることが多いことも頷ける。

充分に愛されて育っていなくても、この自己機能感さえあれば、なんとか「消えたい」という言葉が聞こえてこなくなるかもしれない。

「私は必要とされている。」

そんな現実が生活を圧倒してくれる。

それも一つの幸せのかたちだ。

人間は死んではならない

消えたい人間_人間は死んではならない

結局、人生における究極の問いは、「人間は存在理由がないにもかかわらず、なぜ生きなくてはならないか?」だ。

その答えの半分は、悲しい程単純である。

人間は死んではならないからだ。

人間は、法律上、道徳上、社会通念上、倫理上、人情上、常識上、都合上、宗教上、人間関係上、死んではならない。

死にたいという人に対して、「死にたいのね」と言うことができる人はいても、「死んでいいよ」と言うことができる人はほとんどいない。

状況によって安楽死が認められる国もあるが、基本的には人間には死の許可を他の人間に与える権利はない。

人間は死んではいけないのだ。

自分を愛せるようになりたい

人間と死と悟り

消えたい人間_人間と死と悟り

存在理由もなく、生きることが苦しいのに、死んではいけない人間。

消えたくなるのもわかる。

存在理由もなく、充分な愛もなく、自己機能感もないのに、苦しまずに、

「ただ、生きる。」

そんな人間になる方法が見つかれば、世界は平和になるだろう。

昔の人は、そういう人間になることを悟りと言ったのかもしれない。

生命は死に際に輝く

消えたい人間_生命は死に際に輝く

余命宣告を受けたり、大ケガをしたり、身近な人が不慮の死を遂げたりすることで、死の恐怖を目の当たりにすると、人間の生存本能に火がつき、別人のようになることはある。

そういう人のエネルギーは花火みたいに美しい。

しかし、人間は、なかなか平常時にそのような状態になれるものでもないだろう。

風邪をひかないと健康であることの有難みが分からないのと一緒だ。

明日も明後日も10年後だって、当たり前のように、今の自分の苦しみのまま生きていることが想定できてしまう。

人間は自分が本当に死ぬかもしれないなんて恐怖の実感は、なかなかもてるものではない。

生存本能に火がつき、生の有難みが自然に湧いてきてくれれば、生きる理由は、自分で考えるまでもなく、湯水のように湧いてくる。

しかし、なかなかそうなれないから、真綿で首を絞められるような毎日を生きている。

人間はなんのために生きるのか?

消えたい人間_人間はなんのために生きるのか?

人間はなんのために生きるのか?

残念ながらその絶対的な理由は存在しない。

生まれたときは、誰もそれを持ち合わせていない、と考える方が自然か。

だから、自分で決めて良い。

いや、決めなくてはならないのだろう。

愛にも恵まれず、自己機能感にも絶望し、生きるのに何か特別な理由が必要になってしまっているのなら、自分にとって都合の良い、自分が元気に生きていけるような理由を見いださねばならない。

必要なものがないのなら、自分で創らねばなるまい。

ただ、それは、どこまでも自由に創って良いものなのだ。

おそらく、そこは多くの人間が快く許可してくれるだろう。

消えたい人間よ、正しく死ぬために生きよ

消えたい人間_正しく死ぬために生きよ

しかし、今、どうしても、自分で自分の生きる理由を見つけられないなら・・・。

そんなガッツなど一握りもないと、憔悴しきっているのであれば・・・。

それを自分で見つけられるようになるまでの間、私が1つのアイデアを与えよう。

冥王
冥王
今、生きるための理由がどうしても必要なら、正しく死ぬために生きよ。

決して、正しく生きるために死ぬな。

ただ、正しく死ぬために生きよ。

それが、死んではいけない世界で、愛もなく、機能もできず、死の恐怖すら実感できずに、日々苦しみを生きる人間のひとかけらの望みだ。

消えたい人間よ、正しく死ぬために生きよ。

冥王
冥王
  消えたい人間よ、正しく死ぬために、我と共に生きよ。

消えたい人間である君へ、おわりに

消えたい人間_おわりに

「消えたい」という嘆きについてここまで書いてきた。

「消えたい」は、人間の自我の苦しみから来ている繊細な悲鳴であると私は考えた。

死んではいけない世界で、愛もなく、自己機能感もなく、死の恐怖の実感すらもてずに、日々苦しみを生きる人間の悲鳴。

それが「消えたい」だ。

そういう人間には、確かな生きる理由が必要である。

しかし、それは、生まれながらに持ち合わせたものではない。

自分の意思で創り出さなくてはならないのだ。

私からは、1つのアイデアを提示した。

もう一度だけ言う、

「消えたい人間よ、正しく死ぬために生きよ。」

それでは、正しい死とは?

ガッカリするなよ・・・?

正しい死、それは・・・。

不本意なる死、不慮の死だ。

もし、今、君が本当の意味で消えたいと強く願っているのなら、それを実行に移す前に、最後に私に、君の怒りを見せてくれ。

君のキレイなエネルギーの塊を私に見せてくれ。

私は地の底で、君を待っている。

冥王、黒田明彦でした。

私のエネルギー、もらってね。

私の愛も、もらってね。